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山崎 仁史「子どもを変える体操」

1.世の中を子どもの身体から変える

近年、ゲームの普及や新型コロナウイルス感染症流行に伴う外出自粛のため、外で体を動かす機会が減り、子どもたちの運動機能の低下が一層懸念されるようになっている。

運動機能の低下は、姿勢の悪さや疲れやすさなどの症状をもたらすだけでなく、転倒や骨折のリスクが高まり、大きな怪我を誘発しやすいとさえ言われている。

こうした問題に対し、「世の中を子どもの身体から変える」という理念を掲げ、挑戦を続けているのが、「やまちゃん」こと、山崎仁史(やまざき・ひとし)さんだ。

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山崎さんは、高橋龍三氏から学んだ「体軸理論」をもとに、予防医学から生まれた「体軸体操」を考案し、正しい身体の使い方の知識とスキルを年間2000人以上の子どもたちに届けている。

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2019年には、福井県敦賀市に小学生向けの身体づくり教室であるこどもの運動学習塾 体軸スクール NEST(ネスト)」をオープン。

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さらに、今年4月からは同敷地内に児童発達支援NEST Care(ネストケア)」を開所するなど、精力的な活動を続けている。


2.大好きな祖父の病

山崎さんは、1988年に福井県敦賀市で3人姉弟の長男として生まれた。

姉とは7歳ほど離れていたため、小さい頃はひとりで遊ぶことが多かった。

「近くにある公民館の庭への道が険しくて、そこへ行って、見えない敵と闘って帰ってくるという一人遊びをよくしていました」

小学校4年生から2年間は、地元のスポーツ少年団でバドミントンを習った。

当時から走るのは速かったようだ。

中学へ入ると友だちの誘いでバレーボール部へ入部。

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キャプテンを務め、土日も部活の練習に励んだ。

「市の大会では優勝することもありましたが、県大会では負けていました。夏の最後の大会の練習試合で部のエースとぶつかって右肩を脱臼して出場できなくなってしまったんです。3年ほど前、彼の結婚式に呼ばれたときも未だそのことを謝罪していて、いまとなっては笑い話ですよね」

高校生になっても副キャプテンとしてバレーを続けた。

転機が訪れたのは、卒業前に祖父が「じん肺症」となり在宅酸素療法をするようになったこと。

「両親が共働きで、小さい頃から祖父母に育てられたこともあって、爺ちゃん婆ちゃん子だったんです。爺ちゃんは酸素がないと生活できない身体になってしまったので、『何とか救いたいな』と思っていました。また、中学で脱臼したときに病院のリハビリで完治した経験が印象に残っていて、リハビリを受ければ、きっと爺ちゃんも完治するんじゃないかと考えたんです」

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「一刻も早く祖父を救いたい」と3年制の学校を調べ、理学療法士を目指して、大阪医療福祉専門学校に進学した。


3.理学療法士へ

初めての一人暮らしで親の有り難さも感じながら、専門学校での学びを続けた。

理学療法士には身体の知識だけではなくコミュニケーションも大切であることを病院実習では学び、人と関わる仕事であることを再認識したようだ。

卒業後は福井県に戻り、実習で行っていた市内の病院へ就職した。

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就職時の面接で落ちてしまったが、実習経験があったことから1年間は契約社員として、その後は正社員として寮生活を送りながら働いた。

救急車で搬送される人や、緊急入院や緊急手術などが必要な人が利用する「急性期病院」だったため、必然的に「死」と直面したさまざまな現場を目にするようになった。

働いて1年が経った頃、大好きな祖父が他界

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理学療法士になったものの、祖父に対して何のリハビリも施すことができず、山崎さんは自分の無力さに打ちひしがれた。

病院で亡くなっていく現場に立ち会うたびに、祖父のことを思い出し、「いったい何ができるのか、リハビリの価値とは何か」を自問自答するようになった。

3年ほど経ったとき、病気になる前に予防する治療である「予防医学」を独学で学ぶようになり、働きながらオステオパシーや東洋医学、ヨガなどを勉強した。

予防医学を実践していくため、仕事とは別に公民館などを借りて、子ども向けに体づくりのワークショップを開催するようになった。

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「あるとき、30人くらいの子どもたちに片足立ちしてもらったんです。60秒間キープできた子が全体の三分の一くらいだったのを目の当たりにして、子どもたちの身体能力が低いことに気づいたんです」

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子どもたちの世代から身体を変えないと予防にならないことを痛感した山崎さんは、子どもに特化した運動教室を開設すること決意。


4.体軸体操を広めたい

すぐにでも独立するつもりだったが、介護事業所の社長から声を掛けられ、27 歳から高齢者のデイサービスへ勤務した。

デイサービスの業務が終わった16時から、子どもの体幹トレーニング専門スタジオである「チャレンジキッズスタジオ」をオープンし、運動をするために必要な身体の使い方を子どもたちに教えていった。

「やりたかったことに近づけてはいたんですが、デイサービスの理学療法士としても働いていたので、続けていくうちに自分のやりたいことに全力で向き合いたいと思うようになったんです。デイサービスの仕事の片手間に子どもと向き合っていた自分が許せなくなっちゃって」

30歳のときに退職し、体軸体操を広めるため、「こどもの身体づくりワークショップ」を全国各地で無償開催することを決意。

SNSを使って呼びかけ、移動費はクラウドファンディングで資金を募った。

37都道府県を巡り、さまざまな子どもたちと出逢うなかで、山崎さんは着実に支援者を増やしていったようだ。

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さらに、新型コロナウイルス感染症の拡大により、外出自粛や休校措置が続くようになると、昨年4月からは子どもたちにオンラインでの無料の体操教室を開催し始めた。

再びクラウドファンディングで支援者を集め、述べ1000人以上の子どもたちが参加することができた。

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「去年はコロナで思うように全国を周ることができず、歯痒い思いをしていましたが、自分が周れないなら、各地域に体軸体操を子どもたちに届けてくれる人を増やせば良いという発想に至ったんです」

オンラインで受講できる「体軸ファシリテーター(体軸体操指導者)養成講座」を開講したところ、現在まで300名を超える指導者が誕生していると言うから、その人気の高さに驚いてしまう。

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特に「体軸スクール」は文部科学省認定講座に選ばれるなど、体軸体操は近年ますます多くの人が求めるようになっている。

「縄跳びが飛べるようになった」「運動が好きになった」など、子どもたちから寄せられる喜びの声がいまの山崎さんを後押ししていることは間違いない。

「将来の夢は、体軸体操がラジオ体操を超えることです。世界中の子どもたちがこの体操をやっていることを夢見ています。日本発祥であるこの『体軸体操』を、子どもの身体づくりの分野で世界一にしたいと考えています」

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山崎さんは、もう既に遥か先の未来を見据えている。

そんな果てしない夢に対して、嘲笑したり罵倒したりすることは簡単だ。

でも、それは本当に叶わない夢なのだろうか。

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山崎さんの、このスピード感はどうだろう。彼の行動力を見ていると、遙か先の夢さえも、子どもたちに人気の「10秒アクション」のように、あっという間に近づいてしまう気さえしてくるから不思議だ。

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本当に「体軸体操」は、世界のスタンダードな体操のひとつになるのか。

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こんな壮大な実験を、いまこの時代に傍で目撃することができる僕らは幸運な存在なのかも知れない。


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