苦界寺門前町地下迷宮(5/6)
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* * *
ガチャン!
突然、箱の周囲の畳が崩落した! 落とし穴だ!
その瞬間、昴はリップショットとなってその場から飛び出した。ぽっかりと口を開いた落とし穴へ閃光めいた速度で飛び込むと、畳や箱とともに落下して行く捉人を抱きかかえる。
風が唸る音を聞きながらかなりの距離を落下したあと、リップショットは底にひらりと着地した。
リップショットは捉人を降ろし、あたりを見回した。落とし穴は円筒状で十メートルほどの深さがあった。リップショットの助けがなければ捉人は良くても骨折、下手をしていたら死んでいただろう。
降ろされた捉人は信じられないという様子でリップショットを見た。その顔には苛立ちと驚きがあった。
「何で助けた!? バカめ!」
「ええ、そうですよ! バカなんです!」
リップショットは苛立って言い返し、落とし穴の入り口を見上げた。鉄格子によって塞がれている。二人が落ちると同時にスライドして飛び出したようだ。
日与とドゥードゥラーが鉄格子の隙間からこちらを見下ろした。
「大丈夫か!」
「うん! 平気!」
捉人が呟いた。
「……でもなさそうだぞ」
ゴポゴポゴポ……
化学薬品臭があたりに立ち込めた。落とし穴の底にびっしり開いた小さな穴から液体が染み出している。
リップショットの靴底がジュッと音を立てた。彼女はあわてて足を引いた。
「これは!?」
捉人は木箱の上に這い上がると、ガスマスクを取り出して装着した。
「酸だ! マスクをつけろ!」
リップショットは同じく木箱に飛び成り、ガスマスクを着けた。たちまち畳と木箱が白い煙を上げて溶解を始めた。犠牲者をゆっくり溶かして殺すとは何という陰険な罠か。
酸の噴出速度はどんどん勢いを増し、すでに床を覆っている。
昴は捉人を抱き上げた。
「つかまってて! ヤーッ!」
リップショットは円筒状の壁を螺旋状に駆け上がった。鉄格子の隙間は腕を突っ込める程度の大きさだ。鉄格子に捕まった彼女に、ドゥードゥラーがロープを垂らした。
「これを。まったく、漫画みたいな人だな!」
捉人がそれを掴み、自分のベルトに縛り付けた。
「オラアアアア!!」
一方、日与はブロイラーマンとなって鉄格子の破壊にかかっていた。
ドゴゴゴゴゴ!
鉄板をも穿つ拳を叩き込むが、ほんの少し歪んだだけだ。超自然的なパワーが付与された超硬度の金属であった。ダイダロスが作ったのだろうか。
ブロイラーマンは舌打ちした。
「ダメだ! こりゃ間に合わねえ!」
酸の水面は恐るべき速度で上昇を続けている。このままではリップショットと捉人は溶けてなくなってしまう。
「何で来たんだ……何考えてるんだ、バカめ」
捉人は呟いた。だがその口調には彼女の愚かさを責めるよりも、自分のミスに巻き込んだことへの後悔が含まれていた。
リップショットはそっぽを向いて言った。
「何にも考えてなんかない。私は、ただ……私がそういう性格だからってだけ」
「おい、諦めてんじゃねえぞ!」
ブロイラーマンが一喝した。
「ドゥードゥラー、お前の能力で何とかできねえのか! 鉄格子を壊すとか!」
「僕の言霊は墨汁が乗るものにしか書けないんですよ。こういうつるつるしたものはダメだ」
「じゃあリップたちを小さくして格子の隙間を通すとか! あんたなら何とかできるだろ!?」
「無理言わないでください。そんな言霊はない」
「クソッ! クソッ!」
ブロイラーマンは焦って鉄格子を蹴った。
「この部屋のどっかに解除のスイッチがあるんじゃないか?」
「あったとしてもお前らに見つけられるか」
捉人がぼそりと言うと、日与は噛み付かんばかりの剣幕で怒鳴った。
「テメエがどうにかしろ! プロなんだろ! リップを死なせたら許さねえぞ!」
「あっ……待って!」
突然、リップショットが目を見開いた。
「何とかなるかも」
ブロイラーマンが鉄格子にしがみついて彼女を見下ろす。
「何だ? 何か思いついたか!? 言え!」
* * *
同時刻、ミノタウロスの執務室。
モニタに映った映像にミノタウロスは目を細めている。例の侵入者たちが発信機の罠にかかった様子が映っている。
一人の血族と一人のエクスプローラーが落とし穴に落ちた。四人まとめて殺せなかったことは残念だが、エクスプローラーがかかったのは幸いだった。残された二人はこの先、先導者なしではどうすることもできまい。
落とし穴の鉄格子から酸が噴き出した。上に残った男二人は部屋の出入り口まで下がり、成すすべなく見つめている。仲間が溶かされる悲鳴を聞いていることだろう。
頬杖を突いたミノタウロスは残念そうな顔をした。
(惜しいな。あの少女はペットに欲しかったんだが……)
残った二人は逃げ帰るか野垂れ死にだが、ミノタウロスはその結末を見届けるつもりはなかった。男がどうなろうが興味はない。
落とし穴の罠は自動で解除される仕組みになっている。酸が引き、耐酸性強化鉄格子は引っ込んで、ダイダロスたちが元通りに畳を置いて隠す。そしていずれまた不注意なエクスプローラーがこの罠にかかるのだ。
ミノタウロスはコーヒーを飲み干し、パソコンで帳簿をつける仕事に戻った。彼の本職は血盟会の金庫番である。組織の金を預かり、ダンジョンの各地に隠しているのだ。副業で市《まち》の犯罪組織のいくつかも得意先にしている。
仕事に区切りがつくとミノタウロスは席を立ち、大きく伸びをした。休息が必要だ。執務室を出て飼育室へ向かった。
ガラスケースに囚われた美女を眺めて回ることこそ、彼の最高の愉悦であった。最近新しく買った銀髪の女の前で足を止めた。ベッドに座っていた女は立ち上がり、ガラス壁に開いた小さな穴の前に来た。
ミノタウロスは特に彼女を気に入り始めていた。美しいことはもちろんだが、何よりも彼女の企みを潰してやったという事実が邪悪な優越感を抱かせるのだ。
「発信機を追うヤツらが来たぞ。二人は酸のプールに落ちた。もう二人は知らん」
「……」
女のカミソリのように冷たい表情にわずかに動揺が走るのを、ミノタウロスはぞくぞくするような喜びとともに眺めた。今、彼女は完全に自分の所有物になったのだ。
「ああ、その表情。ますます美しい……記念に新しいドレスを用意しよう。お前に似合うのは赤かな。黒? どっちが好みだ?」
「あなたはどっちが好きなの?」
「うーん……俺の好みで言うと赤かな」
女は微笑んで言った。
「ですって。そいつの好きな色で染め上げてやって」
ミノタウロスはその言葉をいぶかしんだ。
その瞬間、ミノタウロスはガラス壁に映った人影に気付いた。背後から雄鶏頭の男と死神めいた衣装の女が飛びかかり、それぞれ左拳と右拳を振り上げている!
「「オラァーッ!」」
ドゴォ!
「おごッ?!」
後頭部にダブルパンチが直撃! ミノタウロスは顔面からガラス壁に突っ込んだ! 真っ赤な鼻血が噴き出す。
二人が追撃しようとすると、ミノタウロスは素早く側転して距離を取った。目を見開き、亡霊でも見るような目でリップショットを見る。さらに後ろにはドゥードゥラーの姿もある。
「なっ……なぜだ?! 今頃溶けてなくなっているはず……」
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