わたしを走らす上司と秘書
「連休の予定は?」
ゴールデンウィークを控えた4月、職場の仲間で飲みに行った際、上司に聞かれた。
「ティラノレースですね」
「ティラノレース?」
ティラノサウルスレースといって、ティラノサウルスの着ぐるみを着て徒競争するものだ。
全国の地域イベントでよく開催されており、メディアやSNSで取り上げられることも多い。
小さく収納されて自由のきかない前足、長くてもげそうな首、フリフリ邪魔なしっぽ。
老若男女が参加可能で、動きにくい着ぐるみで必死に走る姿が愛らしい。
このゴールデンウィークに、わたしは東京に住む友人のつぼみん(仮名)の家に遊びに行かせてもらうことになっていた。
そのタイミングで、埼玉でティラノサウルスレースが開催されるため、付き合ってほしいとつぼみんから打診を受けた。
大型音楽フェスに付随して、横のミニステージでお笑いライブやゆるキャラショーなどのイベントが行われ、その一つとしてティラノレースも予定されている。
わたしは走るつもりはないが、野外キッチンやビアガーデンも併設されるため、行ってみたいと返事した。
気候の良い5月に野外で飲むビールの喉越しを想像しただけで鳥肌モノだ。
ビールのついでにティラノサウルスを眺めよう。
50m走7.8秒のつぼみんの勇姿を。
こうしてティラノレースの観戦が決定していた。
上司にティラノレースの全容について説明を終え、話を続ける。
「友達が走るので、わたしは付き添いで見てようと思います」
「え、走らないの?」
わたしは野外ビールが目的であり、ビールを飲んだ後には走れない。
「それはさ、どういうこと?」
上司は50歳ぐらいの男性。
関西弁ではない。
「見る専門で、写真撮ったりしようかと思いまして」
「見てるだけでいいの?それだけで本当にいいの?」
「友達が走りたいって言うので、わたしは応援担当といいますか・・」
「応援するだけ?じゃあ何のためにわざわざ埼玉に行くの?」
「ビアガーデンとか他にもイベントがあるので、ティラノは、見れたら、まぁ、いいかな、と」
「わたし見てるだけです、ってそんなバカな。埼玉に行って何も残らないじゃない」
「はぁ」
「わざわざ時間とお金をかけて埼玉に行くんでしょ?」
「ええ、まぁ」
「意義が何もないよ。埼玉に行く意義が」
「そう、、ですかね」
「行くからには絶対に着ぐるみを着なければならない」
上司とはこれまで機会がなく、お酒の場でご一緒させていただくのはこの時が初めてだった。
趣味やプライベートな話もあまりしたことがなかった。
普段から上司は、わたし達部下をそっと見守ってくださっている。
とある仕事の際は、「もし失敗したとしても、あなたの責任ではないから、思い切ってやってみなさい」と優しく背中を押してくれた。
それが、ティラノレースのことになると、わたしの背中をゴイゴイに押しに押してくる。
仕事でこんな詰められ方したことがないのに。
上司にここまで詰められたことで、ハッとした。
わたし、恐竜が好き。
忘れかけていた自分の気持ちを思い出した。
ティラノ派よりもステゴ派ではあるが。
背中のビラビラの存在が気になって仕方なく、自分の背中にもビラビラが生えてきたらいいのに、と願っていた頃があった。
中学時代は、実はわたしがステゴサウルスだったら、というもう一つの人生を想像していた。
そんなストーリーを思い描いていた。
そうだ、わたしは恐竜になりたかったんだ。
そして今、恐竜になれるチャンスがある。
それを、野外で飲むビールに目が眩んで、みすみす逃してしまうところだった。
わたしも走りたい。
ティラノサウルスの着ぐるみを着て走りたい。
上司のおかげで、本当の自分の気持ちに気づくことができた。
わたしはいくつかの用件をつぼみんにメッセージした。
「ティラノレースに帯同するだけではなく、参加することで、意義を見出しなさい」と上司からお叱りを受けた。
整理券は朝から並んだ方がいいのか。
もし、二人してティラノに化する場合、せっかくのティラノ姿を写真におさめられない。
わたしも出場する方向で考えたいが、つぼみんの意見も踏まえたうえで決めようと思っている。
つぼみんは大学時代からの友達で、わたしとは業種も職種も異なる。
昨年関西から東京に転勤になり、多岐に渡る業務をこなしている。
お偉い方の秘書としても活躍中だ。
早速メッセージが返ってきた。
上司に続き、秘書もわたしを走らせようとしている。
もう検討している場合ではなく、執行する段階に来ている。
PDCAサイクルを回すのが得意なつぼみんが、整理券配布に合わせて現地に到着するよう、スケジューリングを施した。
そしていよいよ当日。
現地に到着すると、すでに整理券を求める人が列を作っていた。
11時25分からのティラノレースに先駆け、整理券配布は9時開始。
9時定刻、整理券配布開始。
9時4分、整理券終了のお知らせ。
蓋を開けてみれば、大人の参加枠は15名ほどしかなかった。
横のミニステージで開催されるとはいえ、メインの音楽フェスは3万人規模。
あまりに狭き門だった。
休み明け、上司に合わす顔がない。
ティラノサウルスを肴にヤケ酒をあおりながら、上司にどう報告しようか、頭を悩ます。
「何の成果も得られませんでした」と頭を下げる他ない。
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さて、次回の #クセスゴエッセイ は
「隠語で遊ぼう」
をお届けします
お楽しみに〜
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