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朝ご飯が一日を創る

朝は一日の始まりだ。寝ている間にあの世に行くこともなく、朝を迎えられた。良い一日にしよう。

ほとんどの乳幼児が感染症で死んだ終戦後の引揚船の中、私は奇跡的に生き残った。

神さまは、なぜ、私をこの世に残してくれたのだろう。単なる間違いか、気紛れか。偶然か。多分、そのすべてだろう。

過酷な状況を生き抜いた父は九十四歳で、母は百歳で、長兄は八十七歳で他界した。

長寿の血統なのかも知れない。それに「運の良さ」が加わる。

そのどれも自分でどうにかできるものではない、と思うようになった。ただ、せっかく朝を迎えられたのだから、生甲斐のある一日を自分で作り出そうとは思う。

ささやかながら仕事を続けている。それも、立派な社会貢献と自分で自分を褒めまくっている。

健康管理がいちばん大切な仕事だ。複雑な事や手のかかることはしない。疲れるし長続きしないから。

朝ご飯をしっかり食べる。それだけ。

もち麦とショウガ入りのご飯、キムチ、具だくさんの味噌汁は欠かさない。時間があれば、卵焼きを添え、シシャモを焼く。その時間もなければロースハムとキャベツを皿に乗っけてメインに。

それが仕事のある日の『朝ご飯』。

栄養的にもまあまあだろうが、脳みそは衰えてゆく。今朝は、味噌汁にニンジン、マイタケ、玉ねぎ、油揚げ,ワカメ、ナスビを入れた。

椀についでから、ふと思った。ナスビの残り半分は?まな板の上にない。小皿の上にもない。

消えた?あり得ない。私、料理作りながら、残りの半分を生のまま食べちゃった?あり得ない。ナスビの残り半分、どうなったの?

不思議、不思議……。

気持ち的に朝ご飯どころではなくなった。周囲をあちこち捜し回る。冷蔵庫を開けた。野菜入れのコーナーにもない。ふと見ると、ドアの裏の牛乳パックの横に、きちんとラップに包んでおいてあった!

十年も二十年も前のことは鮮明に覚えていて、今でも怒ったりするのに、二、三分前の自分の行動は覚えていない。

無意識のうちに電光石火の早業で手が勝手に動いたのだ。

そこまで認識できたのだから、脳はまだ機能しているよね、と自分を慰め、朝ごはん開始。

これだけ食べれば、小説一本、書けそう!

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