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「ひと」創刊の言葉

扉の言葉

英和辞典で「one」という字を引くと、「一」という意味のほかに、「ひと」という意味をもっていることがわかる。ところが、日本語でも「ひと」に「つ」をつけると、「ひとつ」、つまり「一」になる。偶然の一致であろうが、ちょっとおもしろいことだ。「一」は数の原子みたいなもので、一、二、三、……という無限数列の始点となっている。だが、「一」が失われると、たちまち、○、すなわち虚無の中に転落するほかはない。「ひと」もやはり無限の世界の始点であり、絶対に失うことのできない、ぎりぎりの存在なのだ。そのことを心に刻みつけておきたい。(遠山啓)

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創刊のことば

まず、第一歩を。
わたしたちは、日本の子どもたちが賢くすこやかに育ち、平和で高い文化をもった日本の主人公となることを心から願うものです。この理想に向かって、戦後の教育は大きく前進をとげました。それは父母たちの支援のもとに、多くの教師たちの努力によってかちとられたものです。
だが現在の時点で、わたしたちは、もういちどこの戦後教育の理想を問い直し、新たな決意をもって前進はじめる必要を感じます。
わたしたちは、つぎの事実から眼をそらすことはできません。
いま、空気も、水も、食物も、眼に見えない毒によって汚され、わたしたちの生命はおびやかされています。とくにいま育ちつつある子どもたちの若い肉体がこうむりつつある危険は測りしれないものがあります。
しかし、それに劣らないほどの危険が子どもたちの精神をもおびやかしていると、いえないでしょうか。いま、多くの学校は、すべての子どもを賢くすこやかに育てるという本来の使命から大きくそれて、テストによって子どもたちのふるいわけ、成績順にならべるための選別機関と化し、その当然の結果として、多くの学校嫌いを生み出しつつあります。
この選別主義は、子どもたちを競争させ、対立させ、父母と教師たちを引き離しています。そして、人間どうしを分裂させる子の傾向は日ごとに強化されていきます。
しかも、分裂はひとりひとりの子どもの内部でも進行しつつあります。子どもたちは連関も統一もない多量な知識を注入され、子どもたちの精神は無残に分裂させられています。このような社会と人間との分裂と解体とを押しとどめることが現在の急務であります。
ほんらい、教育は、子どもたちが学びとった学問や文化を基礎として、自己の力によって、みずからの世界観や人生観を形成することを可能にするものでなければなりません。それによって、人間と人間との連帯を回復し、人間の全一性をとりもどすために、ます、わたしたちは、その第一歩を踏み出しましたいと願いました。
この決意をもとに、わたしたちは、新しい雑誌を発刊することにしました。
人間の原点にたちかえってねそこから歩き始めるという願いをこめて。それを「ひと」と名づけました。
「ひと」は少数の編集者が与え、多数の読者が受け止めるというかたちではなく、教師と父母をはじめ学生・生徒もふくめて、教育に関心のあるすべてのひとたちが創る雑誌にしたいと願っています。
(刊行発起人 遠山啓 石田宇三郎 板倉聖宣 遠藤豊吉 白井春男)


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