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よみびとしらず #03 聖子 第七章 会議

 残された時間は半月。

 頼明に形代を仕込んで三日後、計画を立てるにあたり一度皆で集まろうと会が催された。
 時は長月三日の未の刻、場所は皆から等距離にあたる玄庵が住職をつとめる願良寺である。
 
 未の刻、若い小坊主たちの手により願良寺の鐘が鳴らされた。
 それを待たずに境内には人間、物の怪、陰陽師、坊主があふれている。
 人間は、小高い丘の上に位置する願良寺まで真っ直ぐに伸びる階段をあがってやって来る。
 物の怪は、願良寺の裏の小さな滝の裏に設けられた『入り口』を使い、妖界から人界へやって来る。
 陰陽師は人間と共に、坊主は物の怪と共に妖界からやって来る。
 境内では既に顔合わせが始まっており、互いに肩を叩き合ったり手を打ったりし、労をねぎらっている。
 季節の花で有名な願良寺では、境内を巡る生垣ごしに、彼岸花が見ごろを迎えている。
 天気はあっぱれ、秋晴れである。

「お待たせいたしました。どうぞ中へお入りください」
 願良寺の講堂に設けられた玄関口の脇に立ち、玄庵が笑顔で皆を中へ促す。
 講堂は百坪と広く、普段は道場も兼ねているが、今日は座卓をコの字に並べ、それぞれの席に小坊主を数名あてがっている。
 中へ入った面々は、担当の小坊主から指名を受け、案内されるがままに割り当てられた席に着席していく。
 物の怪達は数が多いので名を呼ばれない者もおり、それらは後ろに適当に座っていく。
 対して妖界から足を運んできた坊主たちは、折り目も正しく溢れた者は後ろに列をなし座っていく。
 玄庵が出入り口付近で最後の一名を中へ通し終えた。
 全員が座すのを見渡して、挨拶の言葉が送られる。
「やあやあ、皆さま、この度はご足労いただきまことにありがとうございます。白湯がいきわたるまでもうしばらくお待ちくださいませ。では早速ですが半月後に控えた頼明討伐に関して、よい案がありましたら挙手にてご発言下さい。なお発案は一名につき一つとさせていただきます」
 にじんだ汗も冷めやらぬうちに、玄庵の挨拶で一同が静まり返る。
 小坊主たちが運んでくる器の重ねる音や衣擦れの音などが堂内に響き渡る。
 夏の盛りも過ぎ、この時間に鳴く蝉はもういない。

「では私からひとつ」
 手をあげたのは物の怪の総大将、古狸である。
「まずどうやって頼明を討つか、じゃのう。同じ人間同士じゃ、何か案はあるんかのう」
 言って古狸は対面する坊主らに目をやった。
 その視線を受けて手をあげたのは玄庵であった。
「再び宴を催そうと思っております。人間の連なる席だと頼明も油断することが今回分かりました」
「ほう、先ほど陰陽師に聞いたが、先だって頼明に呪を仕込んだというではないか。いやおそれいった」
 古狸の言葉を受けて一気に場がざわつく。
「その話は本当です。頼明めに『通耳』という音を拾う呪を仕込んでやりました。おかげで収穫も多くございました」
 話を続ける玄庵の傍らでは坊主集団がどよめいている。
「それは何よりじゃが、果たして頼明めが二度目を許すとお思いか」
 笑顔を見せる坊主等の空気に水をさしたのは物の怪の二列目に鎮座する座敷童であった。
 みな適当な姿勢を取り座っている中で座敷童だけは折り目正しく座布団の中央に片膝を立てて座っている。
 物の怪の中でも大人しい種として通っている彼女が発言するのは珍しい事であるようだった。
 発言を受けて物の怪の一座はそのか細い言を取りこぼすまいと急に静まり返ったのだった。
「頼明に二度目は通じぬと思うがいかがかな」
 こけしのような姿からは想像も出来ぬほど強い声色に、一同は再び静まり返った。
「慎重になるのは結構。じゃが他に頼明を誘い出す手立てが無い。奴の住処さえ分からぬのが現状じゃ」
 そう発言したのは物の怪とも坊主等とも角を成す場に座る陰陽師の康親である。
「それに此度は我等雅楽寮もお手伝いをする。となればやはり宴の席に呼ぶのが一番早いかと」
 とすかさず雅楽寮の良成が重ねる。
「宴を催すなどと悠長なことを言っていてよいのだろうか。頼明の住処とやらを突き止めるのが先ではないのか」
 こちらも慎重な声色で発言をしたのは坊主集団の中から手をあげた明水みょうすいである。
「いや、時は待ってはくれぬ。我等に与えられた時間は半月しかない。とてもではないが頼明の住処を突き止めるなどということは出来まい」
 そうぴしゃりと言ってのけたのは他でもない玄庵であった。
 その後も議論がなされたが、これといって頼明を誘い出す策の出ないまま発言だけが重ねられた。
 結果、やはり宴に招くのがよろしいという事になり座は一旦小休止に入った。

「お若いの、よく年をとっておるのう」
 その声にはじかれたように康親が振り返ると、そこには若い時分に見たままの姿で古狐がちょこんと二つの足で立っていた。
「これは狐殿、お久しぶりでございます。烏天狗殿とは度々会っておりましたが狐殿はいつぞや以来でございますね」
 康親の言う『いつぞや』は、ざっと五十年以上昔のことである。
「おぬしも良い顔になってきたのう」
 狐は康親の顔に刻まれた深い皺を見てにかっと笑った。
「狐殿には及びませぬ」
 康親はかっかと笑って返した。
 そこへ黒い大きな影が舞い降りた。
「やあやあ遅れて申し訳ない」
 声の主は烏天狗である。
「噂をすれば、でございますね」
「なんじゃ儂の噂をしておったのか。良い噂に違いないのう」
 そう言う烏天狗の背後からは「こんにちは」と言って奏が顔をのぞかせた。
「おお、奏殿、お加減はいかがかな」
 その言葉を受けて奏は烏天狗の背を降り、その場で上半身を少しだけ脱いで見せた。
 そこに奏の肉体はなく、衣が虚しく透けていた。
「これは……」
 思わず手を口にやる。
「あと半月、私も出来る限りのことをいたします」
 奏はふふっと笑いそう告げた。

 小休止が終わり一同は再び席に着いた。
「では頼明めを宴に誘うことといたしました。次の手はどう打つがよろしいか」
 小休止に緩んだ空気が再び玄庵の声で張り詰める。
「その場には宴に出席する人間たちもいるのであろう。下手に動けぬのはこちらも同じよ。果たしてどうする」
 今度は明水が口火を切った。
 それにより場は再び静けさを取り戻す。
 皆、互いの顔色をうかがうように首を左右に振る。
「頼明めを誘い出したとして、まずは人目の無い場所へ連れ出さねばなりませぬね。人々に余計な被害が出てもいけないだろうから」
 しんと静まり返った場に、そう投じたのは康親である。
「それはそうですね、では頼明を連れ出すその方法は」
 場を仕切る玄庵が代表して続きを促す。
「そうですね、何か良い方法があればよいのですが」
 康親は言葉につまった。
 すると場はひそひそとした声でいっぱいになった。
 そこへ一等大きな声で手をあげたのは狸殿である。
「そこは人間の方でどうにかしてもらいたいのお。儂らはこちら人界ではあまり自由が利かぬ身じゃから」
 人界では老いた住職に変化している狸殿の言葉である。物の怪たちは皆一様に首を縦に振った。
「よろしい。では頼明を人混みから連れ出す役は人間とする。では誰がどのような理由をつけて連れ出すのかを決めましょう」
 玄庵はそう言い、物の怪を覗いた人間一同に目をやった。
「私ではいかがでしょう」
 手をあげたのは明子である。
 一同の視線が明子に注がれる。
 玄庵も明子を見定め、そして一度つばを飲み込み、慎重に続けた。
「なぜ」
「垂れ流す妖気もなく、陰陽術に通じてもいない、年端もゆかぬ私ならば頼明も油断しましょう。誘い出す口実は偽の文を用いたいと思いますがいかがでしょうか。是非、私にそのお役目をお与えください」
 明子はよく通る声で訴えた。
「他に我こそはと思う者はいないだろうか」
 明子に手をあげさせたまま、玄庵は他の人間に目を渡した。
 場が静まり返る。
 しばらくを置いて玄庵が続ける。
「では頼明を誘い出す役目は明子に任せよう。口実はそれでいいだろう。任せたよ明子」
「はいっ」
 明子は大きな声で返事をすると、手をおろし、隣に座っている聖子に目をやり笑ってみせた。
 聖子は、一方的に競争心をあおって来るような明子の様子を受けて、何食わぬ顔で視線を外し、小さく、けれど深々と一つ大きくため息をついた。
 その様子を傍目に見ていた良成は、その場で大きくため息をつき、そのまま視線を奏君にあてた。奏君とはもう長い間楽器を演奏していない。頼明など忘れて妖界へ赴き好きなだけ奏君と奏でていたいと願う良成であったが、そのような良成の本音に気づく者はこの場に誰一人としていない。

「では次に、頼明めをどこへ誘い出すかでございます」
「それは妖界でいいじゃろう」
 玄庵の言に対して狸殿が断言する。
「そうですね、妖界であれば物の怪の力が十分に発揮できますから、それでよしといたしましょう。では明子に誘い出してもらった頼明をどのように妖界へ引き込みますか」
「もう一つ『入り口』をこしらえるのはいかがか」
 たたみかける玄庵に応えたのは明水である。
 しかし明水の言には人間一同がざわめいた。
「明水殿はとんでもない事を言う。都に風穴をもう一つ開けろというのか。この50年で既に二つ目を開けておるというのに」
 そう声高に言うのは陰陽師の康親である。
「明水殿は妖界に住んでいらっしゃるからそのような無責任な事が言えるんじゃ」
 康親の言葉に重ねるように誰のものとは分からない野次が後方から飛ぶ。
「そうですね、では願良寺に招くというのはいかがでしょうか」
 玄庵が助け舟を出す。
 玄庵は続ける。
「明子が差し出す文に、『願良寺の裏の滝にて待つ』と書いておけばよいのです。妖界に招くのは力づくでよろしいでしょう」
「『力づくで』とはお主らしからぬことを言う。が、それでよかろう。力づくで引き入れるのは儂らに任せい」
 古狸はそう言ってくつくつと笑った。
「では戦力を配分しましょう。頼明を妖界へ引き込んだとして誰がどう攻めるか決めておかねばなりません」
 玄庵は日々の読経で鍛えた声を朗々と響かせ手際よく議題を繰り出す。
「ひとつ前の対戦では一人ずつ当たったがのう。今度はそんな悠長なことは言ってられまい」
 物の怪の中から声が飛ぶ。
「そうですね、今度は事情が違います。前回のように稽古の延長という訳にはいかないでしょう」
「ではどうする」
 玄庵はすっと手をあげ場をしずめる。
「ではまず戦力として数えられる者を把握しましょう。物の怪の皆様に、明水率いる坊主集団、それに陰陽師率いる人間たち。ざっとこんなところでしょう。これらをどう振り分けるかでございます」
「頼明には仲間がおるようだったぞ。そちらにも戦力をあてねば」
 坊主集団の後ろの方から声が飛ぶ。
「ええ、頼明がどう出てくるかが問題でございます。妖界へ引き込んで仲間を呼ぶやもしれませぬし、呼ばぬやもしれませぬ。そこで、まず呼んだ場合を考えましょう」
 玄庵は手際よく話を進めてゆく。
「妖界に引き入れた後で頼明が仲間を呼んだとしましょう。ではその仲間がかけつけるはずでございます。我等は二手に分かれる必要があります。その二手を決めましょう」
「頼明対峙は物の怪に任されたい」
 古狸が声を大にして言う。
「我等はもう二度も頼明めを退治しておる。今度も我らにお任せいただきたい」
 古狸の様子を見やって玄庵が続ける。
「分かりました。では呼ばれた仲間とは、われら人間が対峙いたしましょう。坊主集団は予備として後方支援をお願いしたい」

「よいでしょう」
 玄庵の言葉に皆がうなづいた。

 作戦会議は日が沈む夕刻まで続いた。
 皆が最初で最後の会議であるから、些末な点までしっかりと決めて解散した。

 玄庵は寺の裏口の滝の脇に立ち、妖界へ帰ってゆく物の怪を最後のひとつまで見送っている。
 そこへ近づく影が一つ。
「玄庵殿」
 そう声をかけるのは良成であった。
 玄庵は振り向き笑顔を向ける。
「良成殿、どうされた。まだ講堂には皆がおるのではないですか」
 玄庵の言う通り、講堂の中にはまだ妖界へ帰らない坊主集団と陰陽師らが座談会を開いていた。
「それが、折り入って頼みがあるのでございます」
「頼み」
 玄庵は目の前の池の縁に設けてある石造りの腰掛けに座り、良成を促した。
「はい、我等雅楽寮の者もお力になりたいのは山々なのですが、いかんせん皆が素人というありさま。何か簡単な術や武器があればよろしいのですが。玄庵殿ならご存知かと思いまして」
 玄庵の隣に腰をおろし、良成は乞う。
「なるほど、これは思い至らず申し訳ない」
「いえ、皆が揃っている場では言い出しづらいことでもあり」
「かまいませんよ。そうですね、雅楽寮の皆さまには楽器を用いていただきましょう」
 玄庵の言に良成は一瞬戸惑う。
「楽器、でございますか。しかし武器とするにはあまりにも不似合いではございませんか」
 そんな良成を笑って玄庵は続ける。
「良成殿ならご存知でしょう。雅楽の意味を。添えられる祝詞の意味を」
「と、申しますと」
 良成は、目の前を落ちる滝に目をやる玄庵を見た。
「祝詞は文字通り祈りの言葉でございます。一種の霊力でございますね。共に奏でられる楽器の演奏にも霊力が宿っているのでございます。それが証拠に、雅楽寮の周囲を彩る庭木は他と比べ一段と見事でございましょう」
「はあ。『言霊』と関係があるのでしょうか」
「そうですね、祝詞は先の時代から歌い継がれてきた言葉でございます。何度も繰り返しうたわれることで言葉そのものに霊力が宿るのでございます。楽器の演奏もまた同じ」
「楽器を奏でることで霊力が」
「そうですね」
「では『楽器を用いる』とは、『楽器を奏でる』という意味なのでございますね」
「ええ。雅楽寮の皆さまには楽器を演奏していただくことで呪を繰り出していただきたいのでございます」
「しかし『呪を繰り出す』と言われても経験がないのですが」
 良成はいかにも途方に暮れたという顔をしてみせた。
 それを見やって玄庵は続ける。
「ですから、これから半月でその手法を身に着けていただく」
「なるほど」
「それに」
 玄庵は言って懐に手をやる。
「よろしければ、これをお持ちください」
 懐から取り出された玄庵の手には、都に流行る密教の衆が使う金色の金具が握られていた。
「これは」
「三鈷(さんこ)と言います。私にとってはお守りのようなものでございます。これをお持ちになるといい」
「ですが玄庵殿の大切なものでは」
「まだ余分がありますからご心配なく」
「はあ」
 言われるがままに、良成は両手を差し出し有難く頂戴した。
「雅楽の持つ霊力を具現化する道具になりましょう。どうぞお持ちください」
 良成は、己の手が握る光り輝く法具に目をやり、玄庵に礼をするのであった。
 夕陽は小高い丘の上にある寺に降り注ぎ、二人の影を長く地面に伸ばしている。


 
 
 翌日から早速、人界でも妖界でも、参戦する者たちの稽古が始まった。
 
 雅楽寮では陰陽師である康親を招いて呪術の基本を学ぶところからはじまった。
 聖子は、師匠の良成と、同僚の明子と犬千代と共に空き教室に陣取っている。
 それぞれの前には、大人の手のひらほどの形代が一枚ずつ並べられている。
「では、はじめ」
 康親の号令で、四名はいっせいに形代に向かい念じはじめた。
 頭の中を空にして、一方では針に糸を通すかのような心持ちで、目の前の形代を一心に見つめる。両手は形代を上から抱くようにしている。
 康親は皆の様子を監督しながらゆっくりと数を数えていく。
 その数が十まできたところで、「やめ」の号令がかけられた。
 皆いっせいに緊張を解き、椅子の背もたれにどうと身を傾ける。
「いや、まったく変化が見られませんね」
 そう言う良成の額には、じっとりと汗がにじんでいる。
「本当にこれが浮くのでございますか」
 聖子は苦笑いである。
 そんな面々の様子を確認したように、康親は静かに続ける。
「陰陽師でも最初から出来るものではありません。しかし今回は半月という期限がございます。そのため少々無理をしていただかなくてはならない。大変ですが、頑張ってください。皆さんの努力次第で半月後の結果が決まるかもしれないのです」
 それを聞いて、良成は大きく深々と息を吐いた。
「念じながら楽器を奏で音に霊力を吹き込むのです。泣いても笑ってもあと半月でございます。ではもう一度」
 康親の言葉に励まされ、皆上体を起こし再び形代に向かう。
 雅楽寮ではこの稽古が繰り返し行われるのであった。

 一方の八郎である。
 八郎は、ひとり陰陽寮の稽古場に陣取り、術の数々を繰り出していた。
 四方の雨戸を閉めた仄暗い空間には、八郎の他には誰もいない。
 前日、解散してから師匠である康親につかまり「丁度いいから八郎の陰陽師試験を行ってしまおう」と告げられたのであった。
 陰陽師試験とは、見習いが陰陽師になるための試験である。師匠の眼前で課題となる術を繰り出し、その結果で合否が決まるといった体をとる。
 八郎にとっては願ってもないことであった。
 試験の日程は半月後、頼明対峙の前日と定められた。
 それまでに八郎は課題の術を自由に扱えるようにしなければならない。
「のぞむところじゃ」
 八郎はそう意気込み、一人稽古に励むのであった。

 他方、玄庵である。
 相変わらず夢見が悪く、会合の翌日、玄庵の身は昼まで寝床にあった。
 朝からいそがしく動き回る小坊主たちの手により講堂は磨かれ、玄庵の居室にも秋の風が気持ちよく吹き込んでいた。
「おそようございます、ご住職」
 縁側へ出て陽光を浴びようとする玄庵を見定めて、小坊主が二三人駆け寄ってくる。
「おそよう、何か食べ物はあるかな」
 そう言うと玄庵は、腹をさすりながら草履を履き、丁寧に刈り払ってある庭の植木の前に出て運動をはじめた。
 その様子を見た小坊主たちは、くすくすと笑いながら威勢の良い返事をして踵を返し食堂へと引っ込んでいく。
 太陽は既に高く、秋の澄んだ空に、すじ雲がはるか彼方へたなびいている。
 花の寺として名高いこの寺では、今時分であればりんどうが見ごろを迎えていた。
 豊かな草木に囲まれ一汗かいた玄庵は、ゆっくりと室内へ戻り、講堂の奥に続く廊下を通って食事処へと向かった。
 午後からは妖界で明水率いる坊主集団と稽古の予定である。
 またひとまわりやつれたその身に、玄庵はひとり闘志をたぎらせるのであった。

 一晩あけて同じように太陽がのぼった妖界では、物の怪達が我先にと稽古場を占領していた。
 総大将である古狸が、似た性質を持つ物の怪をいくつかの組に分け、それぞれに稽古場をあてがったのである。
 とはいえ、物の怪の力とは人間の思念により上下する。
 物の怪たちが訓練するのは、そんな揺らぎのある不安定な力であった。
「しかし頼明め、今度こそ命を奪ってやろうぞ」
 鼻息荒くそう言い切るのは、前回の対戦で痛くやられた狐であった。
「お主は実際どう見ておる、天狗よ」
 狐は手のひらに大小の火の玉を作り、それをお手玉にしながら声だけ隣に座る烏天狗に向けた。
「そうじゃのう。頼明めももう歳じゃ。一方我等の味方の人間たちもいい歳じゃ。死人は出るじゃろうなあ。それに。弱っておる物の怪の中には頼明の霊力にやられて消えてしまうものもおるじゃろう。どちらにせよ最終決戦じゃ」
 そう言って烏天狗は、その大きな嘴を天に開いてかっかと笑った。
 そんなやりとりを横で聞いていた奏は、透けて見えない上半身に手をやり、寂し気に目をつむるのであった。

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