【過去と現在位置】その1

ご無沙汰しておりますが,Maverick_盧です.
今回は,過去と現在位置ということで,最近高校時代の自分のアウトプットを見つけて,今の自分から見て,ちょっと衝撃的だったので振り返りたいなということです.
(その1と書きましたが,2回分くらいの想定をしています.いずれも,新聞への投書に関するものです.)


1回目は,2015年6月13日に書いた,沖縄普天間基地問題に関する投書です(なお,一応お断りしておきますが,ここに載せている以上,というか当然,掲載はされてません).

当時(高校1年)の原文

まずは原文をのせてみます.

私はニュースで沖縄県普天間基地の辺野古への移設計画について多く見聞きしました。
沖縄では、前回の知事選、ならびに前回の衆議院選挙で移設反対派を選出するなど、沖縄県の皆さんは全体として辺野古への移設に反対しています。にもかかわらず、安部政権は、普天間基地の危険を除去するためには、基地を移設するしかないが、県内移設しかできない、などと言って頑として受け付けません。沖縄県の皆さんの大部分が、このように反対されているのに、受け付けない。これも、よく言われている「民主主義の堕落」、の一つではないでしょうか。
沖縄県の皆さんが望んで建設された基地はありません。現在でも日本にある基地の70%以上が沖縄県に集中しているにもかかわらず、普天間基地が返還されるにしても、これ以上、基地を増やすことは酷であると思います。
以上より、私は、安部政権は沖縄県民の声を聞き入れ、県外移設などといった柔軟な対応をすべきだと思います。


振り返ってみると

感じたことは3点あります.

良かった点
1. 自分の遠くにあるものに,関心を持っていたこと

良くなかった点
1. 実情を知っていない,特異性をもっていなかったのに,他人事を書いたこと
2. 論理とか,理由とかをわかっていなかったこと

これらについて順に述べたいと思います.

▼良かった点:自分の遠くにあるものに,関心をもっていたこと

当時の僕は,15歳で,高校に入学したところでした.
コミュ障で,あんまり友達もいなくて,クラスと少し距離があって,非常に繊細な時期だったと記憶しています.

そんな僕は,(一般的な高校生とくらべてみれば,)どうやら社会への関心が高かったようです.ませたもので,沖縄という根深い問題を精一杯に述べんとしていたこの文章からは,自分が直接かかわっていないような,普通に考えれば遠い世界のことを,まるで自分の身が傷むことであるかのように,「民主主義の堕落」とぶった切る.
その,無鉄砲でさえある想像力,関心,理不尽へのアンテナは,今も相変わらず高めであるように感じます.

ただ,このことの負の面もあるということを次以降で述べたいと思います.


▼良くなかった点1: 他人事だったこと

良かった点で,「無鉄砲でさえある想像力」という言葉を使いました.
関心はあるのに,それは自分の頭の中で創り出した,仮象に対する理不尽の感知でしかなかったし,今でもそういう部分が多くあるということ,です.

どういうことか.例えば,「沖縄県の皆さんは全体として辺野古への移設に反対しています。」という文言がありました.これは,それこそ,新聞にあったことや,その他ニュースで知った二次情報の”事実”に対して,自分の解釈を述べただけでしかありません.

僕は沖縄出身ではありませんし,
実際に行って自分の目で見たこともありませんし,
自分の身近な人が沖縄にいて,この問題にかかわっているわけでもなく,
もちろん,アンケート調査をして生の声を回収することなど,一切していません.

自分がそのように語るべき資格がない状態で,つまり「全体」というヴェールに隠して何も寄り添うことなく,自分自身の目的のために自分自身の擁護をしているという状態で,大胆にも,「民主主義の堕落」とまで言って見せた,と.何も変えようとはしていなかった.

かくして,ほかでもない「僕が」この文章を書いて投稿しようとした意味は喪われたのです.逆に言えば,第一次情報で語ることと,「思い」を持っていることの大事さをその後,今までに認識することができたということでもあります.


▼良くなかった点2: 論理が不十分だったこと

理由がなかったこと.
例えば,「頑として受け付けません」だから,「民主主義の堕落」だ.ということは,わからなくもないけれどロジックが足りません.今改めて考えると,ここでは,民主主義が,全て市民の声を聴くものだ,というのが前提としてあって,それにもかかわらず,選挙によって示された「民意」を「頑として受け付けない」ことが民主主義の理念と反しているという点で,堕落しているということを意味したかったのでしょう.もちろんこれも一つの見方かなぁとは思われます.

この時はバイアスがかかっていたのかもしれませんね,自分が持っている情報が反対派の人たちの声と,その選挙の結果だけだったのかもしれません.

実際,辺野古への移設が賛成できる理由もあるわけですし,歴史を考えたうえでの政府の総合的な判断があったわけでもあると思います.様々な,人たちがいて,その結果として,多数派が存在して,選挙の結果が出た.でもその裏には少数派として失われた「結果」というものがあったということへの想像力はここにはなかったということです.だからこそ,必要な論理のステップが分かり切っていなかったのでしょう.

もちろん,この点,視野狭窄な点については今でも,そして今後も問題になっていくし,人生を通してずっと改善し続けるものなのかなぁと思っています.


今の考え

このような振り返りを踏まえまして,今敢えて,自分が持っている意見を書いてみたいと思います.ただ,まだ僕は沖縄へ行ったことがなかったりするので,正直,「良くなかった点1」に書いた問題については改善されていません.

とりあえず2点あります.

1つ目は,理想のお話で,基地負担の分散化を図るべきであるということ.

日本は地政学上,リスクが常に一定ある国だと思います.また,歴史的にも,平和を志すという点でも,まだ合衆国との同盟・ひいては基地をはじめ米軍が駐留することは重要と思われます.

僕が守られているんだという意識をもって,ぜひ米軍の皆様には,いていただきたいと思うわけです.それはどれくらいの割合かはおいておいて,一定数の日本人がそうだと思います.

だからこそ,誰かは負担をしなければならないと思われます.今は,沖縄の皆さんに負担を慎んでお願いしたいということです.でも,負担割合がかなり大きい中で,何とか本土という選択肢も含め分散化を図る必要があるとは認識していますし,それが理想だと考えます.


2つ目は,現状を踏まえたことで,関心を持ち,可能な負担をもっとするということ.

1つ目に述べたことは理想ではありますが現実問題どれくらい分散化ができるのかということはあると思います.集積していることによるメリットや,強さというものもあるのだと思います.また,沖縄県において,米軍が駐留することによって回っている経済もあるということは,事実ではあると思います.

だから,方向性としては,まず,関心を持つこと,そして可能な負担をもっとするということが重要と思われます.
関心を持つことについては,実際にその地を訪れることもそうですし,そこに住む人の話を聞くこともそうだと思います.そうやって,その場で消費をして経済を支えるということでもあると思います.また,米軍と一緒に歩んできた沖縄だからこそ存在する文化というものに触れるということもそうだと思います.
可能な負担をもっとするということについては,今の時点でも税金ひいては地方交付税などによって,金銭的な部分での負担は本土の人達もしていることだと思います.でも,例えば,基地が近くにないながらも安全保障というサービスが提供される人たちに焦点を当てて,負担を求めているものは(おそらく)ないと思われるので,そのような形態で負担者を明確にした住民税的な租税を期待してもいいのかもしれないなと考えています.


いったん,考えていることは以上です.


最後に

振り返りをすることは,ものすごく有意義だなぁということを改めて感じました.ちゃんとアウトプットを残してきた,自分に感謝したいし,それをちゃんと糧にして進んでいきたいなと改めて思いました.

自分が進んだところ,まだまだ進歩が必要なところを少し明らかにすることができたなと思うので,今後も精進していけたらなと考えています.

自分の整理のために書いた感じになってて申し訳ないです.でも,なかなか高校時代のアウトプットを5年後とかに振り返ってる人も少ないと思うので,何か参考にしていただければ幸いです.

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