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「グラデーションキャンパスin関東」は、いいイベントだった。ずっと会ってないアイツを思い出すほどに。

※本稿はLGBTQ+総合ポータル「ナナイロ」に掲載されたコラムの再掲です。


オシャレな人が、怖い。

向き合うと、見下されている気がしてくる。
というか、されてきた。
これまで鼻で笑われてきた肺活量を集めたら、気球の一つも浮かべられる。
気球はそういう仕組みじゃない。うん。わかってる。たとえばの話。

だから同じ理由で、横浜も苦手だ。
オシャレな街並み、オシャレな人。行くたびに突きつけられる。自分はこの街のドレスコードを満たしてないし、その素質さえないことを。ケッ。
それでも何年かぶりに足を運んだのは、とあるイベントに行きたかったからだ。

9月最後の日曜日。グラデーションキャンパスin関東という催し。
主催は『わたプロ』という学生団体。

ジェンダーやセクシュアリティに関心のある大学生や院生などが集まり、SOGIE領域での地域活性化に取り組んでいるという。メンバーには中学生もいるらしい。はぁ。尊敬のため息。

このイベントは、団体の取り組みである『わたがしプロジェクト』の一環で、団体名もそこから転じたもののようだ。若いセクシュアルマイノリティーの居場所づくりや、情報発信を行うことを目的にしていて、これまで滋賀県や福岡県でも回を重ねていた。11月には徳島でもやるらしい。

なぜ行こうと思ったのか。それはこのイベントを知って、Sを思い出したからだった。

Sは大学の友人だった。そしてゲイだった。

平成の半ば。SNSはヨチヨチ歩きで、セクシャルマイノリティなんていう言葉は未輸入で、ゲイという言葉も今ほど市民権を得ていなかった時代。少なくとも私の身近では、とんと耳にしなかった。

しかし、ゼミ仲間はみなSが同性愛者であることを察しつつも、テレビをマネて揶揄するようなことはしなかった。一人として。彼女たち彼らは、まちがいなく誠実で、友人想いで、いいヤツらだった。

「ワタシは、気にしない」「友だちなんだから、そういうの関係なくね?」

そこに「・・・」を感じていたのは、どうやら私とSだけだった。

どこかピントが合ってない。でも、なんで合ってないのか。合ったところで、何がみえるのか。きっと二人とも分かっていなかった。みんないいヤツらだし、ま、いっか。

だから、ということもないのかもしれないけれど、私たちはソリが合った。

いつもトラッドでタイトなコーディネートに身を包み、どこか孤高なところのある彼だったが、私を草くん草くんと懐っこく呼んでくれては、他愛もないことで意気投合した。それが嬉しかった。

私は当時トランス男性と暮らしていた。母親の彼氏だった。そんなことを話したら、彼は「草くんて混み入った事情、似合うよね」とゲラゲラ笑っていた。笑った後、ふぅとため息をついていた。

卒業式の打ち上げで、Sはゼミ仲間たちにカムアウトした。ベロッベロに酔っ払って。そしてそれが、彼と私の最後の会話になった。

あれから20年以上が経った今。学生さんたちが自ら問題意識をもち、情報発信の場や仲間の居場所をつくり、それが各地に広がっているという。

Sが今どきの大学生だったら、ここにいただろうか。なんとなく彼の面影を見つけにいくような気持ちで、横浜に足を向けたのだった。

会場である象の鼻パークに着くと、寂しくなってしまうほど広い空。港の空だった。魚より人間のほうが多いような真夏よりも、人影まばらな秋海のほうが、切なさがくすぐったくて好きだ。

と思ってたら、とんだ早合点だった。

あれ?行列?そう。見まごうことなき大入り。祭りか?と思うほど。これはかなりの予想外。

会場にはスタンプラリーが用意されており、スタンプを集めると綿菓子やカキ氷をもらえるという、ファミリー層に嬉しい特典が。フラリと公園に立ち寄った家族連れが、こぞって参加していた。

そもそもこの『わたがしプロジェクト』。LGBTQ+に関心のなかった人に性の多様さを考えるきっかけを、レインボーカラーの綿菓子とご一緒に、ということで始まったものだという。あーなるほど。だから、わたがしプロジェクト。

もちろん、イベントのお楽しみはスタンプラリーだけではなく。ステージプログラムも、バラエティに富んだラインナップだった。ビンゴ、クイズ、トークセッション、プロの歌やモノマネなどなど。どれもSOGIEをテーマにしたものばかり。

観客席からは笑いや拍手が起こり、ステージとのコール&レスポンスが賑やかだった。ちょっと雑、もとい、フレンドリーな客いじりにも好感がもてた。

テーマがテーマだけに、反感を持つ人や、場合によってはヘイトな妨害だってあり得たはずなのに。パフォーマーは、ばっちりオーディエンスをロックできていた。腕と勇気に脱帽。

せっかくのパレードは見届けることができなかったものの、数時間はイベント会場にいたと思う。

そこで強烈に印象に残ったのは、運営である学生さんたちの創意工夫だった。

子どもが楽しく過ごせるように。

これまで関心のなかった保護者にも、SOGIEに関心をもってもらえるように。

もし当事者がいたとしたら、あなたは一人ではないと伝わるように。

どうやったらそれができるか。いろんなことを考えては修正し、修正しては考えて、を繰り返してきたことが、随所に見てとれた。説明の口調から、スタッフのフットワークから、ステージの進行から。

さらに感動したのは、それが「どなたでもウェルカム!」な雰囲気につながっていたということだ。

歓迎ムードとは、運営側が狙って作り出せるものではない。お客が反応し、また次のお客へ伝染させるものだ。

その日、会場はどこを見ても笑顔の人だかりだった。あの場所が明るかったのは、必ずしも快晴のおかげばかりではなかった。

おそらく運営の中にも、ステージのパフォーマーにも、セクシュアルマイノリティ当事者はいたはず。その全員がアタマとココロをフル稼働させなければ、到底あんなことはできっこない。

彼らの姿を見て私は、あの日感じた、言葉にならなかった何かを思い返していた。

同性愛者だからって気にしない。友だちなのだから関係ないー。

「あぁ。俺らは、考えることをやめちゃってたのかもしれない」

ゼミの仲間たちも私も、若さゆえ深く考えなかった。深く考えるまでもなく、互いの友情を信じきっていた。信じることに甘んじていた。

いや、若さを理由にするのはわたプロの学生さんたちに失礼だ。彼らは考え、行動している。だから、年齢の問題ではない。私たちはおめでたくて、残酷だっただけだ。

Sはカムアウトするまで、どんな思いで私たちと一緒に机を並べていたのだろう。

それほど深刻がっていなかったかもしれない。孤独を感じていたかもしれない。

「孤独は人生の公理だから」

なぜウチの大学に?というほど頭の良かったSなら、そう嘯いたかもしれない。だとしたら、私は彼にとってどんな存在だったのだろう。

帰り道。みなとみらいが遠くに見えて、記憶の蓋がもう一つ開いた。そういえば、卒業式の打ち上げは、横浜だった。

帰宅後、会場でもらったパンフレットを開いた。そこには、こんな団体代表のメッセージがあった。

「私たちが取り組んでいるのは、LGBTQ+というマイノリティの問題ではなく、孤独や不安に苦しむ若者の命の問題です。SOGIEを理由に命を絶つ若者をゼロにします」

はぁ。尊敬のため息に、別の何かが混ざったのを感じた。

あ。ちなみに。Sは別に死んでない。生きてる。でも、もう44歳か。となると、おそらく生きてる。生きてると思う、たぶん。

でも、生き急ぐタイプではあった。そろそろ祝儀よりも不祝儀の方が多くなる年齢にさしかかったし。卒業以来だけど、ちょっと連絡とってみようか。

あいつ、オシャレさんなんだよな。俺たちはもう一度、出会い直せるかな。

(おわり)

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