希少価値たれ
「冷やし中華はじめました」
終わりの時を誰も知らないが、始まりの時を知っている。
冷やし中華は、はじまるから良い。
期間限定。地域限定。数量限定。
これらは、希少価値を構成する要素の一つといえる。
SAPPORO CLASSICという北海道限定ビール。
北海道旅行した時は、サッポロビール園で思う存分堪能させていただく。
北海道のコンビニやお土産屋さんでは、サッポロクラシックの缶ビールが販売されているので、旅行カバンに入る範囲で買い、旅の思い出と共に関西まで輸送して帰る。
北海道限定という希少価値が、さらにビールを美味しくする。
それがここ数年、どうしてしまったのだ。
わたしが住む関西のスーパーやコンビニで、サッポロクラシックをよく目にするようになった。
北海道でしか味わえないはずだったのに。
大好きだからこそ、最寄りのコンビニなんかで、見たくなかった。
サッポロクラシックには、いつまでも、北海道でしか飲めない希少な存在であってほしい。
わたしは、意地でも近所でサッポロクラシックを買わない。
子供の頃、夏休みはよく父親の勤務先の保養所に泊まりに連れて行ってもらっていた。
そこで、わたしは茶蕎麦を初めて知る。
朝ごはんで、焼き魚や温泉卵と共にちょこんと並んだ緑色のお蕎麦は、ほんのりお茶の味がする。
夏休みの思い出も相まって、茶蕎麦が好きになった。
「茶蕎麦っておいしいね」とふと言ったことを、母親が覚えていてくれて、それ以来、我が家の食卓には茶蕎麦を使ったアレンジメニューが登場するようになった。
豚しゃぶ茶蕎麦サラダ。
大皿に茶蕎麦が敷き詰められていて、レタスやきゅうりなどの野菜と豚しゃぶが乗っている。
ポン酢か胡麻だれをかけて戴く。
夏にピッタリのメニューだ。
ただわたしは、年に一度、数十本しか食べられないという物珍しさも含め、茶蕎麦が好きだったのかもしれない。
母親の料理が美味しいからこそ、「母親が茶蕎麦を束買いしているという事実」と「大量の茶蕎麦が大皿の土台にされているという事実」が、苦しくのしかかる。
もう、茶蕎麦から希少価値の高揚感を得られることは無くなった。
今の姿は、これはこれで好きだが、あの頃の茶蕎麦とは別人だ。
友達からこんな話を聞いた。
60代の母親が、田舎からはるばる自宅に来てくれることになった。
張り切った母親は、山を二つ越えて美味しいと噂に聞いた洋菓子を買ってきた、と言う。
母親が名店だというその洋菓子店の名前は、
シャトレーゼ。
山二つ越えなくても、なんなら近所にある。
シャトレーゼは美味しい。
母親の気持ちは嬉しい。
ただ、還暦を過ぎた田舎の母親が、わざわざ山二つ越えて買いに行ってくれたのだ。
その行き先の洋菓子店は、山二つ越えるに値するほどの、希少な店であってほしい。
少なくともチェーン店ではない。
シャトレーゼは全国各地に店舗を展開しすぎている。
優しい友達は、近所にもシャトレーゼがあることなど言えるはずもなく、今後もし母親が近所にシャトレーゼがあることを知ってしまったら、と考えて胸を痛めていた。
シャトレーゼよ、希少価値たれ。
今から近所のシャトレーゼ潰しに行きます。
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さて、次回の #クセスゴエッセイ は
「記憶を消してもう一度」
をお届けします
お楽しみに〜
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