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非定型骨折の話 ⑧実家と私

私はといえば、母の診察に付き添ってホテル2泊で帰るつもりだったので、パジャマも洗面具もお金も用意がなかった。でも医師の説明や手術の手続き、その後の転院相談などは、耳が遠い父には厳しそうだ。状態が一段落するまでのおよそふた月、実家にいることに。
 
実家があるのに、ホテル泊をしていたのには理由がある。5年ほど前、父が大動脈解離で入院した時も、母に呼ばれて実家に来ていた。病院への届け物やお見舞いの運転手と、重い荷物運びなどのためだ。このときは2週間ほど母と暮らした後、一度自分の家に帰ろうとJRに乗ったら、何だか身体がピリピリしてきた。
 
帯状疱疹だった。うわさには聞いていたけれど、下着が触れるだけでも痛い。母と衝突しないように頑張っていた「成果」だなと思う。1週間ほどで症状が消えたので、また実家に行った。母もきっと、いつものペースが乱れてストレスだったに違いない。その後父は回復し、退院まで見届けることができた。
 
駅前のホテルは、狭くて古くてとても良い。従業員も昔ながらの感じで、無料朝食にパンがないことくらいは我慢できる。人と一緒ならもう少しキレイなところを考えるけれど、私一人ならこれで十分。でも今回はふた月もの長丁場だし、父との暮らしならいろいろな面を調整できそうと思って、今は実家にいる。


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