見出し画像

こんな貧しい幼稚な遺書を残して死ぬなんて哀れです

クラウドファンディングに投じる小さな革命の最初の一歩、最初の一冊は、高尾五郎さんの作品群から。
ゲルニカの旗
最後の授業
吉崎美里と絶交する手紙
南の海の島
総計650枚(四百字詰原稿用紙)にも及ぶ四編をあらたに編集して投じることにした。いずれも読者の心に深く響きわたる名作である。どのようなストーリーが展開されているかを、そのストーリーの一部分を抜き書きしていくことにする。いわば映画の予告編といった趣向である。この本に手にして全作品を読み込んでほしいという熱い予告編である。

にら1

A4版 360ページ 頒布価格2500円 
手作り編集制作出版  限定百部発行

最後の授業

「隆君の残した遺書には、このような凄まじいばかりのいじめがあったことがしっかりと書かれています、そのいじめはどんどんエスカレートしていって、英語の先生をレイプしてこいと命令されたのです、それはできないことでした、五人組の暴力の制裁にあっても、それは人間としてやってはいけないことです、ついに隆君は自殺することを決意するのです、そして十月二十一日午前十時ころ、自宅の納屋の梁にロープをかけて、隆君はそれを実行しました、あふれるばかりの家族への愛のメッセージを残して、悔しさと、悲しみと、五人組にたいする怒りを一杯ににじませた遺書を残して、こんなに美しい、こんなに悲しい、こんなに深い愛のメッセージを残した遺書を、篠田校長は貧しい幼稚な遺書だといいました、こんな貧しい幼稚な遣書を書いて死ぬのは哀れだともいいました、いったいこの篠田という校長とはどのような人間なのでしょうか、なにか教育者としての資質が決定的に欠けているような教師が、どうして校長先生などになれたのでしようか、篠田校長はその後一度も報道陣の前にも姿を見せてはいません、沈黙したままです、ということはいまでもこの校長は、そう思っているということでしょう、この許しがたい、救いがたい校長をいだく日本の学校教育、これはまさに今日の学校教育の腐敗と荒廃の深さを象徴する出来事のように思われます、私たちはこのいじめ事件の真相と、教育者としてなにか欠陥しているような篠田校長の真実の姿をあばく取材を続けていきます」
 沈黙を守り続けていた篠田校長は、三か月後、全校生を体育館集めて、最後の授業を行った。

画像5

 これは北アルプスの麓に広がる安曇平という地のある町でおこった出来事です。すでにみなさんはその町の名前を知っていますね。あれだけ騒がれた事件ですから。その町の人々にはとてもつらいことですから、その町の名をA町としておくことにします。その町の名をつけた中学校もまたやはりA中学校としておきますが、この中学校は信州教育と尊敬をこめてよばれる数々の実践活動を生みだしていった古い輝かしい歴史をもった学校でした。この中学校に通う瀧沢隆君という中学生が、自宅の納屋で首を吊って自殺するという痛ましい事牛がおこったのでしたね。
 残念なことに、まるで流行のように、子供たちがあちこちで自殺しています。子供たちの自殺があまりにも頻繁に起こるので、いまでは新聞記事にもなりません。しかしこの隆君の自殺事件はちがっていました。連日にわたって新聞もテレビも週刊誌も、なにかヒステリ一をおこしたと思われるばかりの騒ぎ方でした。どうしてこんな騒動に発展していったかといいますと、その事件を取材するためにつめかけた地元記者たちが、その学校の校長先生を取り囲んで、
「隆君は遺書を残していますが、この遺書を先生はどう思われますか?」
 とたずねたのです。その学校の校長先生は篠田政雄といいましたが、そのとき篠田校長はなにか吐き捨てるように、
「こんな貧しい幼稚な遺書を残して死ぬなんて哀れです」
 と言ったのです。驚いた記者たちは、
「貧しいですか?」
「貧しい幼稚な遺書です」
「貧しい幼稚な遺書で死んで哀れなんですか?」
「これが哀れでなくてなんなのでしょうか。こんな貧しい幼稚な遺書で死んでいく子供は哀れにつきます」
 校長先生はさらに取材を続けようとつめよる記者たちをかきわけて、逃げ込むように校門に消えていったのですが、そのときその一部始終をテレビ局のクルーが音声とともに録画していたのです。その映像とその会話が、各テレビ局に配信され、日本中にそのシーンが、それはもう繰り返し放映されていったのでした。
 翌日の新聞も一斉にこの事を報じました。社会面を二面もつぶし、さらに社説までにとりあげて校長先生の言動をはげしく非難するのでした。凄まじいのはテレビでした。昼のワイドショーで、夕刻のニュースショーで、さらには深夜のニュース番組で、いずれもトップニュースとしてこの事件を報じるのでした。
 いったいこの事件をマスコミはどのように報じていったのでしょうか。そのあたりをある日の昼のワイドショーを子細に再現してみましょう。いかに日本中がすさまじい騒動の嵐につつまれたかがわかろうというものです。
 まずその画面に重々しい悲しみの音楽がながれて、隆君の遺書が写し出されます。その遺書を声優が悲しみをこめて読んでいきます。

「お父さん、お母さん、由香、それとぼくの大好きなおじいちゃんおばあちゃん。ぼくが死ぬことをゆるしてください。ぼくはもう生きていくことはできなくなりました。もうつかれました。とても生きていく力はありません。HYSFNにもうぼくはつきあえません。ぼくはもう二度ほど死に目にあっています。二年のときは日本海で死ねといわれたし、またこのあいだの台風のあと犀川横断のときも死にそこないました。だんだんバツゲームもひどくなって、今度はT先生の部屋をおそうなんてぼくにはできません。ぼくはHYSFNたちにつきあうのはもうつかれました。いままで三十万円たまっています。いつかぜったいに返そうと思っていましたが、返せなくなってごめんなさい。お父さんとお母さんにはいろいろと感謝しています。由香はぼくのぶんまでお父さんとお母さんをだいじにして下さい。おじいちゃん、おばあちゃん、いつまでも元気でいてください。ぼくはみんなが大好きでした。ぼくが死ぬことをどうかどうかゆるしてください」

 日本中を悲しませたその遺書の全文が読まれると、画面は中学校の校門の前に立つレポ一タ一を写し出します。そのレポーターは、演技なのでしょうが、なにか悲しみと怒りをないまじえたような表情をつくって報告をはじめます。
「この中学はA町の中心にそびえ立っています、ご覧のようにいかにも古い歴史と伝統を感じさせる学校です、隆君が在席していた三年二組の教室は、校舎の二階、ちょうどあのあたりにありますが、その教室には隆君の遺書の中にでてくるHYSFNという少年たちの机もあるはずです、隆君は十月二十日の深夜に遺書をかき、そして翌日自宅の納屋で首を吊って自殺したのですが、いったいなにが隆君をそのように追いつめていったのか、いまでは隆君の書き残した遺書でしか心のうちを推測できないのですが、しかしこの遺書には私たちに伝えたいメッセージといったものがたくさん書き残されているのです、そしてこのメッセージに書かれたものをたどっていくとき、隆君がどんないじめにあい、どんなふうに追いつめられていったかがわかるはずなのです、いま私たち取材班はこの隆君の死にいたる道をたどっていくことします。
 なんでもこの遺書に書かれているHYSFNという子供たちは、先生たちにいわせるとごく普通の生徒たちだといいますが、しかしクラスの子供たちからみると、先生たちもちょっと手がだせないような不良グループだったようです、隆君もまたそのグループの一人だったようですが、しかし実状は無理矢理そのグループに引き込まれた隆君は、何度もそのグループから抜け出そうとしたけど、そのたびに激しい暴力にあって抜け出せなかったということが真相だったようです、隆君の遺書がなによりもそのことを痛切に叫んでいます、この悲しみの遺書を、貧しい幼稚な遺書といった篠田校長、そしてこんなに追いつめられていたのに、少しも察知できなかった脳天気な教師たち、こういう悲劇を生み出していく日本の学校の実態にせまっていきたいと思います」

画像3

クラウドファンディングに「ゲルニカの旗 南の海の島」を投じるのは、もちろんこの本を販売することにあるが、さらに高尾五郎さんの「ゼームス物語」四部作をセット販売する。四巻頒布価六千円。限定五セット。

第一巻 木立は緑なり
第二巻 あの朝の光はどうだ
第三巻 山に登りて告げよ
第四巻 大いなる旅立ち

いすか1

ここに教育の本質が──盛岡哲也
教育の育の字は、逆さの子に肉のなかで一番おいしい羊の肉(月)を食べさせるという意味である。つまり教育というのは本来、恵まれない不遇な子供たちにこそ最もおいしい羊の肉を与え、生きる力を培っていくということだ。「ゼームス坂物語」二巻を読み終わって頭に浮かぶのは、その教育の本質を書いた本であるということだ。
ストーリーの展開がまたすばらしい。読んでいくうちにどうなっていくのだろう、どんな結末になっていくのだろうかと、途中で止められず、時間も忘れてページをくる。そしてストーリーの山場には何度も、熱い感動の涙が胸のそこから止めどなく流れてきた。この物語が多くの人々に愛読され、共感の輪が広がることが、この本の出現の真の意義であると考えるのは私一人であろうか。(教育評論家)

画像1




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?