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珈琲と語学講師


#私のコーヒー時間

 「ブレンドお願いします」、そう言って、私はその珈琲ショップで一番安い珈琲を頼んで席に陣取る。珈琲ショップで待ち合わせて私は、生徒にロシア語を教えるのである。

 珈琲好きの私だが、喋りっぱなしで美味しい珈琲を楽しむ余裕がない。珈琲はいつも冷めてしまい美味しくも感じないので一番安い珈琲で済ませてしまうのだ。 

  中学生にロシア語を教えていたことがあった。その子との待ち合わせはいつも駅ナカの珈琲ショップだった。その子は珈琲さえ頼まず、「先生、こんにちは」と言うなり、教科書とノートを広げる。

 私は次から次へと彼女に知識を詰め込んでいく。みっちり1時間ロシア語付けの彼女に、ドーナツと珈琲をご馳走しようとしたら、「まだ、珈琲が飲めないんです」と言う。珈琲が飲めるようになったら、また会いたい。一生懸命な丸い瞳が懐かしい。

その後、何人の生徒を珈琲ショップで教えたことだろうか、様々な世代の人を教えた珈琲ショップ。席を確保するだけのために頼んできた珈琲。 

  そんな席代代わりの珈琲に飽きて、ある日、本日の珈琲を頼んでみた。馥郁とした香りが立つその珈琲が運ばれてきたとき、思わず、「ああ、いい香り」という言葉が口をついて出た。少し酸味のあるグアテマラコーヒーを口に含むと、珈琲ショップから珈琲ショップへ、珈琲ショップから語学教室へと慌ただしく移動し、頭の中がいつも、教える段取りでいっぱいになっている私の脳が、「ああ、いいなあ珈琲は」というつぶやきとともに、一時なにもかも忘れ、解放されるのだった。少ないレッスンの報酬に対して、本日の珈琲一杯はけっこうな歩合ではあるが、「たまにはいいじゃない」と思える至福の時だ。

  生徒さんを待つ時間、周りを見渡すと、そこには、なにかのテキストを広げた人達が大勢いた。珈琲を何杯もお替りして一心不乱になって頭に何かを詰め込む人たちの、人生の先には、何があるのだろうか…。

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