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バズったらこんなクソリプが来ました 〜こうして当事者の口はふさがれていく〜


以前出した「私が普通と違った50のこと~貧困とは選択肢が持てないということ~」の記事がバズり、想像以上の反響がありました。メッセージをくださった方々、本当ににありがとうございました。一つひとつ目を通しては涙しました。救われた、なんて言葉もいただきましたが、救われたのはこちらのほうですよ。

クソリプが来ました

当事者が声をあげると、必ずといっていいほど”クソリプ”というやつがくるというのは、ほんとうだった。

私は人生初バズだったのでかなり疲弊したし消耗した。DMでつきまとわれたりして、メンタルをやられたりもした。傷つかないように、気にしないようにつとめてがむしゃらに働いてみたりもした。何百とくる励ましのメッセージ。それに対してクソリプは数えるほどだ。

それなのにそんなクソリプによって、口を塞がれていくのだ。やっとしぼりだした積年の思いも、一瞬でかき消され、自由を奪われてしまう。(無意識的にそうなってしまう)


私の記事に共感してくださったある作家さんから応援のDMが届き、オンラインでお話しさせていただいた。そのときの議論から、まんまとクソリプにやられ、発信に二の足を踏んでいる自分に気づかされた。


ーそうだ、こんなのおかしい。
ずっと続いてきた、当事者が声を上げるとかきけされてしまう現象に抗わねば。
作家さんのアドバイス通り、いただいた(と表現するけれども)クソリプを分類して記事にまとめようと思う。


不幸の比べ合いは不毛で賞


・大学に行けてるやつが貧困語るの草
・自分は大学いけなかった
・もっと大変な人はたくさんいる

「被害者ヅラするな」攻撃。
本当に思うのだが、不幸の比べ合いなど不毛でしかない。
それぞれの地獄があるし、大卒だろうが高卒だろうが貧困は貧困だ。例えば末期がんの人が、糖尿病の人に、「お前は俺よりましだから辛い言うな」といったとする。

いやいや、どっちも大変だから。それに尽きるだろう。
100人いれば100通りの地獄がある。不幸を比べ合ったって、だれも幸せになんかならない。以上。


想像力豊かで賞

・絶対ブスだろ(美人だったら男が寄ってくるから金に困るわけがない)

ノーコメント


弱者は弱者らしくあれってことで賞

・本当に貧困なら文章が書けるわけがない
・本当に悩んでいたらこんな発信できない
・スマホとWi-Fiあるならいいじゃん
・麦茶でいいじゃん
・安物いでいいじゃん

貧困を一度語ると、「それを持っていれば貧困じゃないだろ」「〜でなければ貧困を語るな」
こんなことをいう人たちがたくさんいる。そんな人たちに言いたい。

みんなで貧乏になろうってこと?
みんな貧困じゃないほうがいいに決まっているのに。


また、弱者は弱者らしくないといけない。これは本当に根絶せなばならない。

伊藤詩織さんが、「本当の被害者ならあんなに笑ったりしない」と叩かれたように。
勝手に作り上げられた弱者像にはまらなければ声をあげてはいけないのか。苦しい立場の人は笑ってはいけないのだろうか。


こうあるべき像を勝手に作り上げて、それから1ミリでも外れれば叩く。そんな人たちがたくさんいる。


ああ言えばこういうで賞


・自己責任論を否定するってことは、他者責任論者ってこと?

あえて言うなら社会責任論かな。

ただの人権侵害で賞


・なぜ貧困なのに子どもを産んだのか

これは何件か来ていた。自分の命の根源まで否定されたような気持になった。でもよく考えてみてほしい。そりゃあ、子供を迎えるにあたって、リスクは減らせたほうがいい。

しかし、だれだっていつどうなるかわからない。

うちの父も、結婚後に精神障害に。事故や病気も複数回経験している。どんな金持ちも転落する可能性はあるし、病気や事故に遭遇するかもしれない。人生いろんなことが起こるわけだが、そんな時でも安心して子育てでき、機会の平等が守られる社会である必要がある。それがみんなにとっても幸せなはずだ。

ただの悪口で賞

・売れない芸人が貧困を語っているみたい
・こういうのがほっとくとやばいやつになる

ノーコメント。


おまけ 普通に通報案件で賞


触れません。今後あれば警察の方にご相談します。

結論

クソリプ、気にする必要なし。
それだけ多様な人々に届いた証拠だ。
臆することなく、これからも発信を続けていこう。


クソリプを送ってくださったかたも、結局は
なにかでむしゃくしゃしたり、苦しみを味わっていらっしゃるのだと思う。
だから煽る意図はない。ただ、こうやってクソリプによって、せっかくの発信がかきけされてしまう現象をどうにかせねば。

クソリプをなくす唯一の方法は、みんなが幸せになること。

そして厳罰化や、こうやって表彰してネタにしていくことも有効かもしれない。

そして、当事者が声を上げるとなんやかんやイチャモンをつけられて、叩かれる、そんな社会をほんとうに変えたい。

だってそんなのおかしいじゃないか。

過去の痛みと向き合い晒しながら矢面に立つ。そんな人達そもそも少ないのに、さらに叩かれて声が消え入ってしまうなんて。

堂々としていればいい。本当にそう思う。というか今、自分に言い聞かせている。


皆様からいただいたご感想

そして、みなさんからの熱いメッセージ、本当に力になっている。クソリプだけでは後味が悪いので、せっかくだから寄せられた数々の感想も載せてこの記事を終えようと思う。

「教科書に載せるべき内容」
「これからの人生の向き合い方を変えるかもしれない、と思うほどたくさん考えさせられた」
「永久保存版だ」
「今蔓延する自己責任論の風潮に風穴を開ける内容」
「まるで会場であなたの話を聴いているかのように、涙が溢れた」
「内容はもちろん、長文なのにぐいぐい読ませる、引き込ませる文章がすばらしい」
「当たり前が当たり前ではないと気づかせてくれる」
「恵まれた環境でそだったため、気づく機会を持てない方たちが多くいることに打ちのめされている」
「感傷的にも感情的にもならず、心にまっすぐ訴えかけてくれる」
「自分が発信すれば不満があるのは努力不足だと切り捨てられていた内容を的確に言語化してくれている」
「なぜ憲法25条が保障されないのか」
「被害者ではなく、当事者として発信している。自己責任論者に受け入れられやすい内容」
「内容と筆力に圧倒された」
「自分の腹の底に罪悪感が生まれた」



本当にたくさん泣かされました。ご自身も貧困な中、何かの縁だと100円サポートしてくださった方がいて、金額じゃないと本当に思ったし、温かいお気持ちがダイレクトに伝わりました。メッセージが止まらず、ひとつひとつまたゆっくりと見返しては胸が熱くなります。本当に支えられています。これからもよろしくお願い致します。


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