一期一会の、価値をはかる。
夏に世話になった方のところに、事後手続きに行って…、30分ほど世間話をして帰った話。
桃農家のご老体。
最初に顔を合わせたのは、今年の4月だったでしょうか。仕事で桃栽培を扱うことになり、そこでご老体のお会いしたのでした。
岡山市は県庁所在地とはいえ、市街地から10㎞も離れていない場所には里山が残り、集落では桃や葡萄の栽培がおこなわれています。ご老体はそこで代々桃栽培を手掛ける農家の方でした。
仕事で桃を扱う機会というのはほとんどなく、栽培農地を確保するのに本当に難儀したわけです。なんとか、既知の農機具メーカーの担当者のつてをたよったところ、ご老体を紹介していただきました。そして、ご老体に内容を説明し、協力を得られることになったのでした。
わたしは、極度の人見知りというわけではありませんが…、新しい出会いを楽しむよりは平穏を恃みたい人物ですので、顔合わせは少々億劫ではありました。そういうのもあって、執着の少なさと気さくな面を持ち合わせるご老体には、安心させてもらったものです。
一仕事を終えて…
7月に収穫した桃の残留農薬は”検出限界未満” の結果となり、それを以って、農薬の安全性が確認できました。
なにごともなく終えることができて、一安心です。と同時に、いろいろと無理をきいてくださったご老体には、感謝です。
仕事がひと段落したわけですが、農地の賃借料の支払いが残っていたので、その手続きのために再訪したわけです。
手続き自体はササっと終るものですので、ササっと書面を書いてもらって…。あとは少々世間話をしました。いろいろ桃農家の苦労話を聴かせていただき面白かったものです。
そして、帰路で車を運転しながら考えるのでした。
この出会いとは、いったい何だったのだろうか、と。
再び会うことはあるだろうか
これまでもいろんな人に会ってきました。
いまなお、付き合いのある人は自分の周りにはほとんどいません。連絡をとろうと思えばそれは可能ですが、用もないのに連絡したいとも思わないわけです。
おそらく、ご老体とも同じようになるでしょう。なんとも無味乾燥なことです。もったいないような気はします。
そこで、考えてしまうのです。
果たして、この邂逅には、たいして意味がなかったのでしょうか。
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付き合いの濃い、薄いがあるって、まぁ、それは普通ですよね。
なかには出会ったほぼすべての人と、友人のような付き合いを続けていける人もいるでしょうけど、わたしはそうではないし、多くの人にとっても同様なのではないかと思っています。
では、これらの出会いというのは、一体何か。
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結局のところ、人生の豊かさを成り立たせる一部なのかなと思うのです。
誰かから受け取りさまざまな”一” が積み重なってわたしという全を作るし、わたしという”一” が誰かにとっての全のうちの”一” になる。
たまたま、桃の仕事を得て、ひとの紹介を経て、ご老体にであう。彼との出会いは、ただひとつの”一” にしてそれが尊いのだと思うわけです。
人生の時間の中の一瞬のすれ違いかもしれないけれども、それがお互いの人生を豊かにする出会いであれば、それは素敵なことです。
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まぁ、別に今生の別れだったわけでもないのに。
変なことを考えるものだなと。
そんなことを思いつつも。
偶然の出会いが作った”一” に。
感謝しながら生きていきたいと。
そんなことを思うわけです。
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