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Watch Don't Look Up

Watch Don't Look Upを見た。いつかはこうなるのだろうか?
なる気がするから、見てよかった。この時期にひとりで鑑賞。2021の中で自分ひとりの最後の時間になるだろう。
思いをよぎるのは、家族のこととこれから先のこと。現実はこれから、ここから先、どうなるのだろうか。今日こんな時期に一人時間を満喫して家族に対して申し訳ない気もする。間違いない。しかし先のことを考えるとその思いも少し薄らぐ。先のこと。知ることができたらきっと面白くないとは思う。それでも知っておきたいのが大多数であることもわかる。私も知りたい。私に本当のことが知れるチャンス、タイミングはあるのだろうか。また、リアルで本当の情報に触れたときに自分がどういう反応をするのか。今このタイミングでこの映画を観ることができたことはとても幸運に感じる。タイムリーな内容で面白く観れたのは間違いない。観た結果、広がる妄想は陰謀論までたどり着く。今このタイミングにこの映画を世に出したのは誰なのだろう。
聞くこと、見るもの、触れるなにか。聞いただけでは信じられない。まずは触れるまでもなく目にしてみる必要がある気がする。ってことはLook Up派。そうなるともしかしてDon’t Look UpをWatchする側になるのかも。客観的でありたいし、俯瞰で物事を見れる人間でありたい。
日本で分断を感じたことはない。ごく一般的な時間帯で生活をしていないからなのか、分断って日常で意識する機会はないが、日本国内で分断を感じながら生きている人は相当尖っている気がする。それってシリアスなようでいて滑稽なくだらない話のように感じるのだが当事者はきっと大変なのだろう。今現実で信じるか信じないかの二択を迫られている。私は答えを選んだが、それでも焦る気持ちがある。感性が前にいるようではダメで、感性の前に理性を働かせることができるのが超一流だと言ったのは今は亡き野村克也監督だったと思う。聞いた話じゃなくて本で読んだこと。私はまずは理性を探そう。人の理性もぜひ見てみたい。時に理性は感性に負ける。理性を探そうとする私は、ほぼほぼ直感と閃きで大半のことを決断してきた気がする。つまり完全な感性派。感性も理性も大切にして2022年を迎えよう。


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