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マイペースだねって言う人、キライ(そのスピードで)

嫌いなタイプの人っていっぱいいるんですけど、ひとつ上げるなら、「(君は)マイペースだね」って言う人、キライです。
もう一回、言います。
私、マイペースだねって言う人、キライ。
綾波レイの「私、肉、キライ」のトーンで言ってみました。
何をもってそう言われるのか分からないんですけど、僕、よく言われるんですよね。「マイペースだね」って。
まあ決してプラスの意味合いじゃなくマイナスのニュアンスが強くて、僕は全然意味が分からないんですけど、そもそも僕は他人に「君はマイペースだね」って言ったことがない。どういう場面で使うのかまったく分からない。
だいたい人にはそれぞれその人のペースがあるわけで、どれが自分に適したスピードなのかってその人本人にしか分からないはずなんですよ。ザ・ブリリアント・グリーンの「そのスピードで」が、どのスピードなのか分からないのと同じで、あるいはそのスピードがどのスピードなのかは川瀬智子にしか分からないのと同じで、本人にしか分からない適切なスピードってきっとあるんですよ。
だとしたら、「(君は)マイペースだね」と言うある種の人たち(以下「君マイペースだね一派」)が基準とするペースとはなんなのか。世間相応の合わせるべき「しかるべきスピード」があるのだとしたら、その「しかるべきスピード」とはなんなのか。
マラソン大会で自分の実力をかえりみず無謀に先頭集団についていって脱落する人いるじゃないですか。バカだなで済めばいいけど、倒れて心肺停止とかなったらどう責任を取るのか。そう思いませんか。一人ひとりにペースがあるんですよ。それを他人が指示するには、一人ひとりの脚力とか心拍数とか脈拍とか把握してないとできないはずなんです。
それでも、君マイペースだね一派は、「世間相応のペース」が何よりも優先されるべきと考えている。
これは難しい問題で、僕は今、不寛容な社会に怒っている。多様性とか言って、何だこの体たらくはと。ただ、最近のトレンドとして、不寛容な人間に対する過剰反応ってのがあって、長野の公園の問題とかですね、一人の偏屈なジジイが子どもはうるさいとか言って、公園が廃止に追い込まれて、不寛容な人間を寛容側が袋叩きにしている。僕はもしかしたら不寛容なジジイを叩く寛容気取りの側なのかもしれない、とも思うわけで。だとすれば、君マイペースだね一派にもやむにやまれない事情があって、彼らに対してまた寛容にからなければならない、であるならば、何も言えなくなる、という無限ループに陥る。そのスピードで。(どのスピードだ?)
結論、ザ・ブリリアント・グリーンの「そのスピードで」は、ヤマなし、オチなし、意味なしの、やおいの極地を行く歴史的な名曲です。一度聴いてみてください。


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