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薬草店のおばあさま

北風の冷たい午後、蓼科高原の森の中にある小さな薬草店で、40年以上ハーブの研究を続けているおばあさまを取材した。あたたかいお茶とクッキーを出してもらい、木漏れ日が差すウッドチェアに腰掛けて向き合った。

幼い頃から、物語に出てくる魔女が実は心優しい性格だったりするとすごくうれしかったんだけど、おばあさまはまさにそんな雰囲気の素敵な方だった。草花が風に揺られるようなリズムでゆっくりと話し、ときどき目をじっと合わせてにっこりと微笑んでくれる。午前中は議会の取材があり張り詰めていた僕の心はすっかり落ち着き、仕事そっちのけで身の上話をしてしまった。

「私、昔は病弱で、子どもの頃はいつも静かに本を読んでいたの。その物語に出てくる薬草を実際に見てみたくなったのが、私の原点。あれがすべての始まりだった」おばあさまは遠い所を見る目で話してくれた。部屋の隅にある本棚には山野草やハーブの本とともに、アガサ・クリスティの探偵小説が何冊も並んでいた。だからこの人の言葉が好きなんだと思った。

こっちの生活はどう、とおばあさまが尋ねる。まあぼちぼちです、このあたりは野菜がとても美味しくて、昔とは人が変わったように食べているんです。僕がそう言いながら照れ笑いをすると、おばあさまは「それはとても良いことね。独りで生きているひとこそ、野菜をしっかり食べて自然を楽しむことが大切だから」と微笑んだ。とても幸せな時間だった。

帰り際、玄関でおばあさまに「またいつでもいらっしゃい。私、あなたが好きだから」と言われたのがものすごく、本当にうれしかった。その「好き」はこの数年間聞いたどんな好きよりも素朴で、真っ直ぐで、ほんものだと思えた。初対面なのに、ずっと昔から僕を見てくれていたような気がしたんだ。

こんな出会いがあるなら、しばらくは独り身でもいいのかもしれないな。誰かを愛するということは、思ったよりも色んな方法があるんだと思った。こうして素敵な出会いを書き留めておくことも、人を愛することのひとつだと思うし。

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