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処刑されるとき、ぼくは誇りをもって死んでいくだろう。   第二稿

もう私は大丈夫よ、もう二度と酒に溺れることはないわ、私の体の中からすっかり酒は消え去ってしまった、ああ、なんて水がおいしいの。朝のにおい、風が運んでくる森のにおい、草の香りがする、もう大丈夫よ、生命のリズムがもどってきたの、もう私はあなたの背中に背負っている十字架がしっかりと見えるわよ。あなたに立ち向かうだけの人間になったの。話してちょうだい。あなたの七十年の人生のドラマを。そしたら、アンナはまず私に読んでもらいたいことがあると言って、三枚の黄ばんだ紙片を渡されたのよ。それはそれはハンプトンが二十三年まえにかかれた、彼が処刑されるに前に書かれた。アンナにあてた手紙だった。ハンプトンが、死の直前に書かれた、アンナに書かれた彼の遺書をみせてくたれ。その遺書ともいえるレターを書斎の壁に貼って、ここに張って、いつも書くことに行き詰ったとき、ハンプトンを見失いそうになったとき、圧倒的に現実に壁に押しつぶされそうになったとき、自分の無力さにおびえるとき、いつもこの手紙を読むのよ。
(レリースは壁に貼られたタイプ用紙をはがす)、
綴りがいたるところに間違っている。文章だって文法だってちょっとおかしい。しかしそんなことはどうでもいいのよ、ハンプトンは生命と魂をこの手紙のなかに刻み込んだんだから。アメリカの罪を告発する手紙、アメリカをよみがえらせる手紙、アメリカに希望に与える手紙。(手紙を読み上げる)。
 
「この手紙は……〈読みとばしながら〉足音が近づいてくるが……トルーマンという男がやってきて卑劣な取引をもちかけてきたんだ。すべてを告白しろって、すべてを告白したら、お前の罪は減刑される。敵の罠だと思ったが、しかしこんな罠をかけたってぼくの主張には少しも揺るがない。ぼくは誘拐していない、誘拐していないのにどうして子供を殺すなんてことができるんだ。しかし敵はささやく。そうだ、お前はしていない、私もそう思っている、だからこそお前を救い出したいんだ、お前を電気椅子から救いだせる唯一の方法なんだ。もうすぐそこまで処刑の日が迫っている。いまはもうこの手を使わなければ、お前を救いだせない。これが最後の手なんだ。だから、まず告白する。嘘でもいいから自分はやりましたと告白する、そう嘘の証言をして、ひとます処刑台から逃れる、そしてそこからまた戦い開始すればいいだろう、トルーマンってやつはこういってぼくに迫ってきた。
しかしぼくはきっぱりと蜜のような甘い汁を垂らして仕掛けてきた罠を断った。そんな話にのれるわけはない。もしそんなことを認めれば、ぼくの命を救われたとしても、君も息子も、殺人者の妻、殺人者の息子として生きなければならないことなるんだ。ジョージはどこにいっても、あいつの親父のリンドバークの息子を誘拐して殺して卑劣な殺人者というレッテルを貼られて生きなければならない。ぼくの子供がそんなふうに生きていくなんて、考えただけでもぼくはぞっとするのだ。そんな嘘を証言して、ぼくの命が救われたとして、ジョージは殺人者の子供だということになるんだ。ぼくが処刑されたら、ジョージは殺人者の息子だというレッテルが貼られる。彼はそのレッテルを全身に張り付けられてこれから生きていかねばならない。しかし君がぼくをどこまで信じているように、どこまでぼくを信じて生きていくように、ジョージもまたおれを信じてほしいのだ。
おやじは無罪だった、おやじは無実の罪を着せられて処刑されたのだということを、息子にしっかりと伝えてほしい。そうでなくとも彼はこれからつらい人生を歩いていく。おやじは殺人者だというレッテルを貼られて生きていかなければならないんだ。それを思うとおれの心は張り裂けるばかりだ。おれたちは希望を抱いてアメリカに渡ってきた。アメリカはおれたちの希望の大地だった。しかしいまこの国は間違った裁判で、間違った判決を下して、一人の無実の人間に処刑台に送りこもうとしている。おれはそのことを後世に伝えるために犠牲になるということかもしれない。アメリカは必ず気づく、間違った、いまおれにいな。こかもしれない。に二のこの希望のこのことに気づくべきなのだ。気づかなければならならないんだ。おれはそのことを後世に伝えたい。おれの生命は、二度と誤った判決を下さないという一つの大きな転機となる、この間違った裁判が、新しい国の裁判を作りかえる、その土台となったその礎石となったとされる日がくるかかもしれない。そのことをアメリカに、アメリカ人に伝えるために、ぼくは処刑台に立つことになるのかもしれいない、ぼくは誇りをもって死んでいけることができることになるという」
 
ハンプトマンがアンナに書いた手紙、の声を読んだ。この手記を読んで、酒におぼれていた自分がなんて愚かな、腐ったぼろきれみたいな人間だったのかって思ったわよ、心がふるえた、心がもうエンジンをかけたみたいにぶるぶるとふるえた、作家としての生命がめらめらと燃え上がってきた、作家としての立たねばならない、これこそ私が書かねばならない、アンナ・ハンプトマンの磔刑の人生をあふれて出くる泉水にみたに話してくれた。朝のテラスで、森を散策しながら、昼さがりのポーチで、夜の居間で、それは大きなタペストリーを織るように、彼女の人生を話してくれたのよ。ドイツなまりの癖のある英語、でも朴訥で力のある言葉、信念と誠実の言葉、勇気と希望の言葉。彼女は二十五歳のときドイツからアメリカに渡ってくるのよ、古い大陸に生まれた、閉塞の社会に生きる若者たちにとってアメリカは希望の大地だったわけよ、ニューヨークの183丁目のイタリア人の経営するベーカリーで働く、やがて自分の店をもちたいっていう希望をいだいて、そんな彼女の前にあらわれたのが、彼女より一歳年下だけど、たくましい大工のハンプトマンと恋に落ち、貧しいけれど幸福な家庭をつくり、子どもうまれた。彼女の夢は自分のベーカリーをもつことだった、パン作りの技法を磨き、その店の開業資金をこつこつとためて、もうすぐその夢にふみだすというときに、突然、ハンプトマンは逮捕されるのよ、リンドバーク誘拐事件の犯人として、殺人者として逮捕される、なんなんだ、これはいったいどういうことなんだと叫ぶハンプトン、次々に彼に罪状を刻みこまれて裁判にかける。ハンプトンはその裁判でも一貫して無罪を叫ぶが、陪審員は全員ハンプトンに有罪の判決を下す。そして1936年の四月三日、ハンプトンの刑務所で電気椅子に座らされ、二千ボルトの猛烈な電流で処刑されるのよ。そのときアンナは、三十八歳、それから三十年間、彼女は夫の無実をはらすための戦いをつづけている女性だった。
アンナが編んだその大きなタペストリーを、作家ならば書き上げねばならない。でもここ壁が横たわっていた、大きな壁よ。私は作家だった。フィクションの作家だった。フィクションならば、タイプライターの前に座って、想像力で、自分のなかに育っていく物語をタイプライターに打ち込んでいけばいいのよ、しかしアンナのタペストリーをタイプライターに打ち込むこという作業はノンフィクションだった。ノンフィクションを書くためには、それまでの私の文体を打ち壊さなければならない。私は作家としての文体をうちこわすってこ私自身に革命が必要だったのよ、
そのときとてもない本がベストセラーになって登場してきたの。それはトルーマン・カポーティがかいた「コールドブラッド」「冷血」という本、カポーティはもともとフィクションの作家だったよ。ところが彼は一大変革をとげるのよ、それはカンザス州のアイダホという小さな村で起こった一家四人が殺害された事件を、えがいたノンフィクション。ところがこの(冷血)とにその事件を描くために、彼とに薄井に百冊の喪に記録と取材にとにい執るに佐野とに苑ね何で刑務所にまでおてずと都ね園一家四人を殺害した二人に戸の男にと対話している。菓舗―手に特に佐野帰途に関゛雛とに何キスにとにすると羽の背月な戸意にその本を書き上げていつたのよ。綿とに死佐野ほとんべ位に戸世良二綿にとにその本にとに綿に伊野徳井羽にライライバルとになつとにわとりいね和とに衝撃的にとらりとワイにとの其科ボーとにい一大変革をしなければそれとにま私はカポーティに倣って自らに文体に革命にとらしていくのよ。
ノンフィクション作家二なるにまず絶対的に作業からはじめなければならい。それはまず頭ではなく足を使うとこから恥じてメイクの二よ、足とに使とに苑其其リンドバーク事件にのすべとに資料わのポイントは、彼女の夫、ハンプトマンが冤罪にょとに処刑されたその裁判を描くことにいる、その事件にを正確に知る必要がある、そのアプローチを徹底的にやつてやることからはじめの。そこからから基本なのよ。そこからが第一歩なのよ。事実をえがきあげとのその事実を裏付けるために必要だつた。アンナが携えてきたトランクには、ぎっしりとその事件の記録を残していた。新聞記事やら、裁判記録やら、弁護士がかき集めた資料から、彼らが書き損じタイプされた文書などにのこされていた。私にそれらの記録をまず読み始めていった。それからさらにニューヨークにアパートをかりて国立図書館に通って、膨大な当時の様々記録のそれと膨大に一万ぺー氏二及ぶ裁判記録など読み込んでいったわよ。ニュージャージ州のホープウェルのいまなお毅然として立っている広大なもとリンドバーグ邸にはいって内部までみているよ、そして幼いジョンが捨てられたの林の入り、ハンプトンかに処刑されて監獄まで足を運んでいるいるとのよ。裁判にお裁判コート、裁判所、彼が収容されていた、彼が処刑されたトレントンの州刑務所にまで足の運んで、その処刑所の都もみせいもらってきた。それ書類だけじゃなくと、その時にその事件に直接かかわつた人から二採集しなければならないかった。リンドバーク手に使用人と胃と根リンドパートナの。ハンプトマンとともに働いてい人物とかね、彼をとらえた捜査官とか検事と賢頒布と万彼に裁判者、検事、警察官な、看守の報道記者、弁護士、どできだけにつまりアンナのハンプトンの立場からでなく、裁判はどのような論理で、どのような証拠を固めて、どのようなハンプトンを処刑台においつめていったのか、極力、客観的に立つために、捜査する側に、検事たちリンドバーグ事件にのはるか三十年前も1932年の三月に起こった。三十年前にとは、その当時の当たった人に立野すでにも二鵜大半があの世さっいるとね。しかし家老ら都猪また生きている何百はずとにとのるねと酔いになん戸にそと意地のもうその当時のはことにしみんなと園といかかわ人間たちとのもうみ捜査官に、刑事に、裁判長に、公聴していた人に、判決をくだした陪審員たちの、ハンプトマンの職場の二んけど、友人たちに、彼を処刑した看守たちに、刑務所の看守たちに、新聞記者たちの、親族とのもう大半が亡くなっているのだろう。しかしまた存命中の人もいる、大半が亡くなっている。追跡していくと大抵はなくなっているし、行方不明で見つけることはできない。でもその消息がわかれば、その人物が亡くなっていても子供たちに化ら根あるいは孫たちに物がすでに故人となっていても、そこに彼らの子供がいれば、孫がいればあいにか行かなければならい。現地に訪ねてもすでに移住している、アメリカじゅに散らばっている。彼らに取材するために何百通もの手紙を書いたり、電話をしたりして、その住所かわかつたら、突撃取材を敢行している。その人物の生きた足跡をたどめたるに車を飛ばしいに何んに地もかけて、路上のホテルにとまり、空振り、空振りのに連続だけと、それ歩きまわったに根ハンプトンという人部とにより明確に描くためのわたしは行動した。お金はどんどん出ていく。私の蓄えはどんどんなくなっていく。私がに奥と絵画を売り、宝石を売り、とうとう家まで売り払ってしまった。その事件を追跡していったのよ。収入のない人間がこうして生きていくない、それは私の変革よ、私自身の革命が必要だつたのよ。私は作家だった。フィクションの作家だった。フィクションならば、頭で書けばいいのよ、想像力で、自分の中に川北って行く物語を書いていけばいい。しかしいま私がとりくんでいるのは、ノンフィクションだった。ノンフィクションを書くためには、それまでの私の文体を打ち壊さなければならない。私は作家としての文体をうちこわすってことは再創造しなけれならない。ノンフィクションを書くために足を使わねばならないことになる。事実を裏づけるために、その事実をタイプライターに打ち込むためには、足を使ってなんじゅ言葉もづる、新十を裏付けると目の確かに記録や証言がひ必要となるわけよ。
 
 

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