火葬場には拝啓を流してくれ【テトシンキ渋谷ライブレポ】
渋谷はいつ来てもクソみたいな街だ。東横線のホームは火葬場みたいで不気味だし、エスカレーターはどれも異様に早く、通りで動画撮影をしている連中とは誰ひとり友達になりたいと思わない。役所とデベロッパーはホームレスを追い出すし、道路はどこも薄汚く、駅前ではノーマスクの中年たちが街頭演説に勤しんでいる。どこが面白くてこれだけ人が集まるのだろう。
このクソしょうもない街で僕の大好きなロックバンド、tetoがHelsinki Lambda Clubとツーマンライブをやるという。先週末に川崎でファイナルを迎えた東名阪ツーマンツアーの追加公演だ。2010年代最高のバンドとも言うべきtetoとヘルシンキがタッグを組んだら、この薄っぺらい都市なんてひとたまりもない。おしまいだ。僕は渋谷の終焉を見物すべく、仕事を辞めたばかりの悪友を誘って師走の渋谷QUATTROに乗り込んだ。
渋谷なんぞによそ行きの格好で出かけるなんてばかげている。僕は上下青ジャージに兄貴から貰った濃紺のダウンジャケットを羽織って家を出た。行きのBGMは時速36kmの1stミニアルバム『まだ俺になる前の俺に』。突き抜けるロックと運賃の安い東横線が僕の味方だ。横浜市営地下鉄は敵。バカ高いので。
大嫌いな渋谷の街を通り抜けて、寄り道もせず渋谷QUATTROにたどり着いた。階段をぐるぐる登って整理番号が呼ばれるのを待つ。検温とドリンク代の支払いを済ませ、もう一度階段を登ったあたりで、僕は自分がきらいな渋谷ではなく大好きなライブハウスに居ることに気がつく。
(開演前のクアトロ。最高の位置。)
悪友とコーラを飲みながら近況報告をしているうちに、会場BGMの音量がでかくなってライブが始まる。tetoの小池貞利が真っ黒なサングラスをかけたまま登場し、ヘルシンキのキラーチューン『宵山ミラーボール』を歌い始める。一曲目からゴリゴリのカバーでかっこいい。続いてヘルシンキとのスプリット盤に収録されている『36.4』。テトシンキでは比較的古い曲をガッツリやってくれるのでめちゃくちゃ嬉しい。開演前のモヤモヤした空気がぶった斬られて、弾けた空気をtetoが振り回すようにライブが進んでいく。3曲目は今年出た新譜から『とめられない』。tetoもヘルシンキも僕たちも止められない。7月にメンバー脱退に直面したtetoと小池にとってこの曲は決意表明であり宣戦布告だ。
4曲目は『9月になること』。先週末の川崎テトシンキでは地元のロックフェス『BAYCAMP』を意識した照明になっていたが、今回は夏の終わりの雨上がりのような儚くてきらびやかな色合いに変化していた。僕がtetoに出会ったのはこの曲からなんだけど、いつまで経っても色褪せない最高の名曲だ。客席の前方では無数の拳が上がり、僕の目頭には涙も浮かんでくる。マジでかっこいいんよ。
何より好きなのが5曲目の新曲『遊泳地』。閉鎖病棟から送られてきたファンレターに対する返事として作曲されたという。僕はtetoのこういうところ、Twitterでの馴れ合いもインスタでの質問箱も一切やらないけれど、たった一通の手紙には全力で応えるところが大好きだ。
6曲目は再びヘルシンキからカバー曲『チョコレィト』。川崎でも言ってたけれど、小池は本当にこの曲が大好きで、何よりもこの曲を体現したような性格の持ち主であるヘルシンキの薫(Vo.)のことをめちゃくちゃ尊敬しているらしい。tetoがメンバー脱退で窮地に陥った夏以降も、ヘルシンキの熊谷太起(Gt.)がサポートとして応援に入り、活動を精力的に支えた。その熱い友情を原動力に各地で暴れまわり、お互いにエールを贈りあったのが今回のライブだ。そのステージでこの曲をカバーするteto。受け止めるヘルシンキ。最高すぎる…
僕もtetoがメンバー脱退を迎えた夜に『チョコレィト』を聴きながらひとり泣いた。何しろ歌詞が良い。どこも良いというか本来は切り取って紹介すべきではないと思うんだけど、とりあえずサビだけ載せておく。
何だこの歌詞。本当にふざけんなよ。
7曲目はハイパーウルトラハッピーソングの『手』、8曲目は『メアリー、無理しないで』。むき出しの情熱と愛、そしてどこか諦めを感じるような歌詞。『チョコレィト』を聴いたあとにこの曲を聴くとなおさら心に沁みる。ずるいよ。
8曲目が『invisible』。
個人的には、この曲がいちばんtetoらしいというか、tetotetoしているというか、何というか。とにかく惚れるほど好きな曲で、去年の冬片想いに狂った夜にめちゃくちゃ聴いたソウルソングなのだ。
文字にしてみるとシンプルな歌詞なんだけど、小池貞利のざらついた叫び声でこの曲を聴くとキレッキレにカッコよくなる。ライブで聴くたびに涙が溢れてしまう。この曲を書けるようになったら、自分のものに出来るようになったら、二度と「生きる意味とは何か」みたいなクソ問題に悩むこともなくなるのかもしれない。
9曲目は拝啓。僕はこのnoteで書いてきたtetoのライブレポで腐るほど拝啓の良さについて汗臭い文章で書きなぐってきたので、ここでは特に何も言わない。ただ僕の人生が終わる時、火葬場で燃え尽きるときにこの曲を一度流してくれ。葬式にはヘルシンキの午時葵を。
僕はtetoのライブに行くたび、この曲のこの歌詞が耳に届くのをずっと待っている。僕だけじゃなくて、tetoを愛する多くのファンがこの歌詞に救われ、背中を押され、クソみたいな世の中を生きている。大げさな表現じゃないと思う。そんな特別な歌詞を、小池貞利はステージを転がりながら必死に歌っていた。大好きだ。
最後はヘルシンキもカバーに挑戦していた『あのトワイライト』。普段は『高層ビルと人工衛星』で終わることが多いなかで、この締め方は本当に痺れた。これからヘルシンキの出番を控える中で、最善の選択だったんではないかな。
どっかのMCで「音楽のことだけ考えていたいのに、そういうわけにはいかなくて、どうしても誰かに傷つけられるし、傷つけちゃうんですよね」とぼやいていた小池貞利の姿が思い浮かぶ。年を重ねるごとに、この曲の厚みは染み付いた汗と情熱、そして挫折で増していくような気がする。特に今回の『あのトワイライト』は、小池貞利の強さであり弱い部分がむき出しになっていて響いた。
スピーカーの目の前に席を取って大正解。鼓膜が震えるたびに気持ちよくて笑顔がこぼれた。帰り道、渋谷のセンター街は相変わらず人混みと異臭でごちゃごちゃしていたけれど、テトシンキを終えた僕には輝いて見えた。渋谷、大好きです。
今回はtetoのライブレポで精一杯。僕はどこまでもtetoのファンだし、このtetoびいきの駄文を読んでヘルシンキが足りないと思ったあなたの文章を、ぜひ僕は読んでみたい。とにかく、tetoもヘルシンキも止められないのだ。
(teto公式がテトシンキ川崎公演をノーカットで公開しているので載せておく。ヤバすぎるだろ)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?