【短編小説】死体安置所に潜むもの(1/3)
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「いつ来てもぞっとするぜ……」
警備員はつぶやき、ごくりと唾を飲んだ。
死体安置所にはステンレス製の冷凍庫が並んでいる。アルファベット順にAからJまである十の冷凍庫は、それぞれ上下二列、横五列ずつの合計十のセル(個室)に分かれている。この中で死者が冷凍保存されているのだ。
警備員はそれらを気味悪げに見ながら、ベルトに差した警棒のグリップを硬く握り締めた。急ぎ足で見回り、さっさと出ようとしたときのことだ。ふと、セルのひとつに眼が行った。セルのドアが開けっ放しになっている。
「!?」
警備員はそろそろとそちらに歩いて行くと、恐る恐るセルからスライド式寝台を引っ張り出した。
彼は目を見張った。それから急いでクリップボードを見た。F-3のセル。ここには確かに今朝、新しい死体が運び込まれたと表記されている。
「死体が……ない?」
セルは空っぽだ。誰かが死体を持ち出したのだ。だがどうやって?! 彼がここに入るとき、一つしかない出入り口のドアは確かに鍵がかかっていた。その鍵は自分が持っている。
警備員は背筋に悪寒が這い上がってくるのを感じた。そして彼は決意した。
(この仕事、辞めよう! 何かヘンだ! あの女にももううんざりだ!)
* * *
二日後。
「えーと、アクラスタ・ホールディングス……」
田中士郎は手にした書類とその会社の看板を見比べた。
「ここだ」
アクラスタ・ホールディングスは天外市の郊外にある会社だ。事務所が正面にあり、その後ろに大きな倉庫のような施設がある。
士郎は足音に気付いて振り返った。高校生くらいの少年が自分と同じようにアクラスタ・ホールディングス前で立ち止まり、建物を見上げている。
士郎は聞いた。
「キミもここに用があるの?」
「ああ」
フードを目深に被った少年は、小柄だがどこか狂犬を思わせる目をしている。少年はツナギのポケットに手を突っ込んだまま言った。
「ここで警備員の仕事があるっていうから。面接に来た」
「そっか。僕もだよ」
二人は駐車場を横切って事務所に向かった。士郎がインターホンのボタンを押したが反応がない。
二人は顔を見合わせた。
「誰もいないのかな?」
「入ってみよう」
事務所に入ると、士郎は声を張り上げた。
「すみません! 面接の約束をしました田中と、ほか一名です!」
返事はない。士郎があたりを見回していると、少年が彼の脇を突付いた。
「なあ、あれ」
事務所と併設した応接間のソファに死体袋が置かれていた。黒い化学繊維製のそれは人の形に膨らんでいる。中身が入っているようだ。
士郎が気味悪そうに言った。
「あれ……死体が入ってるんじゃないよね?」
「わからんぜ。入ってるかも。こんな会社だし」
「え!?」
士郎がぎょっとして少年を見ると、少年はけげんそうに彼を見返した。
「ここが何の会社か知らないで応募したのか?」
「いや、何かの施設の警備員だとしか……」
突然、死体袋のジッパーが内側から降り、中からにゅっと青白い手が伸びてきた。二人はぎょっとして思わずその場から飛び退いた。
青白い手は催涙スプレーを手にし、噴射口をこちらに向けている。
「……誰?」
死体袋の中の暗がりにうっすらと光る眼があった。
士郎はドキドキしながら答えた。
「あ、いや……面接の約束をしている田中ですが」
「ああ……そうだったわね。前の人が辞めちゃったんだわ……ごめんなさいね、最近は物騒だから……」
死体袋がワシャワシャと鳴り、中から女が出てきた。彼女はスーツのしわを伸ばし、ソファにかけてあった上着を着込んだ。
死体めいた色の肌に、長くて曲がりくねった髪といった姿だ。まだ二十代のようだが、生気がまるでないせいで幽霊のように見える。
三人は応接間で向かい合って座った。女は二人にコーヒーを出し、それぞれの履歴書に眼を通した。うっそりとした眼で二人のことを興味深げに見つめる。
「田中士郎くんと、森田《もりた》森一《しんいち》くんね……歳は二十一と十八。これは……」
女が森一の履歴書と同封されていた紙を広げた。
「紹介状……?」
「ああ。おたくらの助けになって欲しいって」
女はちらりと森一を見た。
「それじゃ、〝頼りになるコ〟って言うのはあなたのこと……」
女は丁寧に書類を畳んで片付け、席を立った。
「まずは職場を案内するわ……いらっしゃい。私は管理責任者の草田《そうた》彼岸《ひがん》……」
二人は彼岸についていった。事務所は廊下で倉庫と繋がっている。彼岸はその大きな観音開きのドアの鍵を開けると、取っ手に力を込めて開いた。
ぞっとする冷気が溢れ出てきた。病院を思わせる消毒液の匂いと、これまでに嗅いだことのない奇妙な臭気を含んでいる。
倉庫内は広く、ひんやりとしている。アルファベットが振られたステンレス製の冷凍庫がずらりと並び、それぞれのセルにはさらに数字が振られている。
彼岸は言った。
「ウチの会社は天外市警察から委託されて、身元不明のホトケさんを一時保管しているの……」
「ホトケって、し……死体を?」
彼岸は士郎に振り返った。
「知らないで来たの……?」
「えっと……募集要項には警備員の仕事としか書いてなかったものですから」
「そう……じゃあ今知ってちょうだい。ホトケさんは一ヶ月が過ぎても引き取り手がない場合は火葬し、遺骨にして一年間保管。それでも引き取り手がなければ無縁仏として共同墓地に埋葬……まあ、難しい仕事じゃないわ。生き返ったりはしないからね……」
振り返った彼岸は士郎が顔をしかめているのを見、言った。
「ニオイが気になる?」
「ええ……」
「これが死臭よ……こればっかりは慣れるしかないわね……」
彼岸は手近なセルのオーブンめいたドアを開けると、中からスライド式の寝台を引っ張り出した。
白い冷気が音も無く舞い上がった。そして士郎の目に否応無しに死体が入ってきた。カチカチに凍っていて霜が下りている。
「足の指についているこのタグが番号と日付……身元不明死体だから名前はないのよ……少し膨らんで見えるのがわかる? 死ぬと筋肉の張りがなくなるから……」
彼岸は素手で死体を撫で回した。その表情は子犬を撫でるように愛しげだ。
二人の前で延々と死体を撫で回している彼岸の姿に、士郎は早くもこの仕事を選んだことを後悔し始めていた。吐き気が込み上げてきて、思わず手で口を押さえる。
森一が死体の脇腹にくっついているものを指差した。
「それは?」
「あら? ああ……クラッカーのリボンだわ……」
彼岸はピンクと黄色の紙リボンを、黒いマニキュアが塗られた爪で引っ掻いて取り外した。
森一はいぶかしんだ。
「何かお祝いでもあったんですか」
「ええ……昨日は私の誕生日だったのよ。だからね……ここで〝みんな〟にお祝いしてもらったの……誰にも言っちゃダメよ」
彼岸はにこりともせずに言った。
士郎は事務所のゴミ箱に、パーティ帽やケーキの包みといったものが捨てられていたことを思い出した。
昨日、彼岸はここで棒立ちの死体を取り出して並べ、パーティの飾りつけをした。そして無言の死体に祝福されながら一人でケーキを食べたのだろうか。
その姿を想像しただけで心底震えあがった。
(この人マトモじゃないよ!)
森一が咳払いし、言った。
「あー……あの、誕生日おめでとうございます」
「ありがとう」
彼岸はやはり笑うことなく答え、セルを閉じた。
「二人とも採用よ……“みんな”を守ってちょうだいね……」
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