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財布が消えた真相
浮気にまつわるこんな話をよく聞く。
相手の浮気を疑い、証拠を掴むために黙ってこっそりスマホを覗き見する。
そして、覗き見で得た証拠を相手に突きつける。
浮気をした張本人は、自身の悪事を「そんなことより、スマホを覗き見するなんて最低じゃないか」という話題ですり替えようとする。
「スマホ覗き見」で割引された浮気の謝罪は、100%のごめんなさいにはならない。
幸い、わたしは浮気を疑ったことも疑われたこともなく、スマホ覗き見とは無縁だ。
でも、別のなにかで割引されて100%の気持ちで謝れないような状況に出会ったことはある。
学生時代、パン屋さんでバイトしていた時のこと。
焼きたてのパンには値札の横に「焼きたて」の札を立てる。
焼きたてのパンからは小麦やバターの香りがふわっと立ち込め、サクッとした食感が堪らない。
焼きたて札があると、売れ行きが良い。
ある時、60代ぐらいの男性のお客さまがえらく怒っていた。
「ネエちゃん、これ焼きたてちゃうやんか!冷たい冷たいやん。ほら」
焼きたて札のパンが、もう既に冷めてしまっていた。
焼き上がりから時間が経過したのに、焼きたて札を外すのを忘れていた。
こちらの不手際だ。
お客さまに謝りながらも、学生気分全開のバイトのわたしは、心の中では釈然としない。
いや、そもそも売り物のパンを素手でペタペタ触らんといてくれ
「売り物パン素手ペタ」で割引された謝罪は、100%のごめんなさいにはならなかった。
大学時代はそんな小遣い稼ぎのバイト代を使って飲み会に出かけるのが楽しかった。
まだ適正なお酒の飲み方も身についていない20歳の時、同じ学部の男女10名ほどで飲み会があった。
安い飲み放題で、浴びるほど飲んだ。
ハイボールやレモンサワーは今ほど流行っておらず、ビールの他には若者らしくカシオレやファジーネーブルが人気だったような気がする。
2軒目にも行って盛り上がって、終電ギリギリで解散。
最寄駅から自宅までは普段バスか徒歩で帰るが、終バスは終わっているし、千鳥足の模範生のような足取りで歩いて帰ることもできず、ワンメーターの距離をタクシーで帰った。
アルコールにより眠りが浅かったのか、明け方目が覚めた。
昨日は楽しかったが、なんとなく記憶が薄い。
2軒目の後半は誰とどんな話をしたのか。
お会計はちゃんと割り勘で支払ったのか。
ふと鞄の中を見る。
携帯、鍵、定期券入れ、デジカメ、化粧ポーチ。
無い、財布が無い。
あれだけ飲めば、どこかで落としていてもおかしくはない。
朝イチに心当たりのある場所に片っ端から連絡をした。
昨日行った居酒屋、一緒だった友達、各交通機関、警察、関係ないけど近隣のテナントや施設。
見つかりますようにと祈りを込めて連絡するも、いずれも答えはNO.
そして3日経てど財布は見つからない。
見つかる場合は半日や一日もあれば見つかる気がする。
それがもう3日も出てこないなんて、もう一生見つからないかもしれない。
クレジットカード、キャッシュカード、免許証などの再発行手続きが必要だ。
それに厄介だったのが、健康保険証。
当時父親の扶養に入っていたわたしは、自ら保険証の再発行手続きをすることができない。
事情を説明したら父親にしこたま叱られた。
しょんぼりしてもう友達と飲みに行く気も失せた頃、わたしの携帯に連絡があった。
例の夜飲んだ居酒屋からだ。
飲み会の翌日既に問い合わせの連絡をしていたが、わたしたちが飲んでいた席を中心に、お手洗いや他の席まで調べたけど、それらしき財布は見つからないという返答だった。
でも、わたしはそこで無くした可能性が一番高いと思っていたので、今後もし見つかったら連絡をくださいと念押しして電話番号を伝えていたのだ。
「財布、見つかりました」
わたしはすぐに電車に乗り居酒屋へ向かった。
居酒屋の店員さんから手渡された財布は、今までとなんら変わりない様子。
中を確認すると、証明書類やカード類、現金までそのまま無事に入っていた。
本当によかった。
深々とお礼を言ったあと、わたしは店員さんにある疑念をぶつけてみた。
「ちなみに、なんで3日後になって見つかったんですか?
どこから出てきたんですか?」
「レジの奥の引き出しの奥にありました」
え?そんなのおかしい。
席に忘れたわたしの財布を見つけたバイトの誰かが、対応方法が分からず適当な場所にしまったのか。
なんだか店員さんの態度も釈然とはしないが、とにかく無事に見つかっただけでもよしとしよう。
元々は酔って財布を忘れた自分が悪い。
わたしは来た道を戻り、電車に乗って自宅に帰る。
財布が見つかって安堵するものの、先ほどの疑念がどうしても消えない。
電車の中で悶々とする。
忘れ物の対応方法は普通定められているのではないか。
問い合わせがあった際に備えてスタッフに周知しておく。
特に財布や携帯などの重要物は、鍵のかかる場所で保管する。
一定期間経過した後に警察に届け出る、など。
具体的に定められていなかったとしても、常識的に考えて3日間も鍵のかからないよく分からない引き出しの奥に財布が放置されていたのはおかしい。
この3日間どれだけ不安だったことか。
どれだけ周りに迷惑をかけたことか。
捜索に協力してくれていた友達みんなに、見つかったことを報告した。
報告メールに一人の友達が早速返信をくれた。
あんなに騒がせてしまったのに、見つかってよかったと自分のことのように喜んでくれている。
「で、どこから出てきたん?」
「それがさ、居酒屋のレジの奥の引き出しの奥から出てきてん。変やんな」
「そういえばあなた、お会計の時レジの奥に入って行ってた気がするかも」
わたしだった。
レジの奥の引き出しの奥に、わざわざ財布をしまったのは。
店員さんの釈然としない態度は当然だ。
大切な財布を3日間気づかなくてすみません、という謝罪。
「そもそも客のアンタが何故レジの奥に入ってくるのか」で割引された謝罪は、100%のごめんなさいになるはずがない。
わたしは素手でペタペタ売り物のパンを触って「冷めてる」と騒ぎ立てる客と同じことをしてしまっていた。
いや、違う。
レジの奥の引き出しは、普段そんなに使うことがないのかもしれない。
期限切れのスタンプカードや、次使うための領収書綴りのストックなどが入っているのだろう。
その奥にある財布に3日で気づいてくれたことに感謝しなければならない。
お店側に落ち度はない。
わたしは売り物の焼きたてパンを素手でペタペタ触った挙句、団扇で勝手にパタパタ仰いで冷ましてから、「このパン冷めてる」と怒り散らす客だ。
100%のごめんなさいをするべきは、わたしだ。
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さて、次回の #クセスゴエッセイ は
「偶然のトリック」
をお届けします
お楽しみに〜
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