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エレベーター・イップス

閉所恐怖症でも高所恐怖症でもないが、エレベーターが苦手だ。

開閉ボタンのが分かりにくくて瞬時に判断できないし、かと言って◀︎▶︎とか▶︎◀︎も余計に分からない。

このことには何の問題も不満もない。
なぜなら、同じような悩みを誰しも抱えているからだ。





コンパでサラダを取り分けることと同じような感覚で、開ボタンを押すことをアピールしている人がいる。

なんとなくそんな人は苦手だが、わたしだって、アピールではなく、たまたまボタンの前に立った時は、開ボタンを最後まで押し続け、全員を見送ってから最後に降りる。

その時、「ありがとう」とか「あ、すみません」とか会釈するとか、謝意を表することを忘れている人が意外と多いので、そこは何とかした方がいいとは思っている。

ただ、ここまでは何の問題も不満もない。
なぜなら、感謝されなくても、別に損しているわけではないからだ。





しかし、開ボタンを押すことで損をする場面がある。

クリニックが集まった駅前のビルの、定員6名ほどの狭いエレベーター。

何となく先に乗った人が気を遣ってボタンの前に立つ。
そして、後からエレベーターに人が乗ってくる。

この場合、後入先出法が適用され、このビルに到着したのが後だったにも関わらず、先にエレベーターを降りることになる。

行き先が、一人は皮膚科、もう一人は眼科であれば何の問題もない。

しかし、その二人の行き先が同じクリニックだった場合、このビルに到着した順番と、診察券を出す順番が逆転してしまうという悲劇が起こる。

この悲劇を回避する方法はただ一つ。

「先にエレベーターを降りさせてもらった者が、診察券を財布から取り出すのに手こずるふりをし、開ボタンを押してくれた人が診察券を出したことを見届けた後に自分も出す」ことだ。

厳密に言えば、正直に「あなたの方が先だったのでどうぞ」と言ってあげる方法もあるのだが、手こずるという不可抗力を利用した方が、恩着せがましさを回避できるため、よりベターである。

ここまでは何の問題も不満もない。
なぜなら、開ボタンを押すなんてことは任意なんだから、嫌ならばしなければいいだけの話だ。





しかし、開ボタンを押すことが任意ではない場面がある。

会社のエレベーター。

厳密に言えば、エレベーターでの振る舞いがボーナスの査定に影響することはないし、そんなしょうもないことでやっかまれるような職場ではないため、会社であっても開ボタンを押すことが任意であることに変わりはない。

とは言え、エレベーターにも上座や下座があるぐらいで、エレベーターでの立ち振る舞いも社会人としてのマナーであるとされるため、わたしのような若手にとって、開ボタンを押すことは実質不可避である。





少し話は逸れるが、塩胡椒を高いところから振り入れることが、料理上手であることの象徴かのように取り沙汰されている。

元はというと、高いところから振るのは、まんべんなく下味をつけるためだ。

ハンバーグなどはどうせ捏ねて混ざるのだし、調理方法によっては高い所から振る必要など全くない。

それが今や、「満遍なく下味をつけるため」という目的を見失い、ただ「高い所から振ること」が目的となっている。



エレベーターにも同じ事が言える。

そもそも、3人や4人がエレベーターから降りるのに5秒も要しないし、それぐらいの間なら開ボタンを押さなくても自力で開いていてくれる。

大人数が降りる場合を除き、開ボタンを押す必要はないのだ。

しかし、「ドアを開くため」という目的を見失い、ただ、「開ボタンを押すこと」が目的となっている。

それは、サラダ取り分けアピールとはまた少しニュアンスが異なる。

そう、パフォーマンスだ。





エレベーターの中は、ボタンパフォーマーで溢れている。

目上の人と乗り合わせたエレベーターで、押す必要がない開ボタンをパフォーマンスとして押している。

ここまでは何の問題も不満もない。
誰しもがピエロとなり、ボタンパフォーマーに徹している。





わたしの会社のエレベーターは定員17名。

1台につき、右前方角、左前方角、右側面、左側面、合計4箇所ボタンがある。

ボタンパフォーマーになり得るポジションがそれだけ多いと言うことだ。



例えば、わたしが左前方角に立つ時、他の3箇所のうちのいずれかの開ボタンが押されている場合、理論上、わたしはボタンを押す必要はないということになる。

しかし、混み合う朝の出勤時間帯など、開ボタンを他の誰が押してくれているのか視界に入らず、わたしより目上の人に開ボタンを押させてしまっている可能性を拭えない。

ということは、他の誰かが開ボタンを押そうが押さまいが関係なく、わたしはそのことに気づいていないふりをし、常にパフォーマンスをすることが最適解ということになる。

ここまでは何の問題も不満もない。
つべこべ言わずにボタンパフォーマンスを発動させればよいだけの話だ。





しかし、「つべこべ言わずにボタンパフォーマンスを発動させる」だけでは済まない場面がある。

うちの会社のエレベーターは、4箇所のうちいずれか1箇所でもボタンが押された場合、4箇所すべてのボタンが赤く点灯する。

すなわち、すでに開ボタンが赤く点灯している状況下において、わたしがボタンパフォーマンスを発動させる為には、「開ボタンが赤く点灯していることに気づいていない演技」を発動させる必要が生じる。

一般的に、OLの職場での演技力というのは、「隣の部署の雑談を聞いていないふり」や「おもんない仕事をやる気ありそうにやってるふり」をする時のために取っておきたいものである。

正直こんなところで無駄に演技力を披露するのは勿体無いが、背に腹は変えられない。

ボタンパフォーマーにとって、「開ボタンが赤く点灯していることに気づいていない演技」は避けて通れないのだ。

ここまでは何の問題も不満もない。
パフォーマンスをより有効化させるための演技を発動させればいいだけの話だ。





しかし、「パフォーマンスをより有効化させるための演技」の実効性が薄れる場面がある。

わたしの後ろに立つ誰かに、「もうすでに開ボタンが赤く点灯しているのに、さらに被せてわたしが開ボタンを押している姿」を見られている場合だ。

すなわち、わたしが「開ボタンが赤く点灯しているので明らかにもう押す必要は無いのだが、そのことに気づいていない演技をして被せて開ボタンをパフォーマンスとして押している」事実がバレるということを意味する。



これは非常に寒いことになっている。



滑り散らかしている。










こうしてわたしはエレベーター・イップスになった。








わたしは、2フロア上の食堂まで階段を使う。

健康と節電のために「2UP 3DOWN」と謳われているぐらいだ。





4フロア上のシステム部まで階段を使う。

これも日頃の運動不足を思えばちょうど良い。








8フロア上の総務部まで階段を使う。







12フロア上の会議室まで階段を使う。








何の問題も不満もない。




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さて、次回の #クセスゴエッセイ は

「インドカレー屋との攻防」

をお届けします

お楽しみに〜
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