6.借金のカタでとんでもないことに……(2)

<戻目次次>

 九霊会という言葉にぎくっとした。
親父が金を借りていた闇金の元締めで、財音最大勢力の暴力団だ。

「こないだ別件で選手がパクられちまってねぇ、どうしてもひとり足りなくて。あんたは代打であれに出なきゃいけません」

 俺がバッグを捨てて身構えると、黒服たちが俺を取り囲んだ。

「何で俺が?」

「借金のカタで」

「借りてない!」

「あんたのオヤジが借りてるでしょ。野郎が見つかんねー以上はあんたに返してもらわねーと」

「知るかよ!」

「あんたが強ぇからそこ見込んでんで言ってんスよ。表の大会なんかザコのじゃれあいス。
あんたをあんなのに出すのはもったいねえってことス」

 俺は鼻を鳴らして反論した。

「俺が消えても誰も探さないからだろ。家族がいないから」

 葉蔵はかったるそうに笑い、唾を吐き捨てた。
次に放ったひと言が、逃げ出す算段をしていた俺の首根っこを掴んだ。

「ファイトマネーは一勝で1000万円。借金をチャラにした上で払います」

 ぐっと息を飲む。
1000万円……!!

「相手が死ぬまで戦え……とか?」

「今回はデスマッチルールじゃないスから。どっちかが降参すりゃそこで終わり」

****

 もし俺が自分自身のためなら――親父が消える前の生活に戻りたいというだけなら、さっさと逃げ出していただろう。
だが俺は宵人にしっかり飯を食わせ、ちゃんとした服を着せてやりたかった。
俺が味わった生活苦とは無縁でいさせたかった。

「「「ご来場の皆様、賭け札の販売はたった今をもちまして締め切らせてもらいます! 第四試合、第四試合を開始します。
なおあらかじめ告知しておりました通り、板台選手は事情があって欠場となりました。代わりまして、赤コーナーは期待の新鋭、連川狐々選手!!」」」

 ハイテンションなアナウンスを受け、俺は金網の扉から八角形のリングに入った。
上半身は裸、オレンジイエローのパンツとオープンフィンガーグローブ(*相手を掴めるように指先が開いているグローブ)、素足という格好だ。
ミサンガは左手首にしっかり結んである。

 血に餓えた観客にすさまじい歓声を浴びせられ、鼓膜がびりびりした。
雑念を振り払おうと俺は頭を振り、一心にシャドーボクシングをする。

(まともな学歴、まともな仕事、まともな生活。金がなきゃ何ひとつ手に入らないんだ。やるしかない! 最悪でも生きては帰れるみたいだし……)

 リング上には俺の側と相手側にひとつずつ、妙なものが新たに設置されていた。
直径1m、高さ2mほどの物体で、白い幕がかけられている。

(何だこりゃ?)

「「「対する青コーナーはストリートギャング・SNOWスノウ出身、生粋の悪童にしてケンカ屋! 藤堂《トウドウ》栄助《エイスケ》!」」」

 相手側は三十路前後で、ほぼ俺と同じ体格だった。
坊主頭の髪を金色に染め、岩石のようにたくましい筋肉にびっしりタトゥーを施している。

「「「なお今回の人質マッチについて説明させていただきます!」」」

 幕がさっと引かれた。
中に設置されていたのは強化ガラスのシリンダーで、中を覗き込んだ俺は驚きのあまりそれに飛びついた。
中に入っているのは宵人だった。

「宵人?!」

「ココ兄ちゃん!」

 敵側も同じでシリンダー内に赤ん坊を抱いた若い女が入っている。
藤堂がガラスを叩き、必死の形相で何か叫んでいた。

「「「試合開始直後から注水が始まります。
満杯になるまでの猶予は約10分! 注水を停止させるには相手をKOもしくは降参に追い込まなければなりません!」」」

「葉蔵ァァアア――――!!!」

 激昂した俺の叫びは歓声に掻き消された。

「騙しやがったなテメエ! どこにいんだ? やめさせろ!!」

「選手は死なないっつっただけスよ」

 振り返ると、金網の外で葉蔵がニヤついていた。

「はい、ゴング!」

 カーン!
同時に藤堂が真っすぐに突進して来た。
かろうじて横っ飛びにかわし、必死に説得した。

「おい、やめろ! これじゃ勝っても負けても……」

「女房子供の命がかかってんだよォオ!」

 彼は明らかに冷静さを失っていた。
たぶん俺と同じで騙されて出場したのだろう。
めちゃくちゃな大振りをかわし、パンチの連打で応酬する。
絶対に宵人を死なせるわけにはいかないという必死な思いが、俺にがむしゃらな力を与えた。

「うらあああ!」

 数発がまともに入った。

「ぐふ……」

 相手が苦し紛れにタックルして来ると、その上に覆い被さるようにして潰した。
すかさず脇の下に相手の首を抱え込んで締め上げる、
フロントチョークというごく基本的な絞め技だ。

(極《き》まった! カンペキ!)

「ぐ……、うぐ……」

 相手は必死にもがくが、鍵をかけたようにがっちりハマっている。
だけどそのとき、俺は藤堂の妻子と目が合ってしまった。
赤ん坊を抱いた女房は泣きながらガラスを叩き続け、上から流れ込んだ水がくるぶしまで溜まっている。

(……!)

 手が緩んだ一瞬の隙を突いて藤堂は技を抜け、俺を突き飛ばした。
自分側のシリンダーに背をぶつけながら、俺はぐるぐるする頭の中で必死に考えた。

(俺が負ければ宵人が死ぬ、勝てばあのふたりが……! どうすりゃいいんだ?!)

「えらいことに巻き込んでくれたな」

 芥は腕組みし、平然とガラスにもたれかかっていた。
俺を見下ろし鼻で笑う。

「兄貴が死んだときもこんな感じだったよ。俺は……宵人は無力なガキで、何もできず兄貴が殺されるのを見ていた」

「……!」

「師として忠告してやる。そいつを殺せ、狐々! 俺のように弱い自分と決別しろ」

 藤堂が追撃してくる。
とっさにガードを固めたがその上から続けざまに殴られた。
一発一発が強烈で、骨の芯までズシン、ズシンと響いてくる。

(ヤバい、冷静になってきてる……強い! 勝てねえ……)

<戻目次次>

ほんの5000兆円でいいんです。