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3月の脱出

8年前の3月13日、今日。
あれ、9年前だったかな。まあどっちでもいいかな。
とにかくそのくらい前の3月13日の朝、私は自分が育った家の玄関の土間で、父母と弟を前に
『突然ですがお別れの時間です!』
と言い放っていた。

当時の私はなんかあまり出過ぎてはいけない脳汁が少々出過ぎている状態であった。その前の週に行った病院で新しい薬を出され、「いいですか、他の薬はいくら飲まなくてもいいから絶対にこれだけは飲んでください」と言われていた。なるほど、この、きなこしか食べてないのに次々に動けてどんどん事態を運んでいける状態はこの薬を飲んだら止まってしまうんだなと私は解釈した。
なので薬は飲まずに動き続けた。
初めてしまった引っ越しはどうしたってやり切るしかないし、残念だけど脳汁の力を借りないと完遂できない。致し方あるまい?

そうして私は都内に借りていた仕事用の部屋とわざわざ敷地内の納屋を改装して自分と妻と猫が住めるようにしてあった実家の二カ所からの同時高跳びをやり切った。
玄関に座り込んで意味がわからないと繰り返し続ける人に、
『日本のどこかには居るよ!』
と残酷に言い放ち、妻と猫を連れて。
住所は割合数ヶ月でバレた。その辺は甘かったな。脳汁の限界だ。理性も大切だ。だけど理性では抜けることの出来ないような、ちゃんと全てを考えてたら動けないけど無視して動くしかないような時が、まあ人生にはたまにある。

そうして私は『故郷』と『実家』に別れを告げた。
我ながら決死の大脱出だったと思う。
あれから一度も帰っていないし、この先もまだ帰るつもりはない。
今住んでるところからはそのうち引っ越さなきゃかもしれないんだけど。

ここまで読んで、大変だったものと縁切りしたんだなと思う人は多いと思う。私もそう思う。大変なものと縁を切ったというかとりあえず逃げた。
無責任な逃亡だったから後の家族たちは大変だったろうと思うがあのままでは私が死んでいたと思うので仕方がない、許してほしい。

その一方で私は今でも、8年だか9年だか経った今でも、あの場所が恋しくて悲しくて仕方なくなるのだ。

育ててくれた父にも母にも、感謝している。
他の子供なんていない山奥て、一緒に育った弟には並ならぬ思い入れがやはりある。

何よりあの土地が私は本当に好きだった。
どんな孤独な時も、空と山と川が、木々の枝が、足元で遊ぶ草花の感触が、全身を打ってゆく風が、体や心にまとわりつく重いものを絡め取り吹き飛ばしていってくれた。
眠れない夜、冷たい地面に大の字になって降るような星空をいつまでも眺めて、こうして冷たくなって死んでしまえたらどんなにいいだろうと甘美な妄想に浸った。
うっすらと明るむ山の縁がそんな想像を照らし、優しく諦めを促すまで。
自然は広く大きく私は小さくてなんでもなくて、羽虫ですら私よりも自由だった。花も緑も鳥も獣も美しく孤高で、私はそこで、誰に見られることもなくて、誰に気に掛けられることもなくて、無言の空と土の中で、無力でひとりぼっちで、本当に幸福だった。

あの幸福が忘れられない。

お父さんの作るご飯。
朝は父さんが一階でコーヒー豆を挽く音と香りで目が覚める。パン。父さんの作るリュスティック。もちもちでカリカリでいい匂いのパン。
出汁の取り方も魚の煮方も焼き物も父さんの作るのを横目で見て覚えた。
シチューの作り方は母さんに教えてもらった。ごまよごしや酢の物、サラダのドレッシング、そういうものも。繊細な味付けが上手だった。
料理をしてると、これは父さんの、これは母さんの、と思い出す。

お母さんの、お父さんへの不満。
お父さんの、独特な生き方。
弟の、親への複雑さ。
みんなで食べる夕ご飯。
それらと共に毎日はあった。

私はあそこで出来ている。

夢をみる。
何度も同じ夢を見る。
お母さんとお父さんがいる。私はそこで楽しく家族をしている。目が覚めても自分がどこにいるのかわからなる。その扉の向こうには、階段を降りた一階には、お母さんがいる気がする。違う。私はもうあの人たちと一緒に暮らしていない。違う。違う。思い出して、私はもうあそこにいない。
いないの。
自分の判断で脱出してきて、戻る気はない。

今でもそれは揺るぐことはない。

家のこと以外でもいろいろなことがあった。たくさんのことが私を作っている。だけど基礎の部分が何かって言ったら良いことも悪いことも全部あそこに帰結していく。
『あそこはダムに沈んだの』
そう言ってなんとかやってきた。

それでも何か、区切りが欲しくて、今日書いてみた。
あれから8年だか9年。私は相変わらずの綱渡り人生、漫画も描けるようにならないし、病気も大してよくなんないし、どうやって諦めずに生きていったらいいのか考えて泣いちゃうような毎日だけど、ろくなこともできなかった8年だか9年だかだけど、それでも私、なんとかやってきたんだわ。生きてきたんだわ。

これからもなんとかやっていくしかないから。
どうやって生きていったらいいのかわからないけど、考えてみたらわかって生きてたこともねーんだよね。

やりたいことと守るものがあって病があって絶望も希望もあって

あの年は雨ばかり降る3月だった。雨にぬれて散った茶梅や椿を踏んで、灰色の空の下荷物を運んだことを覚えている。寒かった。とても疲れていた。でもやり遂げた。
今日は柔らかな春の雨が降って、夕方には上がって雲が淡く花の色に染まっていた。

もうすぐ桜が咲くよ。
友達と花見に行くんだ。

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