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明科町の薪能

 明科町では、毎年夏に薪能が挙行される。夕刻からはじまるその劇は、やがて陽が空を紅く灼いて沈みはじめると、その夕焼けの空の下に北アルプスの峰峰がくっきりと聳え立ち、まことに見事な背景をつくる。その借景も次第に闇につつまれると、薪がめらめらと燃え立ち、しずしずと進行する魂の劇は、犀川の凛とした大気に包まれて、見る者を幽玄と雅の世界を誘こんでいく。仮設舞台を設営したグランドは、毎年一千人を越える人々で埋まるのだ。一見するとなかなかの盛況なのだが、しかし舞台裏はけっして盛況ではない。人間国宝と呼ばれる演者も加わった、そうそうたる一座が大挙して明科町を訪れるのだから、とうてい入場料だけではまかないきれない。

 主催する町は、巨額の補助をこの公演につけなければならず、この財政難の時に苦しいやりくりが舞台裏ではなされているはずなのだ。それは能というすぐれた日本の伝統文化を、広い意味で明科町もまた支えているということになるが、しかし果たして明科町は、あるいは明科の人々は、この公演を心待ちにしているのだろうか。その日に向かって町が燃え立ち、人々は興奮と情熱のなかで、公演の日を迎えていくのだろうか。

 長塚節が佐渡が島で目撃した能は、地域の人々の燃え立つような興奮と情熱のなかで行れたはずだ。その能は、村人たちが舞台に立ったのだ。朗々たる朗誦も、打ち鳴らされる鼓も、ひゅるひゅると吹き渡る笛も、村人たちによって奏じられた。舞台の美術も衣装もまた村人たちの手によるものだった。村人たちは、その舞台を、一年という月日をかけて営々とつくりあげていくのだ。生活のなかで、日々の暮らしのなかで。能という劇が、まさに地域の生活のなかから組み立てられていった。それが文化というものであり、その土地に文化が生まれていくとはそういうことなのだ。

 あらゆる自治体が、この財政難のなかで、真っ先に文化的活動に対する予算を削り取ってしまった。そんななか明科町は、毎年大きな資金を投じて、能の公演を持続させている。それはそれで、なかなか識見にあふれた政策である。事実その公演には、毎年確実に千人をこえる人々の足を運ばせている。この持続から、能劇がじわりじわりと明科の土壌のなかにしみこみ、明科を文化の匂う香り高き町にしていくのかもしれない。

 そうなることを願っているが、しかしひょっとすると明科の人々は、この興行にまったくそっぽを向いていて、なにかまったく別の世界の出来事だと思っているのではないのだろうか。ただたんに日本の中心地に君臨する権威と伝統の能の一座を、安曇野の片田舎にある町に招聘する目的のために、あるいはまた興行の予算がついたので予算を消化するために、役場の担当者がただ事務的に忙しく動きまわって、この興行を挙行させている。もしそうであるなら、この公演に一つの深い疑問符をつけなければならないことになる。


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