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青天の霹靂  (3)

2月の定期健診で明らかな卵巣異常発見。
3月6日。娘二人に来てもらい外科の主治医から画像を示されながら説明を受け、結果的に即入院、翌日卵巣摘出手術。

12日、いったん退院。
18日、外来でCPR検査を受けコロナ陰性を確認。翌日入院。
その夕方に胸に何かを埋め込む手術を受けた。何か、というのは自分でもよく分かっているわけではないから、うまく書けないのだ。
今後の治療で度重なる点滴を受け、血管がぼろぼろになったり、液が漏れたりしないように、『皮膚埋蔵型ポート』を肩に埋め込む手術と理解した。

局所麻酔の注射が痛かった。
痛い、痛い、と悲鳴をあげる。
人によってはたいして痛くないかも知れないが、私は『痛がり屋』。
患者には悲鳴をあげる権利も自由もある!と開き直っていた。

「ごめんなさいね」
「ご・めん・なさいね~」
医者が耳元で謝りながら、3本ほど麻酔注射を打つ。遠慮なく私は悲鳴をあげる。
外科医の仕事って大変……私には間違ってもできない~と思いながら。

医師が私の肩の辺りを(多分、切り裂きながら)仕事場にしながら、雑談をしてきた。
「何を勉強してきたのですか」「英語と古典です」「どっちも芸術系ですね」「先生はなぜ外科医になったのですか」「本当は工学部に行ってロケット、作りたかったんです」「それが医者に?」「どこでどう間違ったのか、医者になってしまって」

そんな話をしながら、ときどき、看護師さんに何か指令を出している。
薬とか器具を持って来させているみたいだ。
私の顔の上にはカーテンのような青い幕がかかっているから、何も見えないが、耳は良く聞こえる。

「病は『気』から、というのは本当だと私は思いますよ。科学では説明できない何かが『気』にはある。長谷川さんも『気』を前向きにして頑張ってください

そんなことを言われたような気がする。

その手術の翌日、退院。
様々な細胞の染色体の検査から、私の卵巣癌は新規の癌で5年前の大腸がんの転移ではなさそうだということ。この検査にとても時間がかかったとか。

「それによって使う薬が違うのです。化学療法が効かない癌細胞と効く癌細胞があるから、そこを慎重に見極めないと」
「……」
なんという医学の進歩!
私は畏まって聞くしかない。聞いた端から忘れてゆく。
ああ、夢中で見ていた韓ドラ、どうなったのだろう……。
『毎回ビデオ予約』すると膨大な量が溜まってしまうので、ビデオ録画を解除したのだ。
私は不謹慎にもときどき韓ドラのことを考えていた。
これは一種の『逃げ』、知りたくないことを遠ざけようとする本能だったのだろう。

結論的には、私は今後外来で婦人科の治療を受けることになったのだ。
これは第二の青天の霹靂だった。
お産の時以外、婦人科など行ったことがない。行きたくもない。多くの女性がそうだと思う。

説明を聞くために来てくれた次女は小学2年の子ども連れ。子どもは病棟には入れない。おとなしくガラスの扉の向こうで待っていてくれた。

退院のその日は春分の日。
同室だったMさんが夫婦で車で迎えに来てくれた。Yさんはもう事務所で働いているという。
娘はそのまま家に直行。
入り口で待っていてくれたMさん、私に手を振ってくれた。本当に嬉しかった!

Mさんの夫は楽しそうに私たちに語り掛け、私たちはまるで旧知の友人のように談笑。
「あの病院、食事、美味しかったよね」
「昨日はイチゴ出たのよ。うれしかった~」
「イチゴは嬉しいよねえ。私、明後日入院、イチゴ出るかなあ」
「私、これから婦人科通いなの。悲しいよ~」
「どこの科でもいい、早く元気になれば」
「そうね」

車から降りると、Mさんは、
「家庭菜園で作ったの」
大きなネギとほうれん草、そして高級そうなどら焼きを差し出した。
「私には車がないから、どこかへお連れすることもできないし、本当にお世話になりっぱなし。いつかランチしよう。私に奢らせて、お願い」
「そんなこと考えなくていいの。いつか、私が働いているカラオケ店に遊びに来て」
「絶対に行く」

涙が出るほど嬉しかった。
年を重ねるほどに新しい友人はなかなかできないと聞いていた。
そんなことはなかった。
ほんとうに優しい二人に出会い、多くの励まし、慰め、前向きの気持ちをいただいた。

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