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幽霊の正体は認知的錯覚

日本人形をゴミ箱にぽいっと捨てることができないのは、「そんな罰当たりなことしたら日本人形に呪われるかも」と思うからではないでしょうか。はたしてこの心理とは一体何なのか、考察していこう。

無機物にも意思があるように感じる心理

物に魂が宿っているかも、と感じてしまうのは、認知的な錯覚によるものである。つまり、生きていない物(無機物)の中にも意図・願望・信念を見てとり、その心理状態を感じずにはいられないという心理である。

例を挙げて説明しよう。

窓を閉めた部屋に一人でいるときに、窓際にかけていた風鈴が急に鳴った。窓を閉めているから風は吹かないはず。なぜ風鈴は鳴ったのか。その時、親から電話がかかってきて、祖母が亡くなったことを知らされる。そして、風鈴が鳴ったのと祖母が亡くなった時間がほぼ同じだということを知る。

するとどうだろう、祖母は自分が亡くなったことを知らせるために風鈴を鳴らしたのだと感じざるをえないのではないだろうか。

この認知的な錯覚は、人の危険認知機能が過剰に働くことが原因である。

わたしたちの遠い祖先は、捕食者のたえざる脅威にさらされていた。木の実を拾っていたら茂みから急にトラが飛び出てきて殺されてしまうかもしれない。鬱蒼とした木々の下で寝転んでいたら毒蛇が落ちてくるかもしれない。

こういった危険から身を守るため、人類は物の動きや音を、無害ななにか(たとえば風)によって生じたと思うよりも、危険な生き物によって引き起こされたものとして認識するような一種の即応的な機能を進化させたのである。

近くの茂みがガサガサと揺れた時、私たちは「風で茂みが揺れた」と感じるよりも先に「動物が茂みを揺らしている」と感じる。なぜなら風よりも動物のほうが危険であり、茂みを揺らしたのが動物の仕業とするほうが危険に早く対処できるからだ。また、そうした察知機能を身につけていたほうが、自然と生存率は高くなるので、人類は自然淘汰的にそういった危険察知本能を獲得していったと考えられる。

そしてこの危険認知機能が、過剰に働くことにより、物に魂が宿ると感じてしまうのである。

非物理的存在はいない

深夜の山奥、トンネル、廃墟などのいわゆる心霊スポットと呼ばれる場所は、たいてい光が届かない薄暗い場所か、人気少ない場所か、過去に人が死んでいる場所である。特に暗闇は、人間の危険認知機能を過剰興奮させるにはうってつけだ。

人間は暗闇に目を向けても何も見ることができない。そんな何も見えない暗闇から、急に獰猛な動物が襲い掛かってきたら、何の抵抗もできず、あっけなく殺されてしまうだろう。

そういうわけで人間は、暗闇をみるとき「何かが出てくるかもしれない」と、常に危険認知機能を過剰に働かせる。そして危険認知機能に人間の豊かな想像力が合わさることで、脳がさまざまな非物理的存在(幽霊・おばけ・妖怪)を生み出してしまうのである。

窓が締まっている部屋で風鈴が鳴ったときに、それを非物理的存在の仕業だと感じてしまうのも、この心理が働くからだ。

もし風鈴が鳴ったことを説明できる物理的存在(動物)や物理現象(風)を認められなかった場合、わたしたちは危険認知機能を過剰に働かせ、非物理的存在(幽霊・おばけ・妖怪)の仕業だと、簡単に説明付けるだろう。風鈴を鳴らした本当の原因が、外を走るトラックの振動によるものだったとしても、それに気が付かなければ、風鈴を鳴らしたのは幽霊の仕業となってしまうのだ。

神経質な霊能力者(実録)

世の中には、霊視したり、霊と会話したり、霊を憑依させたりする、いわゆる霊能力者と呼ばれる人がいる。

昔、興味本位で霊能力者に守護霊を見てもらったことがあるのだが、その霊能力者いわく「幽霊は視界の端でしか捉えることができない」そうだ。

なぜ視界の端でしかとらえることができないのかというと、恐らく、視界の端は危険認知機能が過剰に働きやすいポイントだからだと思われる。視界の端とは、認識できるギリギリの範囲であり、そこで得た情報は無意識的にいち早く脳に危険を知らせてくれる。幽霊が視界の端には映るが、正視すると消えるというのは、きっとそういうことだろう。

ちなみにその霊能力者は、霊視をした後はとても気分が悪くなると言っていた。危険認知機能を過剰に働かせるということは、自律神経の失調(交感神経の過緊張)を引き起こすので、そのせいで気分が悪くなるのではないだろうか。

また、霊能力者とまではいかなくても、人の言動に過敏に反応したり、いつも人の顔色を気にしたりする神経質な人は、危険認知機能が過剰に働きやすいため、ある意味、霊感が強いと言えるかもしれない。逆に言えば、無神経な人は霊感がない人といえるだろう。

まとめ

幽霊?上等じゃ、かかってこんかい!

参考文献
ヒトはなぜ神を信じるのか―信仰する本能 単行本 – 2012/8/1ジェシー ベリング (著), Jesse Bering (原著), 鈴木 光太郎 (翻訳)

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