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自分の音楽活動と障害(ASD+躁うつ)のこと 

(写真は、写真家の船木和倖さん撮影のものです、ありがとうございます)

前半が最近の音楽活動のこと。
後半からひたすら、精神障害と自分の音楽活動についてを書いています。


去年末から、活発に音楽をやっています。

自分の一番やりたいことは音楽だから、
自分の音楽のことを生活や思考の一番に置いてやろう!と腹を括った結果なのか、この頃は出す音が変わってきて、以前よりも良い演奏ができるようになってきました。

それとリンクしているかのようにライブなどのお誘いを受ける機会も増えて、たいへんありがたいです。

ライブは月1回ペースを基本でやってますが(体調面と集客面が理由です)、2月・3月と例外的に2本ずつ計4本決まっています。

4月・5月も今お誘いいただいていまして、繰り返しになりますが、ありがたい限りです。ありがとうございます。

關伊佐央さんのYouTubeチャンネル・FPBNにおける、坂口の新作のレコーディング生配信も1月は2回やらせてもらいました。
2月にも1回予定しています。
(スケジュールはXなどをご覧ください)

https://x.com/skgtrnoske?t=f_EZVqbPKlzL8FVi7n6qEg&s=09

練習のためにスタジオも週1〜2回入り、日々音楽研究(音楽を真面目に聴くことですが)、ライブも月に2〜4本ほど観に行けています。

楽しいから、やりたいからやってることではあるのですが、以前よりも、さらに生活を音楽中心にチューニングできていることがたいへん幸せです。


しかし。
油断すると即、過活動→体調悪化→入院、のキツイ流れが待っておりますので、休息を取ることをめちゃくちゃに意識しなきゃいけない。こういう時に調子に乗るとダメなのです。

自分は、

・双極性障害(躁うつ病) 

・発達障害(ASD=自閉症スペクトラム。アスペルガー症候群)

の二つの障害を持っています。
双極性障害は後天的なもの、
ASDは先天的なものです。

ASDの特性のひとつで、対人の場面では緊張して脳が疲れやすく、そしてそれにも関わず、双極性障害の特性+自分の性格で躁のときは人に会いたくなってパッパカパッパカと、馬のように出かけてしまう。
そして過活動になると、パタリと倒れ込み、鬱に転じて動けなくなる。

その、馬(=躁のときの自分)をいかに手懐けるかが自分の課題で。

その手懐ける手段は、毎日の服薬だったり、活動回数の記録だったり(自分の場合、活動は週4回が限度だと判明しました)、福祉や医療の方との話し合いの中での自身の客観視であったり、考え方や意識の改革だったりします。

馬が以前よりも少しずつ手懐けられるようになってきたのが去年の下半期でした。

体調が悪いと、一番好きなこと=音楽がやれなくなるので、体調管理は強く意識していますが、それでもうっかりすると過活動になる。今年の1月も一度それで崩していました。

ライブも本当はやれることなら月5本くらいやりたいですが、それは今後の人生で叶うことはおそらくないでしょう(体調を崩す)し、音楽をやるうえでのハンディキャップ、生きにくさは感じています。

ただ自分の場合、そのことを嘆く段階は過ぎたみたいで、そうした意味では障害の受容、自己受容はだいぶ出来てきたようです。それは、これまでサポートしてくださった方々のおかげだと感じています。ありがとうございます。

加えて、先程はあえてハンディキャップと書きましたが、物事は多面的なものなので、ハンディキャップに感じていることも、実は視点を変えれば強みだったりもする。

自分にとって、自分の障害はアイデンティティのひとつです。切っても切り離せないものです。(障害を持つかたに対して、自分のこの感覚を強いることは、決してできないし、したくないし、してはならないことですが) 

診断名が、というよりは、この自分の不器用な脳みそがアイデンティティ、というニュアンスです。

ASD+躁うつのこの自分の脳が、自分の心であり、自分の思考を決定付けているわけで。
また、ASDも双極も、風邪のように治るものではなく(双極は寛解の概念はありますが)、付き合っていかないといけないものですし。

自分の障害が(脳の在り方が)自分の音楽に与えている影響はかなり大きいのは明白で、それは歌詞だけでなく、音のひとつひとつにまで、滲んでいるはずです。

そして僕はいまは自分のつくる/演奏する音楽のことが好きです。それは幸せなことだと思います。
自己受容できていて、アイデンティティとまで言ってしまえるのは、音楽のおかげでもあると思います。


ミュージシャンと精神障害というのは密接につながっているテーマの割に、語られることの比較的少ないテーマだなとも感じています。

自分自身、障害をオープンにして音楽活動をすることに関しては昔は抵抗がありました。音楽と障害を結び付けられて、偏見を持って聴かれるのではというふうに考えていたからです。

しかしいまは、障害も含めて自分自身だと思っています。加えて、すこし棘のある書き方にはなりますが、差別や偏見を持つのは相手がたの問題であり、僕の問題ではないな、と。もちろん反省する必要のあることは反省しますが、障害を持っていることその事自体は反省のしようがないのです。

精神障害の支援の場においては当事者活動という概念があるのですが、自分も障害をオープンにして音楽活動をすることは、当事者活動の一環としても考えています。なので、同じように障害を持つ方に自分の活動でなにか感じてもらえたら嬉しい、というような気持ちも、少しおこがましいですがあります。


以上です。
とりあえずガッと今考えていることを思うままに書いてみました。
このテーマに関しては常日頃考えていることなので、また書くかもしれません。
文章にはまだまだ至らない点もあるかと思いますが・・

お読みいただきありがとうございました!

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