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来る時が来た。新雑誌の創刊 栗田佳幸

 
「言葉」がつらい。いつの頃からそう思うようになっていました。自分の出している言葉や、書くもの、読むもの、すべてに現実感がなくなって、条件反射で発する言葉もなぜか喉の奥でつっかえたまま、行くあてもなく結局飲み込むようになっていました。なぜ、こんなことになってしまったんだろう。
 
僕に何か欠陥があるのではないだうか? 自分が変だ、なんだか変だ。まるでメッキが剥がれるように言葉の意味が喪失していくことに日々慣れながら、「おかしいなあ」を繰り返す10 代20代の日々。「言葉」は本当に信用できるのだろうか。「言葉」にはそのリアリティを回復するだけの価価があるのだろうか。そんなことが頭を去来していた2014年の夏。僕は開店したての隣町珈琲になぜか通うようになっていました。そこは初めてなのに不思議と懐かしく、初めて行ったその日に、カウンターの中に立っている自分を直感してしまうことにも、少々戸惑いを感じていました。
 
それから1年後。店主平川克美の誘いで、僕は隣町珈琲の店長を務めることになりました。2019年6月、本誌編集員の一人である酒井さんの「隣町珈琲の本出さない?」という誘いに、二つ返事で「やりましよう!」と僕は答えました。隣町珈琲が開店して5年が経っていました。
 
日々、同じカウンターで同じ珈琲を淹れ、同じ常連さんと同じお話をする。そんなあっという間の5年間。その日々の繰り返しの中に、見えない何かが積み上がっていたのだと、その時はっと気がつきました。来る時が来た。
 
それから編集メンバーと幾度も話し合いを重ねました。決まらない本のタイトル、どなたに執筆を依頼するのか、本のテーマや表紙は? それぞれの思いや見解が交錯して遅々として進のない話し合い。
僕自身、さまざまなことにかなりの不甲斐なさや、疲弊を感じながらも、執筆者から原稿をいただいた時の喜びや、編集メンバーの力によって、なんとか隣町珈琲の本《mal"》 が発行されました。
 
僕がこの本をまず最初に届けたいのは、隣町珈琲のお客さんです。隣町珈琲は縁が連なる不思議な場所です。この本も縁が働かなければ決して生まれないものでした。東京荏原中延という辺境の地から、一人でも多くの方にこの《mal"》のご縁が届くことを願っています。




 
 

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