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戯曲 翼よ、あれが巴里の灯だ 第九稿

第三幕

 

創作の力を取り戻した彼女の書斎、ドアを開けると木組みのテラスになっている。彼女はその二つの空間を移動しながら独白していく。

 

アンナは酒樽のなかでおぼれていた私を救い出してくれたのよ、私の体の中からすっかりアルコールはしぼりだされていった、そしたら水がおいしかった、こんなに水がおいしかったのかって思ったわよ、朝のにおい、風が運んでくる森のにおい、草の香りがする、もう大丈夫よ、生命のリズムがもどってきたの、もう私はあなたの背中に背負っている十字架がしっかりと見えるわよ。あなたに立ち向かうだけの人間になったの。話してちょうだい。あなたの七十年の人生のドラマを。アンナはあふれて出くる泉みたいに話してくれたわよ、朝のテラスで、森を散策しながら、昼さがりのポーチで、夜の居間でね、それは大きなタペストリーを織り上げるように話してくれた。ドイツなまりの癖のある英語で、朴訥で力のある言葉で、信念と誠実の言葉で。

アンナは二十五歳のとき、ドイツからアメリカに渡ってきた、古い大陸に生まれた、閉塞の社会に生きる若者たちにとって、アメリカは希望の大地だったわけよ、ニューヨークの18丁目六番地のイタリア人の経営するベーカリーに職を得て、いつの日か自分の店をもちたいっていう希望をいだいて働いていた彼女の前にあらわれたのが、彼女より一歳年下だけど、たくましく、誠実な大工のハンプトマンと恋に落ちるのよ、二人は堅実だった、彼らの恋愛はまず結婚するための資金をつくろうということからはじまっていくのよ。二人はこつこつとお金をためて、彼らの住む住居を手にすると、友人たちを招いて、友人たちに祝福されて結婚するのよ。この二人の堅実な生き方をみてよ、これはとっても重大な視点なのよ、あの事件などおこすわけがないという絶対的な視点だから。ハンナの夢は自分のベーカリーをもつことだった、パン作りの技法を磨き、その店の開業資金をこつこつとためて、もうすぐその夢にふみだすというときに、突然、ハンプトマンは逮捕される、二年半も前に起きた、アメリカ中を揺るがした、リンドバーク・ジュニアの誘拐殺害事件の犯人として、なんなんだ、これはいったいどういうことなんだと叫ぶハンプトン、まったく身に覚えのない犯行が次々に彼に貼りつけられて監獄になげこまれ、裁判にかけられる。ハンプトンはその裁判でも一貫して無罪を叫ぶけれど、陪審員は全員ハンプトンに有罪の判決を下す。アンナも懸命にさけぶ、夫は無実よ、夫は何もしてないの、何もしていない夫がなぜ死刑判決なの。そんな叫びもむなしく、ハンプトマンは電気椅子に座らされ、二千ボルトの猛烈な電流をながされて処刑される、そのときアンナは三十八歳、それから三十年間、彼女は夫の無実をはらすための戦いをつづけている女性だったのよ。

アンナが懸命に話するその磔刑の人生に耳を傾ける時、酒におぼれていた自分がなんて愚かな、腐った、ぼろきれみたいな人間だったのかって思ったわよ、心がふるえた、心がもうエンジンをかけたみたいにぶるぶるとふるえた、作家としての生命がめらめらと燃え上がってきた、作家として立たねばならない、これこそ私が書かねばならない、激しく突き上げるものがありながら、私はだらしなくだらだらしていたのは、大きな壁があったからなのよ、私はフィクションの作家なのよ、フィクション作家は、タイプライターの前に座って、想像力で、自分のなかに育っていく物語を打ち込んでいけばいいのよ、しかしアンナのタペストリーを書くためには、それまでの私の文体を打ち壊さなければならない。作家としての文体をうちこわすという私自身の革命が必要だったのよ。そんなことで、その仕事に取りかかるのをくずぐずしていたら、とてつもない本がベストセラーになって登場してきた、トルーマン・カポーティが書いた「コールド・ブラッド」(冷血)という本、カンザス州のアイダホという小さな村で起こった一家四人が殺害された事件をえがいたノンフィクション、カポーティってもともとフィクションの作家だったのよ、ところが彼は一大変革をとげるという芸当をやってのけた、彼はその事件を描くために徹底的な取材からスタートする。アメリカのド田舎アイダホまで何度も足を運び、その地に行われた裁判にも欠かさず出かけて、二人の殺人者にも何度もあって、彼らを収容した刑務所までいって、独房にはいって、殺人者とキスしたりしている、そうなのよ、ノンフィクションを書くには、まず足を使って取材からのスタートさせることなのよ、そのことがなかなか踏みだせなかったけど、「コールド・ブラッド」の登場で私も、ようやくエンジンをかけて、アクセルを踏み込んで、リンドバーク・ジュニア誘拐殺害事件の取材をスタートさせるのよ。

カポーティの「コールド・ブラッド」は、同時代に起きた事件、リアルタイムのノンフィクションだけど、リンドバーク事件は三十年も前に起こった事件だった。その事件の全貌を知るには、三十年前にタイムスリップしなければならないわけよ、でもホープウェルのリンドバーク邸はいまなお立っていたし、その豪邸に入って内部まで観察できたし、幼いジュニアが頭を砕かれて捨てられた現場をさがしてみたり、ハンプトンが処刑された監獄まで足を運んだわよ、その当時の捜査官や、刑事や、弁護士や、公聴していた人や、判決をくだした陪審員たち、彼を処刑した看守たちに、刑務所の看守たち、新聞記者たちを追跡していったわよ、大半は亡くなっていたけど、でもまた生存している人も多数いて、アメリカ中に散らばっている彼らに取材するために何百通もの手紙を書いたり、電話をしたりして、その住所がわかったら、その人物の生きた足跡をたどるために、何百キロと車を飛ばして、裏通りの安ホテルにとまり、空振り、空振りの連続だけど、あきらめずに何度も足を運んで閉ざされたドアを私の取り組む本にその決定的な存在と決定的な輝きに与えるために、もえお金がどんどんなくなっていく、でも無実の罪を着せられて消えていったハンプトマンを明確に描くためのわたしは行動した。私がその取材でもっともお金をかけて取材したのがドイツへ取材の旅だった。もうハンプトンが愛したハンプトンの母親は当然いなかっけど、彼の親族がハンプトンが母親にだした何十頭もの手紙をよむことができたのよ。ハンプトンの親族だけでなく、もちろんにアンナの一族に取材をしたりして、そうしてこの大作に足り組んでいくわけよ。ハンプトマンの人間を知るためにものすごいお金と時間をかけて何十回も取材の旅をしたのよ。

こうして次第にリンドバーグ・ジュニアの誘拐事件の全貌があらわらになっていくけど、その取材のアタックを深めていけばいくほど、裁判記録などをさらってみればみるほど、マスコミが報じた腐るばかりの報道記録を収集すればするほど、その杜撰な捜査があきらかになっていくわけよ。例えばよ、リンドバーク邸は森の中に建てられているのよ、周囲に家などない、まったくの森の中にたてられた豪邸よ、その日にその邸宅にいたのは、アンと、チャールズと、リンドバーク家の執事と料理人をやってるオリバーとエルシーのホエトリー夫妻、それとチャーリーの育児係ベティ・ガウ。その夜も彼らはいつもの日常生活をしていたのよ。ベティはチャーリーに夕食を食べさせ、二階の角部屋のつれていって、彼をベッドに寝かした、それが七時半頃だった。ニューヨークから車を飛ばしてリンドバーグが帰ってきたのは八時半頃だった、それでリンドバーグとアンは夕食をとって、そのあとリンドバークは二階にあがって、バスるーまがばするーろのバスルームに入浴かする彼の書斎にはいり、アンはペッルームで読書して、そして十時過ぎに育児係のベティ・ガウがジュニアのおむつをかえるためにジュニアの部屋に入っていくと、ジュニアの姿がきえていた、つまり誘拐犯人は、七時半から十時までの二時間半の間に、外から梯子を二階の窓にかけて、その梯子を上って、窓をあけて部屋に侵入いて、幼児をさらっていったということよ。そんなことってありえる。真夜中、一時とか二時とか、家族全員が寝静まったときに、こっそり忍び込んで幼い子どもをさらっていくっていうならわかるけど、家族全員がまだあちこち動き回っているときにその家に忍び込むなんてありえないじゃない。でも誘拐犯人はそのいような時間にジュニアを二階の窓から誘拐した。

いくつも不思議なというか、奇妙なことがあるのよ。その角部屋は東側と南側の三つの窓があるけど、南側の三つの窓のうち一つだけ鎧戸の錠が数日前からかからなくなっていた。まるで犯行者はそのことを知っていたのかのように、その窓に梯子をかけて、そこから侵入しているのよ、さらに奇妙ことがある。警察の鑑識が到着して、その部屋の指紋採集をしたけど、たったひとつもの採集できなかったといのよ、犯行者が犯行のとき手袋をしてたならば、犯行者の指紋は残ってないわよね、当然のことだけど、でもその部屋に何度も何度も、それこそ何百回とはいってあちこちに指紋をつけている家族や育児係のベティの指紋もとれなかったのよ、つまりその部屋中の指紋がふき取られていたのよ。こんなことをする誘拐犯行人っているの。

もっとも奇妙なのは、その日のリンドバークの行動なのよ。かれは八時半自宅二帰ってきた。そしてその帰宅を待っていたアンと食堂で遅い夕食にとる。そのあと彼は二階にあがってバスルームにはいるの。そのバスルームは、ジュニアの寝かされた部屋の隣にあるんだけど、ジュニアの部屋をのぞいてないのよ、そのときジュニアは風邪をひいていたのよ、父親ならば帰宅したならはまっさきにむそんな子どもの様子みるのがふつうでしょう。ところがバスからでてもわが子の様子などみずに階下にある彼の書斎にはいってるのよ、それで十時すぎに、ベティかジュニアにおしっこさせるためにその部屋に入ってベッドをのぞくとジュニアか消えていた、ベティはアンが連れ出しのだろうと思い、アンにたずねるとこことにいないわよ、リチャードがつれだしんじゃないのという、それで二人でどどっと階下にかけおりてチャールズにたずねるのよ、あなた、リチャードをどこに隠したのと尋ねると、彼は、おお、ノーとさけぶと二階に駆け上がり、ジュニアの部屋にとひこんで、空になったベッドを見降ろすと、「やつらに誘拐されたんだ」とさけぶと、自室からライフルをもって外に飛び出していったのよ。まるで誘拐したやつを銃撃するみたいによ、おかしな話よね。

そのおかしな話のきわめつけは、通報をうけた警察車両が列をなしとリンドバーク邸にかけつけるのよ、何十人もの捜査官や州の警察長官までやってくる。ところがその捜査の指揮をとったのは、なんとリンドバークだったのよ。リンドバークが捜査本部の陣頭指揮をとってるなんて、ありえないじゃないの。

その誘拐事件は連日、トップニュースよ。その小さな村に何百人もの報道する人間たちがやってくる、リンドバーク邸宅をみようと何千人もの野次馬がやってくる、とにかくリンドバークはアメリカの英雄だから、この事件は全アメリカ人の心をゆるがす一大事件になっていくわけよ。その捜査にFBIの捜査官たちも割り込んできて大規模に捜査は展開されていくけどさっぱり進展しない。幼い子どもの命がいよいよあぶない。アメリカ中がそれこそかたずをのんで見守っている。そんなかリンドバーグは、誘拐犯人と取引するという声明をだすのよ、犯人との個人的取引をするなんてなんとも奇妙な声明が、新聞やラジオで大きく報じられると、この事件にさらに奇妙にさせたジョン・F・コンドンという人物が現れるのよ。彼の登場がこの誘拐事件をさらに奇妙なものにさせるんだけど、コンドンは小さな子どもの誘拐に大変心をいためている、そこで自分も一千ドル提供して、犯行者との仲介にあたりたいいうメッセージ、それが新聞に大きく報じられると、すぐにコンドンのもとに誘拐したという犯行グループからの接触があるのよ、それでこの犯行クループなるものと交渉がはじまる。彼らは現金を要求してくるわけよね、

その交渉、何度か駆け引きがあって、これが最後の交渉だとばかりに犯人グループは七万ドルを要求してくるわけよ、アメリカの英雄リンドバークにとって七万ドルなんて朝飯前のお金なんでしょうね、リンドバーグはその金を引き出してくる、捜査チームはその七万ドルの通し番号を記録しておく、それがのちにハンプトン逮捕につながるんだけど、それでその大金をもって犯人と名乗る男とはじめて接触する、でコンドンはまずジュニアを返してくれ、ジュニアを返してくれなければ七万ドルはわたせない、すると犯人は、ジュニアはネリー島に停泊している船にいる、そこで元気でいる、まず金だ、金をよこさなければ話は決裂どだ、これでジュニアの命はないと脅迫されると、コンドンは七万ドルをその犯行者と名乗る男にわたしてしまうのよ、その男はたちまち闇にきえさった。それで捜索隊が、そのネリー島一帯をさがしたけど、そんな船はどこにもいなかった。ドジまるだしの馬鹿げた取引をしたものよ。

誘拐されてから二か月もまたった五月十二日に、リンドバークの邸から五キロも離れていない林のなかにジュニアは捨てられていたのよ。動物たちにあちこち食いちぎられて、もう幼児の姿をとどめないほどの腐乱した状態で発見された。ということは誘拐された三月一日、その日にすでにジュニアは殺害されていたったことなのよ。

この事件の捜査は、まるでそこでピリオドがうたれたかのようにさっぱり進展なし、月日とどんどん去っていく、一年たち、二年たっても袋小路からぬけだせない。こうしてこの事件は迷宮入りになるのかなとだれにも思われていたとき、捜査が突然動きだす。動き出すどころじゃなくて、いきなり誘拐事件の犯人が逮捕されるのよ。リチャード・ハンプトンが。なぜ彼が逮捕されたというと、奪いとられた身代金七万ドルの通し番号を記録されていた紙幣を、ハンプトンはあちこちで使っていたからなのよ。それで、その日、ハンプマンはガソリンスタンドでその紙幣で支払った、そのことから足がつき、捜査官が彼の自宅を捜索すると、なんと天井裏に二万ドル近い通し番号に記録された紙幣が隠されてあった。もはや決定的な証拠としてハンプトンは、リンドバーグ・ジュニア誘拐殺害事件の犯行者として、連日、彼に一睡もさせない過酷な取り調べでハンプトをおいつめていくのよ。お前がやったんだろう、白状しろって。ハンプトンは抵抗する。おれはやってないって。

ハンプトンは五六年前からイシドア・フィッシュという男と事業を起こそうとしていたのよ。このフイッシュという男は、怪しい人物というか、どうも詐欺師そのものみたいな人物で、だけどそのときのハンプトンはこの男がはじめようとしている、なんでも毛皮を売るという事業に共鳴して七千ドルも投資をするのよ、それでフイッシュはドイツに帰ってその事業を本格的にスタートさせるからといって、アメリカを発つときとくに、留守宅に置いておくと誰かに盗まれるかもしれないからって預かってくれないと、ぼろきれと二グル具にまかれと小包をわたされるのよ。オーケー、お安い御用だってハンプトマンは自宅の天井裏に投げ込んでいたのよ。

ところがドイツの営業にいったフイッシュはなかなか帰ってこない。帰ってこないわけよ、彼は結核にかかって死んでるのよ。それでそんなことが分かったある日、彼から預かられて、天井裏に投げ込んでおいたぼろきれにくるまれた小包のことを思い出して、それを開けてみると、なんとそこにドル紙幣がぎっしりとつまってじゃないの。かれとらど゜うしたものかと思案するけど、ハンプトマンはこのフイッシュに七千ドルも投資している、その金を取り戻すことになるっていう思案で、その金をちょびちょびと使いはじめていたってわけなのよ。

ハンプトンの自宅に二万ドルもの金がかくされてあった。捜査官にとってはもう決定的な証拠をつかんだようなものよ。だからハンプトンに白状を迫って拷問攻めよ。もう朝から深夜まで、椅子に手錠でつながれ、部屋の電気をけして、ハンマードで殴りつける。白状しろ、お前がやったのはわかっているんだ、早くおれがやりましたって白状しろってわめきながら、ハンプトンの全身にハンマーで叩きつける。

彼をもっとも苦しめたのは、捜査官たちの彼のハートに突き刺さる暴言だった。「お前の女房は、いま大勢の売春婦とともに監獄にぶちこまれているんだ。赤ん坊とひきはなされていな、お前の赤ん坊はいまどこにいるんだ、かわいそうに泣いているぜ。お前の女房はもう半狂乱になって出してくれって叫んでいるらしいぜ。それはそうだよな、赤ちゃんを餓死させたいからな、お前に人間としてハートにあるなら、お前がしたことを白状すればいいんだ。お前の女房はただちに釈放されるんだよ」

捜査官も検事もハンプトンを処刑台に送り出すためにあきれるばかりの証拠をでっちあけていくのよ。たとえばハンプトンの自宅の二階の天井の板が一枚剥がれていた、その板でハンプトマンはリンドバーク邸の窓にたてかけた梯子を作ったと推察して、専門家にハンプトマンの自宅の天井板と、リンドバーク邸宅に使われた梯子とを科学的検証して同一のものだと判定されたとか。犯行当日、リンドバーグ邸の近辺に自動車がとまっていて、そのなかにハンプトマンに似た人物が座っていたことを目撃されているとか、犯行者から指定された墓地にあらわれ、七万ドルを渡しに男によく似ているとか、何通もの脅迫状とハンプトンの筆跡を専門家に懸賞させるとまったく同じ筆跡だと証言させたりして、裁判はもう一方的に進められていく。その裁判を報道する新聞もラジオも検事がくりだすと追及する事例ばかりが強調されて報道されていく。そんなわけだから、もうアメリカ中にハンプトマンを死刑にせよという声が湧きたっていく。

酒樽のなかでおぼれていた私を救い出してくれたアンナが、骨の髄にまでしみこんでいたアルコールがすっかりぬけた私に、まず私に読んでもらいたいと言って、三枚の黄ばんだ紙片を渡されたのよ。ハンプトンが獄中からアンナにあてた手紙、処刑される直前に書かれた遺書といった手紙よ、その全文を筆写して、書斎の壁に貼って、書くことに行き詰ったとき、ハンプトンを見失いそうになったとき、自分の無力さにおびえるとき、いつもこの手紙を読むのよ。

(レリースは壁に貼られたタイプ用紙をはがす)、

綴りがいたるところに間違っている。文章だって文法だってちょっとおかしい。しかしそんなことはどうでもいいのよ、ハンプトンは彼の生命と言葉をこの手紙のなかに刻み込んでいるの、アメリカの罪を告発する手紙、アメリカをよみがえらせる手紙、アメリカに希望に与える手紙よ。

 「この手紙は……〈読みとばしながら〉足音が近づいてくるが……トルーマンという男がやってきて卑劣な取引をもちかけてきたんだ。すべてを告白しろって、すべてを告白したら、お前の罪は減刑される。敵の罠だと思ったが、しかしこんな罠をかけたってぼくの主張には少しも揺るがない。ぼくは誘拐していない、誘拐していないのにどうして子供を殺すなんてことができるんだ。しかし敵はささやく。そうだ、お前はしていない、私もそう思っている、だからこそお前を救い出したいんだ、お前を電気椅子から救いだせる唯一の方法なんだ。もうすぐそこまで処刑の日が迫っている。いまはもうこの手を使わなければ、お前を救いだせない。これが最後の手なんだ。だから、まず告白するんだ。嘘でもいいから自分はやりましたと告白する、そう嘘の証言をして、ひとまず処刑台から逃れる、そしてそこからまた戦い開始すればいいだろう、トルーマンってやつはこういってぼくに迫ってきた。
しかしぼくはきっぱりと蜜のような甘い汁を垂らして仕掛けてきた罠を断った。そんな話にのれるわけはない。もしそんなことを認めれば、ぼくの命を救われたとしても、ぼくたちの息子ジョージも、殺人者の息子として生きなければならないことなる。そんなことがぜったいさせない。ぜったいにそんなことをさせたくない。だけど、この裁判でぼくは殺人者として処刑される。彼はこれからつらい人生を歩いていく。お前は殺人者の子どもだってレッテルを貼られて生きていかなければならない。それを思うとぼくの心は張り裂けるばかりだ。
ぼくたちは希望を抱いてアメリカに渡ってきた。アメリカはぼくたちの希望の大地だった。しかしいまこの国は間違った裁判で、間違った判決を下して、一人の無実の人間に処刑台に送りこもうとしている。ぼくはそのことを後世に伝えるために犠牲になるということかもしれない。アメリカは必ず気づくはずだ。これは間違った裁判だったって。気づかなければならならないんだ。ぼくはそのことを後世に伝えたい。ぼくの生命は、二度と誤った判決を下さないという一つの大きな転機となる、この間違った裁判が、新しい国の裁判を作りかえる、その土台となったその礎石となったとされる日がくるかかもしれない。そのことをアメリカに、アメリカ人に伝えるために、ぼくは処刑台に立つことになるのかもしれいない、ぼくは誇りをもって死んでいけることができることになる」

すでにハンプトマンにそんな絶望的な手紙を書かせるほどに杜撰な裁判はどんどん結審にむかって進んでいく、その最終日、ウィンレツという検事はこういって陪審員たちを煽るのよ。

──陪審員のみなさん、一九三四年十月以来何か月もかけて、私たちはいくつもの証拠をきびしく検討してきました、それらのものが指し示すものは、ただ一つ、被告ブルーノ・ハンプトンマンの有罪という事実のみです。この人物はわずか一歳半になった子どもの頭をハンマーで打ち砕き、即死させて袋に投げ込み、森のなかに投げ捨てたのであります。これは獣のやることです。すべての獣のなかでも最も愚劣な獣です、陪審員のみなさん、情状酌量の余地はありません。正しい評決を下さなかったら、生涯、あなたたちは苦しむでしょう。正義を守り、正義を貫く意志と魂をもったみなさんは、必ずや正しい評決を下されるものと信じます。すなわちこの被告は、第一級殺人の有罪と」。それで判決は、そのとおりになったのよ。

ハンプトンはこうして州刑務所の独房に収監され、処刑される日を待つばかりになった。その日が刻々と近づいてきたときに、ハンプトマンを救い出そうとする知事があらわれるのよ、ニュージャージー州の知事になったばかりのハロルド・ホフマンという知事が。この若い知事はこの裁判に深い疑いをもっていたわけ、それでハンプトンと刑務所にいってハンプトンとさしであって、知事はハンプトンに問いかけるのよ。この犯罪は君一人でできるわけがない、君の共犯者がいたんだろう、君は仲間をかばっているんだろう、真実を話すんだ、真実を話せば君を処刑台に送るという判決はくつがえるって。しかしそんな説得にハンプトンは、ぼくはなにもしていない、そんなでたらめを言えるわけがないって激しく抗議するわけよ、その面会で知事は、この男は真実を語っている、ハンプトマンはまったく白なんだってさとるのよ、でも知事にはなんの権限もないのよ、裁判のやり直しとか、終身刑に減刑するなんて。でもその処刑を九十日まで延期することはできた。その知事の命令でハンプトマンの処刑される日が先きのばしになった。延長された処刑の日がまたやってくる。そのときもまた知事はさらに処刑日を引き延ばしの命令を下す。そしてもはや絶対絶命の三度目の処刑日がせまってくると、ホフマン知事はいくらハンプトンをくどいて駄目だとわかっていたから、なんとハンナから説得しようとするのよ。知事は懸命にアンナを口説き落とそうとする。電気椅子ですよ、ハンナ、あなたの夫は、電気椅子に縛り付けられて、何千ボルトの電流を流して絶命させる。無実の人間をそんな残酷な方法で殺そうとしている。いまね、そのハンプトマンを救い出せるのは、ハンプトマンが、私がやった、私が仲間とともにやった告白すれば、それであの判決はくつがえる。だからね、嘘でもいい、ハンプトマンにそう証言させて下さい。そこからまた新しい戦いを始めるのですって、熱く彼女をくどくのよ。そしたらハンナは猛然と反発するの、だめです、そんなことできません! とんでもない! けっして、そんなことはできません。たとえリチャードの生命が救えても、私にはできません。あの人は本当のことを話しているのです。それ以上、何が言えるでしょう、嘘をついて自分が犯人だと言えば、生命が助かるかもしれない、だけどそんな嘘はすぐにわかるでしょう、彼がそのような罪を犯したと嘘をついたとしたら、ずっと後悔しつづけるにちがいありません」

1936年の4月 3日、厚い雲がたれこめて寒い日だった。ハンプトマンは電気椅子に縛り付けられ、二千ボルトの電流を流されて処刑された。その直前にハンプトマンが走り書きした紙片をその処刑にたちあった牧師に渡しているのよ。

《私は喜んでこの世にわかれを告げます。この世は私を理解しませんでした。やがて、私はふるさとに帰り、主とともにあるでしょう。主への愛はゆるぎなく、私は無実の者として死にます。それでも、私の死によって死刑廃止の動きが多少とも進展するならば、私の死は無駄ではなかったと思います。私は神とともに平安の中にいます。いま一度繰り返しますが、私は有罪と宣告された犯罪に関しては無罪です。それでも私は死にあたって、私の心に恨みや憎しみはありません。キリストへの愛が私の魂をみたし、キリストの内にあって私は幸福です》


 

 

 

 

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