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貴景勝はよく頑張りました。

貴景勝たかけいしょう貴信たかのぶが今場所途中で休場してから引退届を出したらしい。

28歳であった。

まだ若いなと思ったが、考えてみれば優勝したり大関になったりしていたのも随分と若い頃だったのでその数年間その地位を維持し続けて来たようである。

しかし角番かどばんを繰り返したり関脇に転落したりと何とかしてもがいたようにも感じる。

横綱まで近かったのかと思ったが、他の力士も同じくらい力もあったので飛び抜けた程でもなかったようである。

優勝は4回。

振り返れば稀勢きせさと二所ノ関にしょのせき親方)は優勝2回で横綱になったのだから随分と贔屓目に見られてたなとも思ったが、連続優勝も出来なかったし、大関⇄関脇を行ったり来たりだったので相撲協会も二の足を踏んでいたのかも知れない。

他の力士も実力を示して優勝したりもしていたので立場はどの力士も一緒である。

貴景勝の取組は国技館へ何度も足を運んでもその姿を見たことはなかった。

不思議だった。

丁度休場と重なっていたのかも知れない。

それか見たのかも知れないが記憶に残ってなかったのかも知れない。

それだけ、貴景勝は都度休場を繰り返していたのだろうか。

しかし、誰でも優勝出来るということは逆を言ってしまえば最早誰も綱取りが出来なくなってしまったと言うことである。

同じく横綱に近かった朝乃山あさのやまも怪我で休場を繰り返して番付を何度も下げたりとしている。

霧島きりしまも大関になったかと思ったらいつの間にか関脇に元通りになってしまった。

正代も平幕だし、完全に相撲は団栗の背比べ状態となってしまった。

これも場所数が多くて力士の休める時間がなく常にぶつかり合っている状態なので怪我も多く、優勝力士は次回も優勝出来るとは限らなくなってしまっているのである。

皮肉にも八百長やら無気力相撲とかが公然の秘密で行われた時代の方が力士生命も長く保っていたのだろう。

横綱照ノ富士てるのふじは優勝したかと思ったらその次の場所は休場を敢えて選ぶようにしているが、どう見ても他の力士が照ノ富士に忖度してわざと負けているようにも思えてならない。

照ノ富士の足を見れば一発で分かるがもうサイボーグである。

強化外骨格みたいのを両足に着けているが他の力士はそこを狙わないようにしているのがありありと分かってしまう。

対戦する力士も照ノ富士の足を狙えば一発で転かすことも可能だし何ならそのまんま引導を渡す事位可能である。

もう、敢えて照ノ富士と対戦する自分達が横綱になんかなりたくないとすら思えてしまう。

横綱がいなくなれば大相撲の人気も落ちるのが分かるし、益々横綱を巡っての混戦も予想されるし、それこそ力士生命も更に早めてしまうのだろうと思う。

照ノ富士が生けにえにされているようにも感じる。

暗黙の了解として罷り通っていた公傷こうしょう制度がなくなったからか、それすらももう出来なくなってしまったので結局番付が下がりまくっても休場して再出発するというそうした感覚の力士も出始めたようにも思う。

セカンドキャリアを積める力士がいないということなのか?

そう言えば豊ノ島とよのしま松鳳山しょうほうざん照強てるつよしも相撲そのものから去ってしまった。

鶴竜かくりゅうも腰を悪くして土俵から降りても暫く年寄株を取得出来ていなかったらしい(今は音羽山おとわやまを名乗っている)。

有名なのはあけぼので、引退してから親方になれるのかと思っていたが年寄株を取得出来ていなくて結局土俵そのものから立ち去らざるを得なくなってしまっていた。

とは言っても後から考えてみれば曙自体は既存の地位には拘らなかったようである。その後のプロレスでもタイトル取っても手放してしまったし。

流石に貴景勝は炎鵬えんほうのように数年休んでから再出発するという考え方には至らなかったようである。

大関経験者で優勝回数もあって年寄株も既に取得していたからお金は十分にあったのだろう。

今の力士は真面目過ぎるので身を持ち崩すようなことはしないようである。

そもそも既婚なので本当に真面目なのだと感じる。

力士及び部屋の暴力や不祥事が直ぐにでも透っ破抜かれる時代なので破天荒な生き方は出来なくなってしまっているようである。

真面目過ぎる故に世の中不景気だとも感じる。

怪我を負ったら休んで番付が下がってもやり続けるのはそれだけ将来設計をしているからなのだろう。

大関経験者が平幕でもやり続けるのも変である。本来なら辞めてもいいのにである。

ただ、貴景勝はそれを選ばなかった。

元々あんまり大きくない体なのに無理矢理大きくしていて常に金魚みたいに口をぱくぱくして呼吸しているような感じなので肉体的に相当負荷が掛かっているのだと一発で分かる。

組まれたら直ぐ倒されるということなので体重も増やし過ぎてしまっていたのだろう。

こんな状態で振り出しに戻ったら流石に元の地位には戻れないだろうと思われるし、怪我も再発する虞が出てしまう。

そうなったら相撲どころか日常生活すら危うい。

引退はタイミング的に良かったのかどうかは分からないが、もう少し早くても良かったのではないかと思う。

年寄名は湊川みなとがわらしい。

力士は辞めても大相撲自体には残るようである。

もしかしたらであるが、「貴」の字を今後の部屋を持った場合弟子達に付けさせるのだろうかという期待が込められる。

鳴戸なると親方(琴欧洲ことおうしゅう)も弟子達にもヨーロッパ人でもないが欧の字を入れているのでそうした慣例を引き継ぐのだろうか。

今後はどうなるかは分からないが。

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