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よみびとしらず #01 初春 番外編 宮子

 季節の頃は春である。
 桜の花が今日、明日にも満開になろうかといった日和である。
 宮子は一人、欄干(らんかん)によりかかり和歌を詠んでいた。
 そうして、ふぅとため息をつくと視線を手元に落とし表情を曇らせるのであった。
 
 ため息の原因は夫の初春であった。
 ここ五日ほど、初春は宮子の元へ通ってきていないのであった。
 何か用事があるとも聞いておらず、宮子への不満があるとも聞いていなかった。
 せっかく桜の花がきれいに咲いているので一緒に見ようと文を送っても、「ああ、そのうち」としか返ってこないのであった。
「何が『そのうち』よ。もう散ってしまうわ」
 宮子は欄干にもたれながら、ひらひらと散ってゆく気の早い桜の花びらを悲し気に眺めていた。
 今日も一日こんな気持ちで過ごさねばならぬのか――。
 宮子が再びため息をした、その時であった。
「宮子様、初春様がお見えです、宮子様」
 玄関の方から近習が足音を立てて近づいてくる。
 正直、いま会ってもろくな会話など出来ないだろうと思われた。
 しかし顔を見せに来ているのだから会わないわけにはいかなかった。
 宮子は重い腰をあげて「はぁい、ただいま」と、玄関へ向かって歩いていったのであった。

「お久しぶりでございます」
 宮子は玄関で足を洗ってもらっている初春に向けて背後から挨拶をした。
 初春は宮子の態度をどう思ったのか、背を向けたままぶっきらぼうに「本当にお久しぶりで。お変わりはありませぬか」と宮子へ返した。
「お変わりも何もございませんとも」
 宮子は初春のその態度にいらだちを隠せず、うわずった声でそう返した。
「気分が悪いので先に部屋へ戻っておりますね」
 宮子はそう言うと、初春を残し一人先にその場を後にしたのであった。
 部屋に戻った宮子は、一応夫が訪ねてきたのだからと室内の調度品などを整理整頓し始めた。そうして香を新たにたき、夫の帰りを待ったのだった。
 しかしいくら待っても夫は現れなかった。
 宮子が再び玄関に行くと、そこには汚れた洗い桶と、夫のしたためた文が桜の枝とともに置かれていたのである。
「初春殿はいかがした」
 宮子は近くに侍っている近習に尋ねた。
「それがその……突然『帰る』と申されまして、そのままお帰りになってしまったのでございます」
 近習は申し訳なさそうに、いや、面倒ごとを嫌がる風にそう答えた。
「さようか」
 宮子は短く近習へ言葉を返した。
 そうして部屋に戻ると、文と枝はよけて置き、調度品という調度品を片端から投げて壊していったのであった。

 翌日は夏宮師匠による手習いの日であった。
 宮子は思い切って夏宮に相談してみることにした。
「夏宮様、夫の初春の事ですが、陰陽寮ではどのようなふうでございましょう」
「どのようなふうって、普通だよ。いつも通り勉強熱心でしっかりしていて」
「それがこの五日ほど、私の元に通ってきてくださらぬのでございます」
「あら恋のお話」
「夏宮様、何かお心当たりはございませぬか。いつもと違う様子であるとか……」
「そうねぇ、確かに最近、目の下に隈を作っている気がしないでもないけれど」
「目の下に隈……。どこぞに女子でも出来たのでしょうか」
「調べてあげようか」
「よろしいのでございますか」
「最近覚えた術があって試したかったのもあるんだよね」
「夏宮様、本当に大丈夫でございますか」
「大丈夫大丈夫」
 そんなわけでこの日の手習いは流れて、二人は初春についての恋談義に花を咲かせたのであった。

 翌日、早速夏宮は陰陽寮で初春に声をかけてみた。
「初春、最近寝てるの。目の下に隈が出来てるよ」
「本当に」
「うん。夜更かしのしすぎじゃない」
「ああ、そうかもしれないね」
 夏宮の言に、初春は心ここにあらずといったふうである。
「まあ、無理はしないようにね」
「うん、ありがとう」
 宮子の言った通り、夏宮にも初春はどこかおかしいように思われた。
 夏宮は迷った末に竹丸に声をかけてみることにした。
「ねぇ竹丸。ちょっと話があるんだけど」
「どうした夏宮、恋の話なら引く手あまただぞ」
「馬鹿言わないの。妹の宮子様のことなんだけど」
 ここで夏宮は先日、宮子と初春の間で起こったちょっとしたいさかいについて竹丸に伝えた。
「なんだ、痴話げんかじゃないか」
「それはそうなんだけど、初春が五日も顔を出さないってこれまでになかったらしくて」
「おお、初春、そんなまめな奴だったとは」
「ふざけないで。それで宮子様がふさいでらして」
「そういう事は本人同士に任せた方がいいと思うぞ」
「でも私、宮子様と約束しちゃったんだよね、調べてあげるって」
「また余計な約束を」
「そういう訳だから、竹丸、協力してね」
「そういう訳か」
「そそ」
 そんな訳で竹丸をも巻き込み、初春の素行調査が行われようとしていたのであった。
 竹丸も、最初こそ乗り気ではなかったものの、元来ののりのよさで直ぐにやる気になり初春の相手を買って出たのであった。
 竹丸は修行中の初春をつかまえてこう切り出した。
「初春、最近悩みとかないか」
「悩み……。竹丸はあるの」
「いやあ、俺は今のところ大した悩みもなく過ごさせてもらってるよ」
「そりゃあうらやましい」
「お前、目の下に隈が出来てるじゃねえか。何かあれば俺が力になるからな。ちゃんと言うんだぞ」
 そう言うと竹丸はがしっと初春の肩を抱いた。
「ありがとう竹丸」
「私もいるからね」
 そう言うと夏宮は初春の腰をぽんと叩いた。
「ありがとう夏宮」
 こうして夏宮と竹丸の二人は、初春に呪をかけることに成功したのであった。
 術の名を『色糸(いろいと)』という。
 相思相愛の糸が赤、片思いの糸が白、友情であれば黄色の糸、という具合に、範囲は限定されはするものの、小指から出る糸の色によって周囲にいる人間との関係が大体理解できる術であった。女子の間の糸遊びを源とする呪である。
 術のかけ方としては、呪を唱え、対象となる人物に触れるだけでよかった。

 呪をかけた後、竹丸の別荘に移った夏宮と竹丸は、早速初春の小指を注視した。
 ここでは上級術である『遠目(とおめ)』が利用された。
 『遠目』とは、別人の瞳を使って目の前にない場所を見る術であった。
 呪のかけ方としては、これも呪を唱えて相手に触れるだけでよかった。
 二人は『遠目』ならびに『色糸』を使ったのであった。
 『遠目』で見る初春の小指から出ていたのは、赤い糸が一本、黄色い糸が二本、青い色が二本、紫の糸が一本だった。
 相思相愛の赤い糸は勿論宮子様だと思われた。
 友情を示す黄色い糸は夏宮と竹丸。
 尊敬を示す青い糸は保憲様と晴明様かと思われた。
 怨恨を示す紫の糸が一本出ているのは、頼明のものと思われた。
「別段、色恋を示す糸は出ておらぬようじゃな」
 片目をつむり右手で筒を作りもう片方の目にあて望遠の形をとる竹丸が言う。
「そうね、宮子様の心配は徒労に終わったということかしら」
 同じ形をとりながら夏宮が返す。
「それでは初春のあの態度は何なんじゃ」
「そこよね。気になるから調べちゃいましょう」
「そうじゃな」
 夏宮と竹丸がそう同意した時だった。

「話は聞かせてもらったぞ」
 声が上から降ってきた。
 例によって烏天狗であった。
「もうやめてよね、盗み聞きなんてたちが悪いよ」
「そうじゃぞ、烏天狗よ」
「たちが悪いとは、お主等が言うか」
「初春の様子がおかしいとな」
「そうなんだけど、烏天狗は何か心当たりはある」
「いや、物の怪がらみであれば儂らの出番なんじゃが、そういった話は聞かぬな」
「そうか。では玄庵がらみじゃろうか」
「ではひとつ玄庵の元へ行ってみるとするか」
 話がまとまったので、二名は牛車に乗り、一名は飛びながら、一路願良寺へ向かったのであった。
 
 願良寺に牛車を横付けし、二名は両側に桜並木をたたえる長い石階段を登っていった。
「本当、飛べるっていいよね」
「儂らにも翼があればな」
「あるじゃろう『浮遊術』が」
「あ」
「あ」
 という訳で二人は訓練がてら『浮遊術』を自らにかけ、長い石段の残りを昇っていったのだった。
 石段も終わりに近づく頃には、いつも通り子供たちの声が聞こえてきていた。
「これはこれは、夏宮殿に竹丸殿、それに烏天狗殿まで。お揃いで何用かな」
 寺の境内の長椅子に腰かけていた玄庵が声をかけてきた。
 二人は子細を説明すると、玄庵は訝しげに答えた。
「確かに初春の態度はおかしいですね」
「玄庵殿は何かお心当たりはございませぬか」
「そうですねえ、一つ。最近また新たに九相図を依頼いたしました。関係があるかは分かりませぬが」
「ふうむ。九相図が関わっているのやもしれませぬな」
「ああ、一つ一つ潰していこう」
「では私も同行してもよろしいでしょうか。最近身に着けた呪がありまして」
 玄庵は、言うと呪を唱え『浮き体(うきてい)』と叫んだ。
 『浮き体』とは、陰陽師の術でいう『浮遊術』であった。
「おお、玄庵殿は飲み込みが早いという噂でしたが、もうそのような上級の術まで身に着けておられるのか」
「我等は一年がかりよ」
「初春と張るのかもしれないね」
 そんな訳で三名は牛車で、一名は飛んで、一路右京を目指したのであった。

 右京に到着すると、早速初春の牛車を見つけた。
 四名は牛車を置いて、浮きながら出来るだけ近づき様子を探った。
「どうやら、こちらには気づいておらぬ様子じゃ」
「そうじゃな、さてどうする。みなで問い詰めるか」
「まぁ待て、ちと様子を見ようではないか」
「さようでございますな」
 四名は浮きながら、引き続き初春の後方から観察を続けたのだった。
 当の初春といえば、いつものように九相図を作成しているのであった。
 半刻ほどたったろうか、三名の呪は限界にきていた。
 竹丸の膝は震え、夏宮の顔は青ざめ、玄庵の足は今にも地につきそうであった。
「どうする、帰るか」
 そう竹丸が提案した時であった。
「『全解除』」
 初春が振り向き叫んだ。
 四名のうち三名がその場に崩れ落ちた。
「初春、おぬし、気づいておったのか」
 唯一無事であった烏天狗が問う。
「当然です。常に『人結界』を張っていますから」
 初春はにこりとして答えた。
「話は『遠耳』にて、すべて聞かせていただきました。私と夏宮のことは当人同士にお任せいただきたく。皆さまのお心だけお受け取りいたします」
 そう言うと初春は向き直りぺこりと礼をしその場を後にした。
 竹丸と夏宮が腰帯を確認すると、なるほど『通耳』に使用されたと思われる形代がそっと挟まれているのだった。
 地に落ちた三名は力尽きた様子でその場に座り込んでしまっていた。
「どうする」
「どうするもこうするも、本人がやめろと言っているんだからやめたほうがいいんじゃないの」
「いやしかし気になるのう」
「確かに気にはなりますけどね」
 四名はそう言うと牛車に戻り各々が住処に向けて帰って行ったのであった。

 さて宮子である。
 宮子は一通り室内を荒らすと、まだ怒りさめやらぬといった様子で今日は一日弓をしていたのであった。
 弓の稽古から帰った宮子は、荒れた室内に夫・初春が認めた文が残っていることに気がついた。
 文は破ってしまおうと思っていたが、弓をして気分が晴れていたことが幸いして、宮子はそっとその文を開いた。
 すると、どのような術かは分らぬが、書いてある文字が夫の声となり起き上がってきたのであった。
 術を『文字起こし』といった。その名の通りの意味である。
「また陰陽師の術かしら」
 宮子はなかばうんざりした様子で夫の声に耳を傾けていた。
 声は言う。
「宮子へ。最近はそちらに通えず寂しい思いをさせていることと思う。すまない。実は九相図を作成するにあたり、どうしてもいい色が出来ぬためここ数日自邸に泊まり込み色づくりをしておる。仕上がった暁には宮子に見せてやりたいが、いかんせんものがものである為見せるのはやめておこうと思っておる。妊婦を刺激してもよくないだろうし。お腹の子を大事に、体を大事に過ごして待っていて欲しい。初春」
 宮子は怪訝そうに後半の文字面を再度追った。
 『妊婦』?
 『お腹の子』?
「何をおっしゃっているのかしら」
 宮子ははっとし、これも陰陽師の術か何かで知るに至った事実ではあるまいかと見当をつけ、念のため主治医を呼んだ。
 医者の見立てでは確かに懐妊しているとのことだった。
「まぁ、初春様ったら」
 宮子は居ても立ってもいられず牛車に乗り込み初春の元へ向かった。

 初春は自邸に戻って今日も色づくりに精を出していた。
 そこへ宮子が訪ねてきたのである。
 初春は怒鳴り込みに来られたのではないかという嫌な予感を抱きながら妻を出迎えに向かった。
 玄関で足を洗ってもらっていた宮子は、初春の顔を見るなり顔をほころばせた。
「あなた」
「宮子」
 二人は揃って初春の部屋へ向かった。
 庭の桜の木々は満開であり、夕暮れに散る花びらが縁側をはらはらと色づけている。
 室内でお菓子をいただきつつ宮子と初春はしばしの花見を楽しんだ。
 二人して何も語らず、ただ時だけが過ぎていくのであった。

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