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だから、ぼくはヒーローになれない episode 7 -取り柄のない僕は何者になれるのだろうかと悩む人のためのビッグデータ的考え方-

こんにちは、イイジマケンジ|kushamiです。

今日は「取り柄のない僕は何者になれるのだろうかと悩む人のためのビッグデータ的考え方」の話。
いよいよタイトルが長くなってしまう。言葉ダイエットをしないといけないな。

気になったときには参考にしているくらい、僕にとっては聖書になっています。まだ読んでない人はおすすめです。
(冒頭から脱線しているが、気にしないぞ!〉

僕は何も価値を生み出していない

大学卒業後、2010年に富士通に入社し、地方自治体向けのシステムの営業として約5年間働いた。本配属から退職するまでずっと愛知県内のある自治体をアカウントセールスとして担当していた。
個性的な上司や、お客さんである自治体の情シス(情報システム)のみなさんに叱咤激励されながら、新卒ぺーぺーが右も左もわからないまま仕事に向き合っていた。
僕は本当に環境として恵まれていたし、今でも当時の先輩やお客さんには感謝しかない。そんな環境がいつまでも続くといいなと当時は思っていた。

ただ、少しずつ理想と現実のギャップに違和感を感じるようになってくる。

「僕は何も価値を生み出していないのでは?」

そこで決断した。転職しよう。
手に職がつけられる職業に就けば、きっと”何か”を生み出せる。そんな希望を持って転職した。

そして僕はPR(Public Relations)の世界に入り、PRの考え方と手法を身につけていった。PRの力をつかって、僕は何か価値を生み出せる。
営業とは違い、自分のアイデアや言葉で人を動かすことができる。プロフェッショナルとして意見が言える。きっとこれは小さいながらも価値を生み出せるようになった。

本当にそうだった。ただ、それだけだった。

僕は何者にもなれていない

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PRや広告などコミュニケーション分野は特に、年齢など関係なく「スキル」「才能」「実績」で勝負していく世界である。PRもいわゆる広告業界の1つとしてカウントされており、様々なアワード・コンテスト・コンペティションが存在している。

僕はそういったアワードやコンテストなどの受賞歴がない。アワードやコンテストをとることが仕事の目的ではないが、やっぱりほしいな、と思う。◯◯クリエイティブアワードでゴールド獲得、◯◯でショートリスト入り、など。

そういった受賞歴や経歴がない者は何者にもなれていない。
それが事実である。僕は何者にもなれていない。

僕の人生のタグラインは「最高のNo.2」である。しかし現実は「ちょうどいい数合わせ」だ。だから、ぼくはヒーローになれない。

同じような気持ちを持っている人は多いのかな。たぶん多いでしょ。
就職活動している大学生でいきなり突きつけられる「お前は何者なのだ」と言われているようなエントリーシート。
システムエンジニアと一緒に打合せ参加しても、ほとんど意見を言えなくて悩む営業。
ひたすら数字を打ち込む経理。雑用ばかりさせられる総務。
君たちは価値を生み出しているか。何者なのだ。

「量は質に転化する」ビッグデータ的考え方

そんなふうに思っている人が少なからずいるならば、ぜひこの考え方をもって自信をもってほしい。
キーワードは”量は質に転化する”

「ビッグデータ」という言葉が浸透してすでに7,8年ほど経っただろうか。
自分にはあまり関係ないと思っているひとがいれば、今回はこの”ビッグデータ的考え方”を勝手に、自己解釈という名のもとに生成する。

例えば、僕の例だ。
僕は輝かしいアワード受賞歴がない。つまり、「質」がない。
ただ、僕には「量」がある。

PR業界に入ってから、300本以上リリースを書いてきた(日の目をみないものがほとんど)。100本以上企画書を書いてきた。プロジェクトも常時7,8個同時にまわしていた。メディアの名刺BOXもパンパンになるくらい(500人分はある)プロモートに精通した。日の目をみない資料も数えれば、数えられない程ある

300、100、常時7,8、500、…

書いてしまえば、たった1行の数字の羅列だけど、ここには僕のPRパーソンとしての5年間が詰まっている。
輝かしいオンリーワンはないけど、確かな数字は揃っている。

僕はこの数字の羅列に自信を持っている。もちろん、価値を生み出していないと思っていた営業の頃に学んだことも、すべて、今では僕という価値をつくる要素になっている。

数字の量は、いずれ質に変わる。

量は質に転化する

1枚ずつ見てるだけだと変哲もないただの馬の写真でも、
それを100枚集めて一気に流すと、ダイナミックな躍動感ある馬の動きが見えてくるはずだ。それが、量が質に変わるということ。

量があれば精度は重要でなくなる。
100枚の写真のうち、フォーカスの合わないボケた写真が入っていたとて全体を見れば大したことはない。1枚1枚は平凡でも、それが大量にあればいいのだ。

やり続けること、量が質に転化するまで信じて走り続けることが大切なのだと思う。当然、1枚1枚の写真の解像度を高める(質を高める)ことを諦めてはいけない。

ビッグデータの本質は、大量のデータを使って、いままでにない新たな価値を生み出すことにある。

僕たちがこれからやろうとしていることは1つひとつは平凡なものかもしれない。オンリーワンではないかもしれない。ただ、それをやり続ければ、きっとそれは質の高い作品となり、誰かを感動させる価値を生み出すことができるはずだ。

そんな考えを持って、これから色んなことにチャレンジしていこうと思う。
あわよくばオンリーワンなものができたらいいな、ってこそっと考えてはいるけどね。


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