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真理の探求と、その限界について ≪目安時間5分≫

 真理とは何だろうか?

真理を知れば全ての物事の根本を知ることができるのではないだろうか…。早速、真理の探究に取りかかってみましょう。物事の目的を遡っていけば、その終着点に真理があるはずです。

人間はなぜ存在しているのか?

人間はこの世界が存在するから生きている、我々は常に相互依存の関係にある。

この世界はなぜ存在しているのか?

宇宙が始まる以前の無の状態の均衡が崩れ、対立するものが生じたから

無はなぜ対立するものを生んだのか?

なぜ?

果たして目的などあるのだろうか。目的の終着点に真理はなく、結局疑問の前で立ち尽くすことになりました。しかし、別の疑問が生じてきます。

なぜ目的の終着点に辿り着けないのか?

恐らく、その理由こそが真理なのでしょう。

真理は「無」である

物事の目的を遡っていくと、必ず宇宙の始まりという問題に直面します。生命を創り出すきっかけとなったビッグバンはなぜ起きたのか。それは分かりません。

ではなぜビッグバン以前のことが分からないのかというと、ビッグバン以前は対立が一切なく、分けられるものではなかったからです。

分けられないもの、区別できないもの、何の特性も持たないものをわたしたちは「無」と呼びます。そしてそれこそが真理でした。目的の終着点は「分からない」だったのです。

真理は説明できないもの

「無」とは何らの特性を持たないものであると同時に、すべての特性を持つものです。つまり、「無」を白いとか黒いとか、存在するとか、しないとか言っても「無」はそのどちらの特性も持っていないし持っているのです。

眠っているときの「無意識」を想像してみてください。わたしたちは「無意識」が存在するのか存在しないのかということすら認識できません。「無」とは区別ができないものなので、説明したり表現することができないのです。

「無」を言葉で説明をしようと考えている時点で「無」を区別していることになり、「無」の本質を説明することはできなくなります。

なので宗教家は「”その境地”にたどり着くためには頭で考えてもだめだ。ただ実践の中で体験するしかないのだ」と言います。

仏教の”法”も、キリスト教の”愛”も、東洋思想の”道”もそれはすべて「無」という真理について語っているものなのだと思います。

さて、ここで新たな疑問が生じてきます。

人はなぜ分けられていないものを説明できないのか?

その答えは、人が分けられているものだからです。

人は「無意識」の状態を説明できないように、「無」についても「真理」についても説明もすることができません。しかし私たちは「無」から生まれたので、私たち自身が「無」とも言えます。「無」はその最小の点でさえも無限です。なぜなら、小も大も「無」の中に含まれる特性だからです。つまり「無」のほんの一部でも私たちの中にあるということは、私たちは「無」であり「真理」そのものなのです。

しかし、人間を含めたすべての生物にとって、この世界は区別によって存在しています。いくら人間に「無」が含まれているからといって、区別しないことが本質の「無」からは本質的に遠く離れている存在になってしまいます。それゆえ、人間は自分の中の「真理」に気付くことができません。

人間は区別することが本質なので、「無」の特性をも区別します。本来それは区別できないのですが、人間は自分自身の性質に従って「無」の特性を区別しようとします。たとえどんなに素晴らしい宗教家が真理について語ったとしても、それは人間の区別できる点について語っているのであって、真理については何事も言っているのではありません。これが、人間が真理を説明できない理由です。

真理を知るとき人間はどうなるのか

真理は区別することができず、説明することもできないのですが、真理を体験することはできます。それは睡眠中や一種のトランス状態のときです。真理を体験するときというのは、人間の本質である、区別することを超えて、「無」の性質である非区別性の中に溶けこんでいるときです。つまりそれは、自分が今起きているのか眠っているのか、生きているのか死んでいるのか、過去か未来か、意識しているのか無意識なのか、意味があるのか無意味なのかという区別もなく、ただ「無」のなかに溶け去っている状態ということです。これは「個」の死であり、消滅です。真理を知るとき、人間は人間であることをやめなければならないのです。

対立する真理

さて、ここまでで真理の特性が区別できないものだということが分かったと思います。しかし、人間の本質は区別することなので、私は真理の特性を区別しなくてはなりません。その特性とは次のような「対立の組」で表すことができます。

活動/停止
陰/陽
充満/空
生/死
天使/悪魔
明/暗
エネルギー/物質 など

これらの対立の組は人間の中にも宿っています。人間は「無」から生じたという意味では真理そのものなので、このような特性をすべて自分の中に持っているのです。しかし人間の存在の基礎は区別することにあるので、それらの特性を区別し、分離し、名前を与えます。従って、それらは相殺されることなく、活動しています。人間の中の真理は分裂しているのです。

もし私たちが善や美を望むとき、同時に悪と醜とを掴むことになります。生きているものは死にます。光があると影があります。人間はそうやって区別することで、「無」の中に溶け去ることなく生きていくことができるのです。

主な参考文献
・ユング自伝 2―思い出・夢・思想 単行本 – 1973/5/11カール・グスタフ・ユング (著)
・老子 (ワイド版岩波文庫) 単行本(ソフトカバー) – 2012/4/18蜂屋 邦夫 (翻訳)
・スジとツボの健康法―生命のひびき 単行本 – 2010/2/1増永 静人 (著)
・神は妄想である―宗教との決別 単行本 – 2007/5/25リチャード・ドーキンス (著), 垂水 雄二 (翻訳)

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