見出し画像

「もの食ふ」枕草子①

平安時代の貴族の美意識では「もの食ふ」行為は卑しく、はしたないもの、人に見せるのは下品と思われていました。ですから、食に関する文章はほとんど残されていません。どんなものをどんな調理法で食べていたかはほとんど闇の中。
それでも清少納言は食に関する記事をけっこう書いています。建前はどうであれ、食べることは楽しみであり、それがないと人類は存続しなかった!
枕草子の中の「食」で、現代の私たちにも想像しやすく楽しいのは、「五月の御精進のこと」(三巻本95段)です。

当時の五月は現在の六月ごろ。梅雨時で伝染病も多く悪月と呼ばれ、人々は精進し、身を浄めていたのです。(なんか今のコロナ禍みたい~)
そんなうっとおしい日々、清少納言たち女房は主君定子さまの叔父明信(あきのぶ)様の家にピクニックに出かけます。風流好みの明信様は松ヶ崎近くにとても風雅な田舎家を立てて、唐風に設え、優雅な田舎生活を送っています。(今の金持ちのすることと変わらない~)

定子付の女房たちが来ると言うので明信は近所の農家の見栄えのいい若い子を集めて田植え歌を歌わせたり,臼を回して踊らせたり、趣向を凝らして接待。(今、お偉い人がそんなことやったらパワハラ!)

唐絵に描いてあるような立派な御膳で、自分で摘んだワラビなど御馳走をたくさん出しましたが、皆、料理には見向きもしない!明信は、

「いとひなびたり。かかる所に来ぬる人は、ようせずは主逃げぬばかりなど責め出だしてこそまゐるべけれ。むげにかくては、その人ならず」

「遠慮なさるとは田舎者みたいですなあ。都からこんな田舎に来た人は、うっかりすると主人が逃げ出しそうなほど、たくさん召し上がるはずですのに。こんなにまったく召し上がらないのは都の優雅な人らしくありません」
  (出だしは「田舎料理ですが」という訳も)

「いかでか、さ女官などのやうに、つきなみてはあらむ」

「どうしてまあ、女官みたいに御膳の前に並んで座っておられるのですか」

「さらば、取り下ろして。例のはひぶしにならわせたる御前たちなれば」

「なら、御膳から下して。いつも腹ばいで食べるのに慣れていらっしゃる皆様ですから、どうぞどうぞ腹ばいで」

この場面。様々な議論続出だったそうです。「はひぶし」は「腹ばい」です。衣装を山のように着ている女官たちが「腹ばい」で食事などするはずがないと。

ところが、長らく宮中でお勤めしていた研究者の岩佐美代子さんの説でほぼ一見落着。何しろ義母の方が貞明皇后付の命婦(みょうぶ)だったという家柄。宮中の作法を生でご存じなのですから。

詳しい説明は省きますが、お偉い方から食事を賜るときは、お茶菓子などは御膳から下して畳の上に置き、正座のままうつ伏して肘を畳に着け、屈んだ姿勢で食べる」(岩佐美代子・宮廷文学のひそかな楽しみ)。
今でいうなれば「お茶の時のお道具拝見の姿勢に近い」とか。
同じ卓に並んで着くのは、下級女官だけのとき。身分のもっと高い貴人は、好き勝手に、あちこちで脇息(きょうそこ)に寄りかかったり、腹ばって食べていた!

つまり、マナーとは身分の低い人に要求されるもので、身分の高い人は、今の私たちから見るととんでもなく、だらしない恰好で食べていたのです!正式な饗宴は別ですが。

私たちも、相手が気の張らない人だと、行儀悪くなりますよね。独りだと腹ばって食べたり。

こんなことが分かると、がぜん、古典が身近になります~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?