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「ふたりエスケープ」の感想を書く

締切りに追い詰められている時、仕事に行き詰まった時、誰だって現実から逃げ出す誘惑に駆られる。でも実際に逃げ出せることはそう多くはない。逃げたところで最後には追い付かれることは分かっている。だから結局は逃げない。しかし不思議なことに、そんな逃げない自分は誇れるものではなく、むしろ逃げられなかった自分を情けなく思ってしまう。

ふたりエスケープはそんな葛藤への清涼剤だ。メールを見たくない。スマホをぶん投げたい。金沢に行きたい。主人公の漫画家とその相棒の「先輩」は、そんな願いを代わりに叶えてくれる。ただ叶えてくれるわけじゃない。私たちが抱える葛藤ごと逃げた時の道を辿ってくれる。

確かに、そう確かに、悲しいことに私たちには、この主人公の現実逃避を唆し、導いてくれる金髪美少女であるところの「先輩」の持ち合わせがない。私たちには、周囲にはなんの変哲もない飯を食べるおっさんにしか見えなくても、心中で自分だけの物語を展開するゴローちゃんのような、ささやかな現実逃避が実際のところなのかもしれない。そんな私たちには、彼女たちに感情移入する資格はないのかもしれない。

でも違うのだ。聞いてほしい。いや、聞いてアロエリーナ♪だ。相手が植物であろうと無機物であろうと、私たちは対話によって物語を紡ぎ、世界を創造することができる。そこにいるのは夜な夜なダイエット食品に話しかける疲れたOLではなく、悩み事を聞いてくれるぷるんとした妖精さんと、何にでも心を開く心根の明るい悩める少女なのだ。ゴローちゃんが食べ物との対話によって自身の趣味嗜好を発見再確認していくように、対話の先には常に「私」が存在する。

「私」は物語の本質であり、世界の真実であり、それを決めるのも「私」だ。現実から逃げたいと思う時、私たちがなりたいと思う「私」とはなんだろう?


金髪美少女に決まっている。
当然すぎるくらいに当然の真実だ。

だから主人公は常に締め切りに追われる者たちの総体とも言える漫画家であり、その相棒は主人公に寄生して生産活動を一切しないニートの金髪美少女こと、先輩なのである。私たちの対話相手として、なりたい「私」として、これほど相応しいものはない。

一見、こんな奴らおらんやろとも思える設定が意外にもスッと入ってくるのは、そういう理由だ。摩訶不思議にも美少女2人の無軌道な日常こそが、おっさんの心根を描き出す。「美少女で」描いているのではない。「美少女だから」描けるし、「美少女」でしか描けないのである。

それがおっさんたちの理想の世界線、シュタインズゲートなのだから。


『ふたりエスケープ: 1【イラスト特典付】』 

ふたりエスケープ: 1【イラスト特典付】 (百合姫コミックス) 田口 囁一


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