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父・母・私 それぞれの料理スタンス

お味噌汁を飲んで、父親が作ったのか、母親が作ったのか分かる。

うちは昔から両親とも料理をする。
ただ、そのスタンスは異なる。



父の料理スタンスは、「とことん追求する」

だし巻き卵に命を燃やし、週末はせっせと器用に巻いている。
食卓では決まって「どや?遠くに故郷が見えるやろ?」と、感想を求めてくる。

父は遠くに故郷が見えるだし巻き卵を追い求めているらしい。
ガリ(生姜の甘酢漬け)の汁を入れるのがポイントで、何が見えるか分からないが、美味しい。

特定の料理を突き詰めるのは、男性によくあることだ。

ある時期の父は、強迫観念にでも駆られたかのように、毎週日曜の夕方になると決まって寸胴でカレーを炊いていた。

カレーはもちろん美味しいが、こうも毎週続くと、たまにはハヤシも食べたい。
不服そうな顔をしてしまうわたし。


普段の料理はほとんど母が作ってくれるが、どうやら「生魚を扱うのは父」という夫婦間の掟でもあるようだ。
さくで買ってきた魚をお刺身にするのは父。

家にお客さんが来ると、父は寿司を握る。
意外や見栄えも良く、沢庵タクアンなんかも綺麗に飾り切りされている。
寿司職人ではない、一般的な会社員の父。

その影響を受け、わたしも自然と寿司を握るようになった。
一人暮らしを始めてからは、みんなで宅飲みができるのが嬉しく、寿司パをしようと友達を呼んだ。
手巻きのつもりで来た友達と、一人握りに精を出すつもりのわたしの間には、齟齬が生まれる。



わたしの料理スタンスは、「新しい文化を取り入れる」

実家にいた時はほとんど母任せではあったが、ごくごくたまに料理をすることがあった。
ヤングコーンとパプリカを我が家に持ち込んだのは、このわたしだと自負している。

憧れのエスニック料理が食べたくて、初めて作って食卓に出した。

母「これは何?」
わたし「ソムタム」

母「これは?」
わたし「ポピアソッド」

母「じゃぁ、これは?」
わたし「プパッポンカリー」

保守派の父は、母の隣で不服そうな顔をしている。





母の料理スタンスは、「自分に出来ないことはない」

怪しい壺で特製ポン酢を作っていた時期もあるし、大根を天日に干して切り干し大根も作っている。

先日実家に帰ったら、琥珀色の液体が入ったコップを「コレ、飲んでみて」と渡され、恐る恐る飲んだ。

ジンジャーエールだった。

え、お母さんってジンジャーエール作れるんや。

外で食べた料理も、真似したらきっと自分にも作れると思っている。



わたしが小学生の頃、母は栗原はるみさんの「ごちそうさまが聞きたくて」という料理本をバイブルとし、シーザーサラダ、カルパッチョなどが我が家の食卓に並ぶようになった。

当時としては、先進的でオシャレな料理だった。

栗原はるみさんのレシピも参考にしつつ、野菜をたっぷり入れてカサ増ししたりと、母なりのアレンジが加わっている。



あれから四半世紀が過ぎた。

先日、実家に帰った時に、母に質問された。


「カルパッチョとマリネって何が違うん?」

え。何その質問。


カルパッチョとマリネが一緒だなんて、考えたこともなかった。

かと言って「いや、そら全然違うやろ!」と言おうかと思ったけど、そこまでのことも言えない。

別物ではあるのだが、具体的に何が違うかを説明する自信はない。

なんやこの絶妙な質問。


「味付けは一緒やのに」と母は首を傾げる。


我が家のカルパッチョは、レタスやベビーリーフ、ブロッコリーなどがしっかりと入り交ざっている。

もちろん美味しいが、外で食べるような、気持ちばかりのオニオンスライスの周りに綺麗に並べられたお魚、とは程遠く、もはや海鮮サラダやな、とは思っていた。

母の質問から10秒の沈黙を経て、ようやく答えた。


「並んであるのがカルパッチョちゃう?」


母はなんだか不服そうだ。



父・母・私の料理スタンス。


時に影響を受けたり、時に不服だったり、相関関係はややこしい。


それぞれがグー・チョキ・パーで、じゃんけんでもできそうだ。

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さて、次回の #クセスゴエッセイ は

「感じる人・感じない人」

をお届けします

お楽しみに〜
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