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初等中等教育局長が暗殺されるその日、三件のテロ事件の報告書が届けられた

 期せずしてその朝、前日国会で追及されたばかりの三件のテロ事件の報告書の草稿が、寺田のもとに届けられた。文科省、法務省、厚労省、警察庁から出向したスタッフで編成された調査チームが草した第一稿である。「未成年者による連続テロ事件の真相及び深層へのアプローチ」と題された三百枚にも及ぶ大部な報告書になっていた。「日本列島を震撼させたテロ事件は、十七歳、十九歳、十八歳といずれも十代の若者たちによる犯行だった。いったいこれは何を意味するのか。日本の若者たちに何が起こっているのか。調査チームは、教育、犯罪、社会病理、青少年心理など多角的な視点から、この連続テロ事件の真相と事件の底に横たわる深層に迫ることを試みた」と書かれてその報告書をスタートさせている。

 ブルックリン・ブリッジからハドソン川に身を投じた第一の犯行者は、インターネット上に「テンチューレンジャー、第一の天誅を完了させた」と打ち込んだ。相次いで起こった二つの事件の犯行者もまたその犯行声明のなかに「テンチューレンジャー」と書き込まれている。この《テンチューレンジャー》とは、コンピューターゲーム「テンチューレンジャー危機一髪」というゲームのなかに登場する特攻部隊だった。

 一党独裁の権力国家に国民は苦しめられていた。自由を、民主主義を、と叫ぶ市民はたちまち捕えられて処刑される。この独裁国家を打ち砕き、国民を圧制から解放するために、十人の戦士からなる《テンチュウレンジャー》なる部隊が結成される。この独裁国家を支える十人の権力者たちを、次々に襲撃して打ち倒すというゲームだった。それぞれの権力者たちは何重にもガードされている。その何重ものガードを打ち破って、めざす標的の頭を吹き飛ばすのである。そのとき襲撃した戦士もそこで自爆することになっているのは、そのゲームが神風特攻隊的、自爆テロ的聖戦として組み立てられているからだった。勝利の帰還ではなく愛する国のために散華させるというゲームだった。

 マスコミばかりかこの事件を分析する識者たちも、三つのテロ事件はいずれもこのコンピューターゲームに感化洗脳された若者が起こした事件というのが共通認識になっていた。ゲームという仮想現実によって特攻隊員に仕立てられ、課せられたミッションなるものを敢行してしまった。あるいは現実という世界に仮想現実でつくられたゲームを持ち込んでしまった事件だったと。

 しかしその報告書はコンピューターゲーム説を覆すアプローチを展開していた。捜査の内部資料が閲覧できる調査チームは、ノーベル賞作家を殺害した熊谷次郎の自宅から押収されていた一冊の本に着目するのだ。「ジュピター」とタイトルされた百メージ足らずの詩集のような体裁をもった小さな本だったが、その本のなかで火のような言葉が格闘していた。一行一行検証していくと、熊谷の犯行声明のなかにその本から引用してきた箇所がいくもある。さらに驚くべきことに「クニクラ」会長を殺害した犯行者の犯行声明にも、「ワタミ・コーポレーション」CEOを狙撃した犯行者の犯行声明にも、その本から引用されたフレーズがある。それはまるで彼の犯行声明はその本を下敷きにしていると思われるばかりだ。

「ジュピター」は不思議な本だった。著者名も発行者も記載されていない。非買品だから書店で手に入れることはできない。ネット上にもその本は現れない。しかしある場所に足を運べばその本を手に入れることができる。調査チームのスタッフがその場所に足を運び、その本を手に入れたくだりが書かれている。

 中央線の猿橋という駅がある。高尾駅から四つ目である。甲府や松本に向かう急行や特急列車は停車しないから、高尾発の鈍行列車に乗らなければならい、その小さな駅の改札をでると公衆電話があり、その電話でタクシー会社に電話を入れると十分ほどでタクシーがやってくる。タクシーはいくつもの峠をこえて山襞深く入っていく。四十分ほど走ると視界が開かれ、山襞にそって田畑が広がっている。そこでタクシーは止まり、ドライバーも車から降りてきて、山襞にそって傾斜した田畑のなかをしばらく歩いてくと、木立に囲まれた地蔵堂が建っていた。太い柱と堅牢な梁で組み立てられた小さな地蔵堂だが、そのなかに地蔵菩薩が祭られている。

 賽銭箱の前に《『ジュピター』をご所望の方は、御届け先を注文書に書き込んで、頒布価一万円(送料込)を封書に入れ、賽銭箱のなかに投函して下さい。後日お送りいたします》と書かれた色紙が小ぶりの額に入れてあった。その額の下に購入用紙と封筒が置いてある。百ページ足らずの小さな本に頒布価一万円としているのは、それだけの値打ちを持つ本だということよりも、なにやら読者を拒絶しているようでもあり、あるいはそれがいかに危険な本であるかということを語っているようでもあった。調査チームのスタッフはその用紙に住所氏名を書き込んで、一万円を封書に入れて賽銭箱に投入したら、一週間後にその本が送られてきた。その本が報告書に参考資料として添付されていた。縦十五センチ×横十二センチと変型判で、百五十ページほどの小ぶりの本だった。表紙にはフクロウをコラージュした銅版画が刷り込まれ気品あふれた詩集のような趣がある。

 この小さな本がどうして山奥の地蔵堂で発行されているのか、そもそもその本はいったいいつだれの手によって書かれたものか、報告書は当然これらのことが記述されている。しかしその部分はわずか二十行足らずで要約されている。というよりもなにやら肝心のことがすべて隠されているかのようだ。これはいったいどうしたことなのか。その報告書の核心たる部分を、なぜ二十行足らずの記述で切り上げてしまったのか。

 このくだりを描くには、第二次世界大戦から稿をおこし、日本軍の南太平洋への侵攻を描き、そしてニューギニア戦線から逃亡してきた土屋文明という人物が起こした二つの暗殺事件、さらに一人の青年が生起させた事件を描かなければならないはずだった。しかしその領域には官僚は踏み込めないのだ。その三つの暗殺事件を描くには、靖国神社の問題に深く踏み込まなければならない。いまだに国民の議論が沸騰するこの領域に官僚が下手に踏み込むと、事務次官の馘首だって飛びかねない事態になる。だからわずか二十行足らずの記述で、その問題に深入りすること避けたということだった。

 しかし寺田は、この部分に朱を入れなければならないと思った。三人の犯行者たちがその本に深く感化されていることに照明をあてて、三つの事件の底に横たわるその犯行のマグマだまりとするならば、数十年前に起こった事件をたとえ官僚が踏み込んではならない領域であっても、詳細に記述をしなければならないはずだった。

 寺田はその事件のことをよく知っていた。初等中等教育に携わる官僚にとって、それはまっすぐに対峙しなければならい問題なのだ。歴史や社会や道徳の教科書に靖国神社の問題をどのように記述していくか、教師たちにこの問題をどのように授業させていくべきなのか、文科省の役人はつねに把握しておかねばならない問題だった。寺田はその「ジュピター」という本をもう十年の前に手にして精読していた。



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