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現実を生き抜いた女たち

紫式部にしろ清少納言にしろ、その他多くの平安時代に活躍した女性作家たちには共通項がある。

1・隠遁者ではなく、宮中という生活の場において、それぞれ後ろ盾となる庇護者を得てはいたが、一人の人間として経済的に自立していた。

2・奈良時代の貴族女性の経済力には大きく劣るが、財産と家、土地をもち、老年になっても、習字や和歌・琴の演奏などの特技で、宮中で活躍した女性の記録が多く残っている。

3・財産権をすべて奪われた明治以降昭和初期の女性よりは社会的地位は高かったと思われる。

以上の3点は長らく論争の的であり、決着はついていないが、経済的自立なしに「作家としての自立はあり得ない」と私は思う。

なぜこの時代、男性作家は生まれ得なかったか。
漢字で延々と記録的日記を書き残すことが「オトコ官僚」の生きる道
だったからである。

平安以降、
1・文学を志すオトコは隠遁者として生活の場から「一、抜けた」と逃げ出した。

2・彼らには、自分の都合に合わせて、時折皇族や権力者にすり寄り、利用し、自分をちゃっかり売り込むという現実者としの知恵もある。

3・女はそうはいかない。
引きずっているものが多すぎて現実から逃げ出せない。

西行は出家するさい、「泣いてすがりつく4歳の娘を縁から蹴飛ばした」
有名なエピソードである。
これが女性だったら「オトコのロマン」どころか「母性失格」と非難され、文学史から消されたに違いない。

紫式部と清少納言に焦点を絞ると

1.紫式部は道長の妾として、道長の経済力をバックに『源氏物語』を書き上げ、名をなし、わが娘の出世栄達のレールを敷いた。

2・現実をたくましく生き抜いた強い女、キャリアウーマンとしての成功者である。

2・清少納言は凋落した主家を見捨てず、定子一筋、定子賛歌『枕草子』を書き上げ、定子が怨霊になったという不名誉なうわさを払拭した。

3・死ぬまで定子賛歌を書き続け、筆も紙も尽きて筆を置いた
         もの暗うなりて文字も書かれずなりにたり 筆も使い果
         てて これを書き果てばや(能員本・322段)

4・清少納言は現実の生活者としては不器用だったのだろうか。
道長になびけば、紙も筆も与えられ、大作を書いたかも知れない。
しかし、彼女は「定子一筋」を貫いて永遠の名誉を得た。

5,これも立派なキャリウーマンの生き方ではないか。

当時の貴族たちの間では圧倒的に『枕草子』が人気があった。それは彼女の生き方がもたらしたものではないか。
などと、勝手に二人の生き方の違いを思いつつ、ドラマを時々見ている。

             おわり


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