見上げれば青い雲 [キャプテン・ドレイク2]
今回の物語は最初のエピソードよりも以前に遡る話である。この物語ではドレイクが今の道に踏み込んだいきさつが語られる。
(公開時期は5番目なので私のページでの並びはおかしくなっているがこれが二番目のエピソードでまちがいないので)
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人は旅に魅了される。時を経て旅の形態も多岐に考案された。そのひとつに豪華客船の旅がある。魅力あふれる数々の観光目的地を巡るために面倒だが避けて通れない面倒な『移動』をまるごと豪華ホテルの滞在へと変貌させるすばらしいアイデア。
しかし世の中へそ曲がりには事欠かず、このしごくまっとうな解釈にすら異説を唱えることもあろう。例えば。実は相反する体験の融合こそが豪華客船の旅の本質である。果てしない大海原に堅牢巨大な船で乗り出すことは一見安全この上ない安心な日常に包まれていると感じられ、実際一時は太平な海が旅人を迎えたとしても、いつ何時牙を剥いて荒々しい自然の実体のままに相対してくるやもしれない。この厳しく拮抗する両面に気づき、表面的平安の裏に潜在的危険を感じることこそが根本であり、この二重性こそが豪華客船の本質である、等々。だから人が豪華客船の航海に惹かれるのは旅程通り何の滞りもなく遂行されることを当然と思う気持ちと裏腹に、そんな人の謀など木っ端微塵にする無慈悲な力に肌身をさらすことを心の底では求めているからだと。
本質論の決着はともかく。豪華客船クルーズは時代を越えて魅力を持ち続け、やがて大海原を行く巨大船が宇宙船に置き換わっても廃れずに続いた。地球で生まれたホモ・サピエンスは誕生から2~30万年はずっと地球に縛りつけられていた。衛星の月には幾ばくかの者が行ってその上をちょっと歩いたりしたがそれだけだった。次の目標である火星到達は計画されては延期ということが何度も何度も繰りかえされ、数十年間膠着状態だった。そして火星到達より早くワープ航法が実用化されてしまった。
* * *
「どれもこれもつまらんものばかりだな。私が九年暮らした移民船で嫌になるほど見てきた」
見学者の中から聞こえよがしの大声が響いた。豪華客船ボイジャー・オブ・ザ・ギャラクシー号クルーズ旅のオプショナルツアーの最中だ。とある惑星を訪れ、屋内見学をしている最中だった。声の主はこれまで何度かのオプショナルツアーですでに皆から要注意者と見なされていた。大男で胴回りもりっぱで、短髪赤ら顔。細身の妻と年若い娘を連れているが二人はできれば他人の振りをしたい様子だった。クルーズ参加者の間ではとっくにその男とは関わり合いにならないようにする空気ができあがっていた。ただ、今回の発言に限っては全員内心賛成だった。
この惑星の首都ラルファには狭い地域に高層ビルが21棟もひしめき合うように建っている。そのほとんどは1000mを超える高さで一番高いものは1500mである。都市の総人口約百万人のすべてがその摩天楼のどこかに住居を持ち、仕事場を持ち、工場や農場もビルの中に格納されている。それを順繰りに見学しているところだ。しかし、銀河に人々が散らばったこの時代、数年以上をひとつの宇宙船の中で暮らすということはありふれた経験だ。そうなると船内の人工菜園も様々な工場もあたりまえだし、長期の船旅では乗客も何かしら仕事の割り当てを持つことも普通で、必然的に職場に隣接した場所で寝起きするスタイルになる。全人口を限られた数のビルに収容する都市自体は珍しいとしてもその中の個々の施設は見慣れたものでしかなかった。
手足のひょろ長い、間を開けずにしゃべり続けるのが癖のツアーガイドはさっきの大声を聞こえぬふりで通した。そもそもこのオプショナルツアーの前半が不人気なのはいつものことだ。目玉はこの先にある。彼の問題児はその後もずっと不満たらたらだったが、ビル見学はやっと終わりを迎えた。
「では皆様をこれからビルの外の地上へご案内しましょう。外の空気とすばらしい景色をご堪能ください。この星の植民当初を再現した建物がしつらえてあり、そこで買い物や暖かい飲み物などを楽しんでいただけます。本日の外気は呼吸に問題はなく完全に安全な状況です。ただし、ごくまれに急速に悪化することがあります。その場合でも皆様はすぐには何も感じないはずです。ですから危険が探知されたら直ちに私、巡回する警備ロボット、店の現地人がお知らせしますので速やかにその指示にしたがってください。
そしてそのような危険情報がない時でも、皆様の安全のため外でしゃがんだりするのは避けてください。靴のひもがほどけてもビルの中に戻るまではそのままで我慢してください。何かを地面に落としたら自分で拾わないで周りにいるロボットに拾わせてください。そして万一転んでしまった場合、一番大切なことは慌てないことです。慌てると呼吸が速くなって、より多く空気を吸ってしまうことになります。周りの人も助けあわてて助け起こしたりしないでください。ゆっくり自分で立ち上がるのに任せるか近くのロボットに合図して助けを求めてください。ロボットは誰かが転んだりしないか常に見張っていますのですぐ駆けつけます。
よろしいでしょうか? 何かご質問がありますか? 大丈夫でしたらさっそくこの扉を抜けて惑星の大気の中へ入って行きましょう」
* * *
ワープ航法の発見にはそれに先だつAI新時代の到来が重要な鍵であったことは確かだ。それまで人間だけの不可侵な領域であるとされていた高度な知的分野にAIが乱暴に進入してきて、桁違いの量の成果を上げ始めた。たとえばかつてホモ・サピエンスの天才数学者ラマヌジャンがいて、彼以外にはだれも発見し得なかっただろうと評される結果を数多く残した。しかしAIがかつてラマヌジャンのみが見つけられたような奇天烈な定理やその他奇妙な結果を数十万個の単位で発見するようになるや、数学界を大混乱に陥らせた。
一方、ワープ航法については、遠くの星へ行きたい気持ちに突き動かされ、人はかねてから何物も光速を超えられないという物理法則の裏をかく手をずっと追い求めていた。有力なトリックのひとつは物理理論と全く矛盾がなく観測事実にも裏付けられた方法だった。まず最初のポイントは空間の膨張速度には光速の壁は適用されないことだ。実際観測事実としても、宇宙空間は膨張していてその膨張速度は離れるほど積算される。だから地球から十分離れた場所の遠ざかる速度は光を超える。そして空間が膨張するなら逆に縮小もするし同じことが成り立つはず。
ワープの説明の残りは簡単だ。たとえば十光年先の星まで行きたいとする。どうにかしてその星までの空間を光速を超えるスピードで縮小する。目と鼻の先まで近づいた星へ宇宙船でひょいと行けば目的地に到着だ。理論的問題はない。ただ、もちろんこのまま実用化することは不可能だ。実現可能性も問題だが倫理的問題も大ありだ。そのような空間の縮小は宇宙の大きな領域に影響を与えてしまい、縮められる前の空間に存在した星々がぎちぎちに圧縮され、多くが衝突し、また惑星が軌道から飛び出したりと大惨事になる。
これを改善する方法としては宇宙船のすぐ前の空間を縮めつつ、その空間を横切り、宇宙船の後ろ側ですぐ空間を膨張させて元通りにする方法が考案された。この空間の局所的『しわ』を、伝搬していく粗密波として生じさせ、その波に宇宙船が乗るサーフィンのような方法だ。こうすれば空間の変形は局所的となりずっと宇宙にとって安全となる。ただし、そのようなことをするためのエネルギーの調達は別問題だ。
* * *
ガイドについて外に出ると凜と冷たい空気に身体が包まれる。そこは手狭ながら開拓期の様子を再現した一種のテーマパークだった。丸石を敷き詰めた道、煉瓦を積んだ素朴な建物。その建物は土産物だったり、飲み物を出す店などになっていた。しかし観光客は皆吸い寄せられるようにテーマパークの端へ足を向けた。
膝までの高さの煉瓦で境界が区切られていてこの先には出ないようにと控えめな表示がある。そしてそこからのはるか遠くまで遮るもののない景色は荘厳ですばらしいものだった。
まさに世界の天井からの風景。水平の目線より下にある険しい山々は人を寄せ付けない厳しく白い峰々を地平線まで折り重ねて見せている。ここは惑星最高峰K1の頂上だ。見下ろす峻厳な景観はそこで人は生きられない事実に裏打ちされて鋭い厳しさを増している。振り返れば低い煉瓦の建物の後ろにひしめき合うように摩天楼がそびえ立っている。もし遠くからこの場所を目を向けたら、険しい高山の頂上に細い針がたくさん刺さっているように見えるだろう。観光客が摩天楼に沿って誘導された視線の先には晴れた青い空。そして刷毛でさっと書いたような雲。この星の空気組成による特有の青みがかった雲が浮かんでいる。
観光客たちはこぞってめいめい手持ちの機器を掲げ、のけぞるようにして珍しい色合いの雲を写真に留めた。普通の居住可能な惑星であればここは鳥も通わぬ高山地域だ。厳しい訓練を積んだ登山家だけが見ることのかなう風景。それをビルから歩み出るだけで堪能することができる。
しばしかたまって絶景を堪能していた観光客はやがて三々五々思い思いの方向へ散らばっていった。土産物屋に入るととりどりの商品はかがまずにすむようにどれも客の胸より高い位置に展示してあった。暖かい飲み物が飲めるカフェではカウンターだけでなくテーブル席も座るのに足を掛けてよじ登る椅子に揃う高さになっていた。
「よしてよ」
路上で誰かがふざけて腰の辺りの空気を掬って連れの頭にかける仕草をした。笑い声がはじける。この星の大気はほぼ窒素、酸素、二酸化炭素でその点はもうしぶんない組み合わせ。ただし二酸化炭素の濃度が異常に高い。薄ければ二酸化炭素は無害なガスだ。だが、濃度が高すぎると毒性を持つ。そういう空気はたとえ酸素が十分でも呼吸に適さない。この星の大半の地域では大気は危険なものだ。しばらく呼吸していると頭痛、めまい、息苦しさ、呼吸困難、失神、そして死へと至る。
二酸化炭素はこの星の至る所の岩盤から絶えず浸みだしている。植物の光合成で吸収される分と釣り合って惑星全体での濃度はほぼ一定に保たれる。ただ地面から放出される二酸化炭素は温度が低いため下から貯まっていくという特質がある。それが高度によって濃度の差を生み、標高が上がるほど二酸化炭素は薄くなる。それでここ最高峰のK1を含むいくつかの高山の限られた頂上付近だけがやっと長時間呼吸しても安全な大気になっているのだ。
この星の初期入植者はぎりぎり呼吸可能な高山の頂上にしがみつくように住みついた。気象の影響などで二酸化炭素濃度が高まった場合にはなす術がなく、その状態が長時間続いてしまった時には大きな犠牲を出した。何度も。今では山頂に密閉度の高い高層ビルをさらに上に向かって建て、安全な暮らしを手に入れている。
* * *
ワープ航法開発の歴史の続きはこうだ。光速を越える速度の波として伝わっていく空間の皺をつくるエネルギーの問題まで話した。そこでAIが登場し、10個余りの日のあたることの少なかった物理法則を人間には思いつかないやり方で結びつけ、何も無い空間の持つエネルギーを取り出して光速を超える物体移動ができるとした。不確定性原理により、何もない真空もごく短い時間ではエネルギーと物質が空間に滾っている。そのエネルギーを借りて空間を圧縮し、すぐに元通り膨張させてからその借りを返済すれば差し引きゼロになる。最初のきっかけを与えればその空間の粗密波は減衰することなく空間を渡っていけることを理論的に示したのだ。ただしその理論の計算では数学の超難問として君臨するリーマン予想が正しいことを前提としていた。リーマンが予想した通りにゼータ関数の非自明のゼロ点が複素平面上で一直線上に並んでいれば波は減衰しない。もし直線から外れるゼロ点があれば波はあっというまに減衰してしまうという計算だった。
当時、物理的結果や仮説がAIによって山のように作り出されていた中で一握りの物理学者達がこれを真に受けて実験を繰り返し、正にそのとおりの実験結果を得てしまった。狭い実験室内ではあり、また塵にも等しい小さな物体ではあったが、光速を超えて移動させることに成功した。
ところでこの結果を受けて幾たりかの数学者が長い間未解決だったリーマン予想がこの物理実験によって証明されたことになると主張し、すぐさまあまたの数学者達が異を唱え、「そんなものは数学の証明とはならない」と侃々諤々の議論となった。その騒動は時を経ても拡大するばかりで、いつしか学会が分裂するやせざるやの大騒ぎとなった。
もっとも世間からみればそんなことはコップの中の嵐に過ぎず、さらにある事情も加わってこの話題は早朝の一時だけで消え去る霞ほどの興味も持たれなかった。それはこの実験結果があっというまに実用化されて実際の宇宙船に装備されるようになったからだ。ホモ・サピエンスは太陽系外の冒険に乗り出す夜明けの時を迎えた。
* * *
クルーズ客の一人が馬に乗って現れた。馬はこの惑星シェファード植民の初期から飼われていた唯一の家畜だ。呼吸口の位置が人間くらい高く、夜も立ったまま寝られるのでこの惑星で飼える唯一の家畜として重宝された。現在はその来歴にちなんで客を乗せて散歩させ、観光資源へと役目を変えている。
その乗馬体験でさっきも触れた姿勢良く馬にまたがっているのは若い女だ。ひと月もの長期クルーズでは珍しい一人参加で、かつうら若き女性となればかなり特別なことだ。加えてとびきりの美人でもあったので注目を集めないわけにはいかなかった。今日はやさしいベージュ色で揃えたポロシャツとスラックスがゆるやかに気品を持って姿態をあらわしている。開いた胸元には細い金のネックレス。細い首とアーモンド型の頭は絶妙なラインを描き、セミロングの明るい金髪が楽しげに縁取っている。閉じた口はそれでも何かを語っていそうで、深みのある色の目は静寂の支配する彼女の世界に吸い込もうとするかのようだ。
クルーズ参加者はこれまでに相当数、男も女も彼女と親しくなろうとし、その身の上なりを知ろうとしたのだが成功を納めた者は皆無だった。近づく者を手厳しくはねのけるというわけではないのだが、当たり障りのない挨拶以上の会話が続かず、気まずくなって話しかけた方が退散するということの繰り返しだった。そういうわけで、今も彼女に気づいた観光客は馬をゆっくり歩かせている姿をさりげなく目の隅で追いながら、満たされない思いにさいなまれていた。
女が馬を降りると、入れ替わりに例の短髪赤ら顔の大男が乗馬の客となり、これみよがしの顔つきで無意味にあちらこちらと馬を歩かせた。
「お客さん、馬にまかせてゆっくり乗るだけにしてください。無理に早く歩かせようとしてはだめです」
馬についている係員が注意した。
「俺は自分の星に馬を持ってるんだぞ。馬の扱いに指図など受けん」
そう言うと男は駆け足に移ろうと馬の腹を蹴った。しかし馬はいなないて前足を高く上げ、身体を振って気にくわない奴を振り落とそうとした。
「危ない!」
馬上の男は耐えきれず落下した。さらに悪いことに振り落とされた勢いで居住領域の境界を越え外とへ落ちてしまった。そこは急な下り坂になっていて、男は悲鳴を上げながら10メートルほど転がり落ち、雪を被った土の窪みに上半身を突っ込んで止まった。男の悲鳴も止んだ。
蜂の巣をつついたような騒ぎになった。怒号が飛び交い、ツアー客、遅れてツアーガイド、土産物の店員までも駆けつけてきて下をのぞき込む。群衆を掻き分けてロボットが二台現れ、境界を乗り越えてすばやくしかし慎重に坂を降りていく。
男の所まで着き、さっそく窪みから引き出すと一台のロボットが脇に手を入れ、もう一台が脚を持って坂を登りはじめる。男の妻と娘が大声で呼びかけるが、男はぐったりして返事がない。
「気を失ってるみたいだ」
「その方が吸う空気が少なくて済む」
人々が口々自分の意見を言い合う中、ようやく上までたどり着き、待ち構えるストレッチャーに乗せられ、男は呼吸用マスクをつけられた。この星ではストレッチャーも胸の高さまである。
皆の視線が男に集まる中、少し離れていたロボットの一台が急に後ろ向きに倒れドンと鈍い音を立てた。同時に低い位置からうなり声が聞こえた。皆がそちらを見ると金属の脚にガシガシ歯を立てようとしている黒い姿が見える。その獣は亀のように平たい身体に不釣り合いに大きい狼のような頭をしている。
「ジャバウォック!」
現地人から大声が上がる。その獣はロボットに噛みつくことをやめて近くの人々で襲いかかれるターゲットを探すかのように見回す。悲鳴を上げて逃げ惑う人々。獣は不格好な見た目と違い足が速く、あたりを駆け回って手当たり次第に噛みつこうと駆け回った。ロボットは身を挺して盾となって人を守り、また手を伸ばしてその怪物を捕まえようとするが取り押さえられない。
人々があちらまたこちらと必死に逃げ惑う中、動かずに立っている男がいた。獣が首を巡らせて男の方に狙いを定めたのを見えた。男の近くに居た者達は蜘蛛の子を散らすように離れ、男は独り取り残された。今回のオプショナル観光の参加者の一人だ。怪物はその男に目がけて襲いかかる。それでも男は逃げようとせず怪物に正対して待ち構える。逃げろというたくさんの怒号にも耳を貸さない。ついに怪物が男に飛びかかった瞬間、男は手にした剣を一閃して飛びすさった。切り離された怪物の首が宙を舞う。
群衆は怪物の断末魔と突然現れた剣の両方に驚き息を飲み一瞬静かになった。やがて安堵の声が漏れる。怪物を退治した男は剣を目の前にかざし、刃に付いたどす黒い液体を検めている。黒いコートに黒いスラックスを着たがっしりした体格だ。警官らしい制服の男が近づきながら声を掛けた。
「血に触れてはだめだ。ひどい火傷をするぞ」
そう言われて男は自分にその液体が掛からないように注意しながら剣を植え込みの土に突き刺すと手を離した。警官は目の前に来て男をしげしげと見ながら言った。
「すばらしい腕前だな。助かったよ。しかし、その剣はいったいどこから出てきたんだ?」
「そこの土産物屋からだ。騒ぎが起きたんで急いで取ってきた」
「そうだったのか。しかし、土産物屋の剣はほとんどがおもちゃだ。これが本物だとよく分かったな」
「本物かどうかは見れば分かる。俺の故郷はまだまだ野蛮なところなんだ。だから子供の頃から武器の扱いには慣れてる」
そこへ人々が集まってきて怪物を退治した男を褒めそやした。肩を叩いたり、剣術をどこで習ったのかとたいへんな騒ぎだ。少し離れたところでは息絶えた獣を指しながらツアーガイドが声高に解説している。
「これはジャバウォックと呼ばれている固有種です。めったに人の住むところに近づくことはありません。今回はおそらく自分の巣のそばに人が落ちてきたので喜んで獲物にしようとしたところをロボットに邪魔をされたのでしつこく追いかけてここまで来てしまったのでしょう。本当に珍しい出来事です」
このふたつの集団から離れて、騒ぎの発端である落馬した男が医療スタッフに付き添われながらも自分の足で歩いてビルへ向かう姿が目に入った。幸い大したダメージはなかったようだ。
そいうことで、間違いなく今クルーズ一番のハプニングではあったが、予想されたなかでは最小限の被害で事態は収まり、帰って人に話して聞かせるネタをみやげにできる特別なオプショナルツアーとなった。
* * *
翌日。巨大クルーズ船に日常が戻った。それは移動日の日常。宇宙船の様々な場所で提供されるアミューズメントを思い思い乗客達は享受している。広大なショッピングモール、きらびやかで肌の露出の多い出演者による豪華ショー、息を飲むマジック、無重力下の様々なスポーツ設備、低重力プール(無重力までにすると水中で方向を見失って溺れる事故が多発したので避けられるようになった)と飛び込み台やウォーターシュート、そして言うまでもなく巨大カジノ。夕刻を迎え、船内に五つある食事施設が賑わってきた。その中でもっともカジュアルなレストランに彼女が居た。
人と交わらない例の一人旅の女だ。ぽつんとテーブルに座り、サンドイッチを気が乗らない風情で間を置いて口に運んでいる。このレストランには不似合いな正装の美しい藤色のドレスとネックレス、腕輪で着飾っている。テーブルの前に立つ影に女が気づいて目を上げる。
「楽しんでるかい?」
丁寧に一礼し、しかしその慇懃な態度にそぐわず砕けた口調で語りかける男。ゆったりとしたグレーのスラックスとシャツの上下。このレストランに合ったカジュアルな服装。動じた様子もなく男の顔をじっと見た女は口を開く。
「あなた、昨日あの獣を一刀の元で殺した人ね」
「覚えてくれていたとは嬉しいね。座ってもいいかな」
女はうなずく。
「どうぞ。あの場にいた人は皆あなたに命を助けられたことになるわ。私も含め」
「いやいや、命とまでは大げさだ。まあ、まかり間違ったら何人か怪我人が出てたかもしれんがね。皆無事で何よりだった。あの落馬した男も含め」
自分の口まねをされたことに気づいて女は微かに笑みを浮かべた。そして男が座ってくつろいだ態度になるのを見守った。
「それで、私に特に何かご用でも?」
男は両手を広げた。
「まあ、そうストレートに聞かれたからにはストレートに言うが。ほら、君みたいないい女が一人旅なわけだ。とにかく目立つ。クルーズに来てる独身男は次から次へ、何人かは細君持ちまで、君と親しくなろうと近づいてたのは嫌でも目に入る。だが、どうやら一人として成功した奴はいないらしい。もちろん君は君の好きなように旅を過ごせばいい。だが、今日も一人このレストランの中で一番つまらなそうにしてる。ということで、どういうことになってるのか興味もあり、この船の客で残る独りもんは俺だけになったことだし、俺も運試しに来たということさ」
女は表情を硬くし、しばらく相手を見つめてから言った。
「そんな風に見られてるとは思ってなかった。私、自分が人にどう見えるのかとか察することにはとても鈍いの。だけど、たとえあなたの言うとおり船中から奇異に見られてることになってるとしても、教えてくれた感謝というより、そんなことをわざわざ告げ口しにくる人のことをどうかと思うわ」
冷たい視線から目をそらさず、男は発言を受け止めていたが、ついに肩をすくめて言った。
「なるほど、予想以上の手強さだ。だが、物事出だしがうまくいかないからってそれですぐ投げ出したんでは何事もできない。君の命を昨日救ったことを、君がそう言ったんだぜ、これで帳消しとして、も少し聞かせて欲しい。俺以外の奴にもみんな、どいつにもこいつにも興味がなさそうなのはどうしてなのか聞かせてもらいたい、 差し支えなければ」
女はしばらく黙っていたがとうとう口を開いた。
「私、この旅行に知り合いを作りにきたわけじゃないの。でも、だからといって誰とも話したくないなんてことはないのよ。ただ、みんな普通の女の人が興味があるだろうことを話題にしてきて、私はそういうことには興味がわかなくて。だから会話が続かなくて気まずくなってしまうの」
「なるほど。だったら、どんな話題に興味があるのかな?」
女はさらにしばらく戸惑った風だったが意を決して話し出した。
「私、このあいだまで理論物理を研究する学生だったの。苦労してようやく学位が取れたからお祝いにこのクルーズのチケットを買って旅行に来たわけ。だけどずっと研究に没頭してたので物理のことくらいしか話せることはなくて。でもそれは世間話でする話題じゃないでしょ」
「そうか。話の合う奴がいなくてつまらなそうにしてたのか。残念だが俺も相手にはなれそうもないな。船を飛ばすために必要な物理の知識は持ち合わせてるが、実用一点張りでね。研究の話となるとさっぱりだ」
「あなたは宇宙船乗りなの?」
「いや、貿易商だ。君は知らないかもしれないが、小さな船で宇宙を飛び回るには船を飛ばすための物理的知識も不可欠なんだよ」
「貿易をやられてるんですね。きっとおもしろいお仕事なんでしょうね。私には想像もできないようないろんな経験ができるんでしょう。仕事のことでも私、気が滅入ってるの。学位を取ってから気がついたくらい世間知らずだったんだけど、理論物理の研究者なんて全然需要がないの。企業の就職先もほとんどないし、大学でも不人気科目だから教員ポストも少なくて。このクルーズが終わったら望みの薄い職探しをする日々に戻らないとならない」
「確かに宇宙を股に掛ける仕事は刺激に満ちているよ。宇宙に出てからの最初の一年でそれまでの人生で得た以上の経験を積んだ。そしてあんたが先行きの見通しが立たなくて気が重いというのはわかる。だが人生結局のところ一寸先のことだって分からんもんだ。俺は何度もそういう経験をした。せっかくクルーズに来てるんだから今はそれを楽しんだらいい。自分を世間知らずだと言うならなおさらだ。月並みな台詞だが旅は新しい見聞を広げられるチャンスだぜ」
相手が黙ってしまったのを受けてか男は軽い口調で言葉を継いだ。
「すまん。説教くさいことをいうつもりじゃなかったんだ。ところでその服だが、エレガントで着こなしも申し分ない。すばらしい。だがむしろこのレストランでは申し分なさが行き過ぎてるくらいだ。もっとちゃんとしたディナーを出す、この船だったらロマノフがずっとしっくりくるだろう。それにロマノフでは一度は食ってみるべきだ。絶対お勧めするよ」
「もう行ったわ。すばらしい料理だった。またロマノフに行きたくてたまらないくらい。だからもう行けないのは悲しいわ」
「行けないってなぜ?」
「着ていく服がないの。貧乏学生だから。旅行のためのドレスはこれ一着を買うのが精一杯だった。それでもうこれは着て行ってしまったから」
「同じ服はだめなんてドレスコードは聞いたことがないぞ。ロマノフはそうなのか?」
「そうじゃなくて、私が嫌なの。ロマノフほどのレストランに行く人はみんな最高に着飾っていくでしょ。同じドレスで二度行く女なんていないわ」
「それでも追い返されたりはしないだろう。自分で世間知らずと言う割にはそういうところは細かくこだわるんだな。その服について言うとむしろ、俺の見立てでは、仕立ても布の選び方も一級品だ。一度ちらっと横目で鑑賞したくらいじゃ味わいきれない。俺だったら二、三回は着てきて目の前に現れて欲しい」
「女の服にずいぶん詳しいようね。そうは見えないけど」
「いや、女の服については間違いなく分かってる。なぜなら今貿易で扱っている主力商品がまさに高級女性服だからだ。疑うならあんたの服のサイズをぴたりと当ててみせてもいい、そこへ座ったままで」
「よしてよ、信用するから。ドレスをほめていただいてありがとう。悪かったわ。あなたについては昨日あの獣を見事に扱った印象を優先してしまってたの。ごめんなさい」
「素直なところは性格の良さを表している。それをもっと表に出せばこのクルーズの人たちともずっと打ち解けられるのにな。さて、少しはお互いをわかりかけたところで残念だが、そろそろ俺は行かなければならないんだ。話の続きはまたこの次の機会に」
男は立ち上がって女に頷いた。男を見上げて女は言った。
「私のことばかりたくさん話してしまったように思うわ。人から聞き出すのが上手ね。あなたについては貿易を仕事としているとしか聞いていない」
「この次は手に汗握る俺の冒険談をたっぷり聞かせよう。ジャバウォック退治なんて目じゃないぜ。ところでまだ名前を聞いてなかったな。俺はジョン・ドレイクだ」
自信満々なドレイクの顔を見ながら女は言った。
「私の名前はエリザベス・アリス・オットーよ」
* * *
それから二日の間、エリザベスはドレイクの姿を目にしなかった。いや、ただ一度だけ遠目に従業員区画から別の船員と談笑しながら出てくる男がドレイクだった気がした。
二日目の晩、部屋のドアにノックする音。エリザベスが扉を開けると立っていたのは上着からズボンまで縦縞が一本入ったユニフォーム姿の年配の客室係だった。
「ジョン・ドレイク様からのお荷物をお預かりしております」
そう言って美しく包装された平たい箱を差し出した。
「あら。ドレイクさんは私の部屋を知らないはずだけど」
「はい。ご存じありませんでした。現在もそれは変わっていないはずです。ドレイク様からエリザベス・アリス・オットー様の部屋番号のお尋ねがありましたので、先方のご承諾なしにはお教えできないというクルーズでの規則をご案内差しあげました。それではと、荷物を届けてもらううことはできるかと仰せになりましたので、お預かりしてお届けにあがった次第です。お受け取りなさいますか?どうされますか?」
エリザベスは手を出した。
「受け取るわ」
包装紙を取って箱のふたをあけるとたたんだ布の上にカードが置かれていた。折られたカードを開くと書かれていたのは次の文章だった。
『
このドレスのサイズがぴったりだったら、その褒美として着用の姿を明日のディナーの席で拝見させていただきたく衷心よりお願いする次第
承諾いただけるなら午後6時にロマノフへお越しを願う
』
布を広げると目の覚めるような青いイブニングドレスだった。細部まで凝った縫製、そしてサイズは隅々までエリザベスのために仕立てられたようだった。
* * *
約束の時間にドレイクは30分遅れた。レストランの入り口で彼は給仕長に歩み寄り、余裕しゃくしゃくの様で告げた。
「予約しているドレイクだ。君、今日は最高に気持ちのいい晩だね。ときに、連れはもう来ているかな?」
「はい、お見えです、ドレイク様。ご案内します」
案内されたテーブルには青いドレスを身につけたエリザベスの姿があった。まさに一輪の花が人の姿になって座っているかのようだった。彼女は近づいてくるドレイクに気づいてちらりと笑みを見せた。それは一瞬だったが並の人間だったらたちまち体温が1度は上昇する威力だったであろう。しかしドレイクは他のことにも気づいていた。テーブルにはもう一人見知らぬ男性が座っていた。そこそこ高齢で小柄、バケーションには不似合いな着古したスーツを身につけていた。男はドレイクの姿を見るとすぐテーブルから立ち上がって人好きのする笑顔を見せた。エリザベスが先に口を開いた。
「遅かったのね、ドレイクさん」
「ちょっと用事が片付かなくて。待たせてたいへん失礼した」
「ええ、それは大丈夫よ。こちらの方が話し相手になってくれてたから。こちらコーシー教授。教授、こちらがドレイクさんです」
教授と呼ばれた男は好人物の雰囲気をいっぱいに醸し出して握手を求める手を伸ばしながら言った。
「ドレイクさん、お会いできて光栄です。シェファード星での活躍は聞いてますよ。そして失礼をお詫びします。こちらのお嬢さんが一人で居るところをお見かけしたのでご挨拶だけでも思ったところがつい話し込んでしまって。実はこの方とは前々から一度はお話ししたいと思ってたんですよ。なにしろ人から求められない学問をしているという同じ身の上だと噂で聞きましてね。もう願いはかなったのでこれで直ぐに退散します」
「いえいえ、遅れてしまった私の代わりにお相手いただいて感謝しかありません。そう言わずにもう少しご一緒していかれませんか。そうするとあなたも物理がご専門で?」
「いやいやいや、世間でほぼニーズがないという以外はかけ離れた学問です。私は人類史の研究者です。理論物理は高度な数学を使いこなす学問と聞いてますが、こちらのようなお若い女性がそうだとは、見かけによりませんな。ははは。私の方は学校時代、不得意ながら数学にもなんとか付いていってたのですが、ちょうど虚数が出てきたところであきらめました。あんな存在しもしない数について勉強して何になるのかと教師に問うたのですが、納得いく説明がなかったので」
その頃にはコーシー教授はドレイクに促されるままに再び腰を下ろし、すっかり座になじんでいた。
「でも、教授」
エリザベスが言った。
「理論物理では複素数を使わない時のほうが少ないくらいなんですよ」
「複素数?」
「ええ。ええと、つまりそれは虚数を含む数全体のことです。私たち物理学者が世界のことを数式で表そうとすると至る所で複素数が出てくるので、実はこの世界は複素数の世界であって、どういうわけか人間は実数となったものしか知覚できないだけじゃないかと感じているくらいなんです」
「なんとなんと。勉強になりますなぁ。あの時の数学教師がそう答えてくれさえいたら、その後の人生も違っていたかもしれせん」
料理を注文することとなり、すでに飲んでいた二人を追いかけようとドレイクも自分の酒を注文した。ドレイクはコーシー教授にも料理の注文を勧めたが今のを飲んだらもう二人の邪魔はしないで自分の席に戻るからと固持した。
ウェイターが離れていくとエリザベスが言った。
「ドレイクさん、フランス料理の食前酒にダークラムのソーダ割りなんて、私初めて拝見したわ。ラム酒がお好きなんですか?」
「いや。そうでもないが今そういう気分だっただけで。ここへ来るのが遅れる理由となったことで少し気が立っているのでね。まあ、詳しく話すのは適当ではない話題だが、人の悪口になるから。とにかく、そういうときはラムが飲みたくなる」
コーシー教授が話を引き継いだ。
「ラム酒は地球のカリブ海周辺で造られるようになったものですな。その周辺は黒糖の一大産地でサトウキビのジュースを搾り取った滓の廃棄が大きな問題だったんです。そこで、その滓を原料に酒を造ることを思いついた奴がいたんですな。原料は只同然だからとても安く作れた。酒の質は悪かったが。当時はということですよ。ここで出すのはもちろん最高品質のラムでしょうが。当時のラム酒にはうってつけの消費者が居たんです。その巡り合わせで生産と消費の流れががっちり結びついたんです。その消費者はカリブの船乗りで、中でも海賊です。海賊船には他に何はなくても酒を積んでなくちゃ船員が集まらない。アルコール度数は高いほど、値段は安いほどいい。味は二の次三の次というわけです。そういえばフランシス・ドレイクという大海賊がいましたな。ドレイクさんはその末裔ではないですか? その血がラム酒を欲するとか? ははは」
軽口で急に名前を出されてドレイクは言いよどんだ。
「いや。そう言われても、先祖にそんな海賊がいたと聞いたことはない。いや、そもそも家系を誇るような家柄ではなし、私自身曾じいさんの名前も知らないんです。で、教授はラム酒の起源も研究範囲なんですか?」
「いやいや、とんでもない。人類が宇宙に出ていく前のことなど研究になりません。いまさら新しいことは出てきませんのでね」
「では教授のされている研究についてぜひ素人にも分かるように教えてくださいませんか。お願いします」
「これほど心躍るリクエストを受けたのはもう何時ぶりでしょうか。もちろん同じ分野の研究者は除きますが。私の学生でさえ実はほとんど興味がないのです。欲しいのは単位だけで」
教授は話を続けた。
「私の研究の範囲は人類が太陽系を飛び出してからの活動です。そして特に解き明かしたいのは人類の歴史の大きな断絶です。断絶というのは、どの星から歴史を辿っても人類が太陽系を飛び出したところまでは遡れないのです。今まで分かっているかぎり、直接地球から渡ってきたという歴史を持つ惑星は見つかっていません。中には自分たちの来歴すら曖昧な場合もあります。
苦労を重ねて過去への歴史を辿っていってもその糸はぷつりといつも切れてしまいます。その失われている歴史がどれくらいの長さなのかさえ、つまり今が太陽系を出てから何年目なのかも誰にも確かなことは分からないのです」
エリザベスが言う。
「私たちと地球の時代の人たちとの間にそんな断絶があったとは知らなかったわ。むしろ、過去の地球の人たちを現在の他の惑星の人たちと同列に考えていたことに気づきました。だって、今の宇宙のほとんどの星では地球時代の言葉が通じるし」
コーシー教授の解説は続く。
「そうですね、地球の言葉が宇宙のどこでも通じるだけではなくて地球に関することは誰もがやたらと詳しく知っている。これはゆるぎない事実です。そしてその理由は当然ですが、地球を離れて新天地を目指す宇宙船がどれも地球の文明をごっそりとコピーして持って行ったからです。そして居住可能な星に着いてからも、日々生存のための厳しい戦いの労力を振り向けざるを得ず、文化・娯楽のレベルが地球時代には遙かに劣る星が多かった。だから新しい星で生まれた子どもも物心つくころから地球時代の文化に触れ、育った。ちょうどルネッサンスの頃のように文化レベルは過去の方が高かったという認識が普遍になったわけです。
そしてこれも確かなことですが、文明を持っていくためにわざわざ情報をまとめたりせずに、インターネットのデータをすべてコピーダンプして持っていったのです。これは地球の記録にも記述されてます。そこには有料の良質の映画・コンサートの動画もまるごとコピーしてあった。宇宙船の乗員は長い船旅の間、いままでと同じインタフェースでそのデータにアクセスできた。そこには娯楽も大量にあるし、ホームシックになったときは自分の家の近所を画像データの中で散策することもできた。地球を離れた時期にもよるが全データー量は個人の私信を取り除いて、およそ700ヨタバイト超だった。大変な量だが、技術的に可能だったし、その効果は大きかった。
今はインターネットのインターフェースからは変わっていますが、宇宙に広がった人類がどの星にいても、その星の環境が互いにかけ離れていても地球文明を共有しているのはそういう訳です。だからかつて人類がもっぱら地球で過ごしていた時代のSFのようなことが起きたのです。SFではなぜか宇宙のどこへ行っても地球の言葉があたりまえのように通じていました。それは小説を書く都合だったわけですが、実際にその通りのことが起きたのです。いや、それ以上ですな。さっき私が使ったルネッサンスという言葉が難なくお二人にも通じていると信じ込んでいるのですから。地球のある地域の短い時代を指す言葉に過ぎないのに。それほどまでに地球のことは知ってて当然とみなされているのです」
そこでコーシー教授は自分の話が理解されているか確かめるように二人に顔を向けた。
「ああ、ルネッサンスね。もちろんだ。ルネッサンス。ルネッサンスの頃の地球はね」
とドレイク。
「ドレイクさん? 知ったかぶりする必要はないのよ」
と、エリザベス。
「もちろんわかってるとも。700ヨタバイトという数字のイメージを掴もうとすることに気持ちがいっててね。なにしろでかい数だ。ギガ、テラ、ゼタ、ヨタだからな。かなりでかい」
「ギガ、テラ、ペタ、エクサ、ゼタ、ヨタよ。10の24乗になるわ」
ドレイクは少ししらけた顔をした。
話がここまできたところで料理の最初の皿が到着した。コーシー教授は立ち上がり、名残惜しそうではあったが今度こそ引き留めを振り切って去って行った。その後はもっと気軽な話題、大半はドレイクの真偽不明の冒険談で和やかに食事は進んでいった。
「そういえばエリザベス。言うタイミングがなかったが、そのドレスは実に君に似合っている。自分の見立てには自信があったが、想像以上だった」
とドレイク。
「ありがとう。ほんとうに綺麗なドレスね。着られてうれしいわ」
食後のデザートの時、ドレイクが問うた。
「毎回エリザベスと呼ぶのはちょっと長ったらしい。ベスと呼んでいいかな?」
「だめ」
「じゃあ、アリス?」
「お断り。今のところはオットーさんと呼んでくださっていいのよ私のことを、ドレイクさん。クルーズはまだ続くし、いずれ考えなおす機会があるかもしれないでしょ」
「言わせてもらえば、確か前にも言ったが、人生明日どうなるかもわからないんだぜ。これはほんとのことだ、今に分かるようになる」
レストラン内に柔らかな声のアナウンスが流れた。
『お客様にご案内します。次の目的地であるスーパーサターンS4710b惑星が近づいてきました。大展望室はまだ余裕がございます。ぜひお越しください。また船内どこでもお手持ちの端末でご覧いただくことも可能です』
エリザベスが言った。
「私、展望室に行きたいわ」
「一緒に行こう。俺も今度の旅で楽しみにしていた」
* * *
大展望室はしかしすでにだいぶ混雑していた。クルーズ客の半数は集まっているように見える。外を直接見ることのできる強化ガラス窓は横に細長く配置され、びっしりと客が張り付いて割り込む隙はなさそうだ。しかし窓の左右の壁にはそれぞれ巨大スクリーンがあって、残りの客はそちらを見ていた。
スクリーン一杯に映し出されているのは通称スーパーサターン。土星のように輪を持つ惑星。しかし輪の中心にある惑星は小さな点のように見える。それは惑星が小さいのではない。それは実のところ木星の20倍の重さがある巨大星だ。輪が広大なためにその比較で惑星が小さく見えている。土星の輪がハチマキだとしたら、この星の輪はアゲハチョウの広げられた羽根だ。惑星を太陽系の中心に置いたとしたらその輪は水星を越え、金星の軌道を飲み込み、地球に迫るほど広がっている。その見栄えのする宇宙の驚異を展望室の客達は息を飲んで眺めている。
場を盛り上げるための司会者が休まず熱く語っていたが、その音量が突如上がった。
「皆様、ビッグニュースです。たいへんな情報が入ってきました。このスーパーサターンの輪の数は37のはずでした。前回このクルーズで私が来たときには確かに37個でした。ところが皆さん、今、観測されたところでは38になっているそうです。これを目撃するのは皆様が最初です!」
大きな歓声が上がり、展望室の観客達は一斉に互いにしゃべりだす。エリザベスがその声に負けないように隣のドレイクに顔を寄せて話しかけた。
「おかしいわね。どうしたのかしら。惑星の輪なんて数万年の単位で安定して形なんか変えないはずなのに」
ドレイクは肩をすくめた。司会の声が響く。
「増えた輪の謎が分かりました。スクリーンをご覧ください」
全体の輪が見えている映像からズームアップしていく。
「ここです。この二つの輪は以前ひとつでした。それが輪の中央に隙間が空いたのでその結果輪の数が増えたのです」
画面上で赤いポインターのマークが踊る。乗客達はさらにボリュームを上げてしゃべり出してたいへんな騒ぎだ。
「そしてみなさま、お知らせがあります。この船は予定のコースを離れ、新しくできた二つの輪、そしてその間の新しい空隙に向かうコースをとります。そして十分な安全確認を行い、可能であればこの空隙を通り抜けていくそうです!」
エリザベスは真剣な顔でドレイクの耳に口を近づけて言った。
「そんな。何も分かっていないのに出来たての隙間に入っていくなんて危険すぎる」
エリザベスは浮かれ騒ぎに湧く人々を掻き分けて司会者の方へ行こうとする。ドレイクもこれについていく。エリザベスはやっと司会者ブースにたどり着いた。
「輪に隙間ができた原因も分からないのにそこに近づいていくのは危険すぎるわ。すぐに引き返してください」
黒い縁取りの真っ白なタキシードを着た司会者はマイクを手で覆って言う。
「飛行コースを決めるのは私じゃありません。船長です。私に言われてもどうしようもありませんよ」
「じゃあ、船長に会わないと」
「操縦中の船長が乗客に会うわけないでしょ。無茶言っちゃだめですよ」
ドレイクがエリザベスの腕を掴んで言う。
「それは俺がなんとかする。行こう」
二人が去って行くのを憮然として見送った司会者は再び作り笑いを浮かべ、陽気に場を盛り上げる仕事に戻った。
人気の少ない船内を二人は足早に歩く。
「私の心配をわかってくれるのね」
「ああ。もちろんだ。こんなのは無茶だ。輪の隙間をくぐり抜けるだけならまあ何事もなく終わるだろう。だが出来たての隙間となると話は別だ。何があるかわからない。4000人の乗客を乗せた観光船がやっていいことではない。船長はどうしちまったんだ、いったい」
「船長と本当に話ができるの?」
「船員の何人かとは仲良くなっている。そうするのがいつもの俺の流儀だ。だが船長はその中に含まれていない。知己を得てる一番の上位者は一等航海士だ。だがまあなんとかする。いいか、これから俺たちは男が彼女にいい格好するために乗客が禁止されているところに入り込もうとする羽目を外した観光客だ。そんな鬼気迫る表情じゃだめだ。その眉間のしわを消せ、真一文字に閉じた口もなんとかしろ。少し口が開いたお気楽な顔つきぐらいがちょうどいい」
「わかった」
船員区画の通路を行くとすぐ扉があり、体格のいい船員が一人立っていた。
「やあ、スコッティ、昨日のゲームは楽しかったな」
ドレイクは相手の肩を抱き二人は背中を叩きあった。
「なあ、大展望室は人であふれてとてもゆっくり見てられない。だからこっちへ来たんだよ。ちょっとだけ船員食堂室からスーパーサターンを見せてやろうと思って」
エリザベスをあごで指す。船員はちらとエリザベスに目をやる。エリザベスは無邪気な笑顔で見返す。船員の目はエリザベスを噂で知っていることを表していた。そしてミステリアスな女がとうとうドレイクの手に落ちたと思っているようだった。目つきだけでそこまでわかると考えるのは行き過ぎかもしれないが。
「そうそう、これは昨日借りてた分だ。返すよ」
ドレイクが船員の手に何枚かの紙幣を押しつける。船員はよくも見ずにそのままポケットにつっこんだ。
「いいですよ。今は食事をしている者もいないはずです」
そう言うと扉を開けて二人を通した。
ドレイクはずんずん進んでいく。遅れまいとエリザベスは小走りになってドレスの裾を翻してついて行く。階段を上り、また下り、込み入ったルートを迷いもなく進むドレイク。二人はとうとう誰にも会わずに閉じられた扉の前に着いた。
「この先に操縦室がある。だが、ノックをしたって中には入れてくれん。さてどうするか」
そのとき背後から鋭い声が聞こえた。
「こんなところで何をしている? 乗客は立ち入り禁止だ。すぐに乗客エリアに戻ってください」
若い船員が険しい顔で近づいてきた。ドレイクは笑みを浮かべ、なだめるように言う。
「やあ、ちょうどよかった。スタントン一等航海士に至急会いたいんだ。どこにいるか知らないかね?」
「私は知りません。さ、ついてきてください。乗客エリアまで御案内します」
そこへ、別の険しい声が聞こえた。
「どうしたんだ? え、 ドレイクさん? 何をしているんですか、こんな所で」
ドレイクは両手を広げた。
「スタントン一等航海士。よかった君と急いで話がしたかったんだ」
スタントンは先にドレイク達を見つけた船員に向かって言った。
「この人達は私が引き受ける。持ち場に戻ってよろしい」
船員が離れていくとスタントンは声を低めて言った。
「私はこれからコックピットで当直です。ゆっくり話している暇はありません。話とはどんなことですか?」
そう言いながらスタントンはエリザベスの方へちらりと視線を送った。ドレイクはエリザベスの方へ手を伸ばして言う。
「こちらはオットー教授だ。物理学と惑星学の権威だ。船がコース変更したことに重大な危惧を持っておられる。それは私も同じだ」
「輪の隙間をくぐるとかいうことについてですね」
「そうだ。何が起きてるか分からない場所へこれだけの乗客を引き連れて突っ込んでいくなんて正気の沙汰じゃない」
スタントンは声を低めて言った。
「このコース変更には私も完全に納得しているわけじゃないんです。ただ、絶対にここだけの話にして欲しいが、船長には会社から乗客の満足度向上を強く求められているんです。この業界は競争が激しくて。他社に先駆けて新発見の輪の隙間をくぐり抜けてみせたらそのニュースはいい宣伝になるでしょう」
「だが、客の身に何かあったら責任問題になるぞ。それは当直中の君もまぬかれない」
相手は沈黙する。
「そしてその何かが降りかかる客のひとりが俺である以上到底黙ってはいられない」
スタントンは力なく首を振って言った。
「そうは言っても私にはとても船長を説得できそうもない」
「俺達を船長に会わせてくれ」
スタントンは厳しい目をドレイクに向けた。そして低い声で言った。
「船長を説得できるのか?」
ドレイクは黙ってうなずく。スタントンは視線を外さずドレイクを見つめ続ける。そして振り向くと腕につけたIDをドアの読み取り機にかざした。
* * *
スタントンに続いてドレイクとエリザベスが操縦室に姿を現したのを見て船長とおぼしき男が鋭い声を上げた。
「ここはパーティー会場じゃないぞ。スタントン、何のつもりで連れてきた。すぐにつまみ出せ」
巨大クルーズ船の操縦室は意外に狭く、4つの操縦席と壁一面の計器でいっぱいいっぱいだった。室内には二名が居て、一段高い船長席に座っているのはダイド人だった。ヒューマノイドだが手足、首がすべて太く短い、重力が強い星の生まれだ。強い加速に耐えられるので宇宙船で働く姿はよく見かける。だが、多くは過酷な資源積載船などに従事する下等船員で、大規模クルーズ船の船長を努めるのその内でもはエリート中のエリートだろう。もう一人の乗員は人間だった。操縦室の窓から見える輪はかなり大きくなっていて、輪の隙間も間近にはっきり見えた。すでに相当近づいている。
「船長、そのパーティー会場で心配な話を耳にしたので急ぎ確かめに来たのですよ」
ドレイクは悠々とした態度で言った。もしここで十分な心の余裕があったら、ドレイクかエリザベスがダイド人でも皆地球の言語が通じるのを、先ほどの話の流れにどう当てはめることができるのかと疑問を持ったかもしれない。しかしそんなことが二人の頭に浮かぶ余裕はなかった。エリザベスが続いて言う。
「輪に隙間が生じた原因について確かなことが分かってるんですか?」
「素人に簡単に説明できることではない。早くここを出ていきなさい」
スタントンが言う。
「お二人はこのようなことに深い見識のある専門家なんです」
船長はスタントンに向き直り、睨みつけた。
「スタントン。貴様、重大な規律違反だぞ。戻ったら処分は免れないからな」
ドレイクが言う。
「船長、乗務員は職務上乗客に危険が降りかかるようなことを看過してはならないはずです。もし、スタントン一等航海士が処分されるようなことになったら、その点について乗客として私が申し立てることになるでしょう。急遽変更したコースの先に未知の危険がないことをどうやって確かめたんですか」
「新しい間隙はあらゆる計器で綿密に調べた。そこには真空以外何もない。隙間の幅はこの船の大きさの1万倍ある。悠々通り抜けられる」
エリザベスが言う。
「間隙以外のところに原因があるかもしれないでしょう? 例えば、輪の面と大きな角度を持つ軌道で惑星を回る密度の大きな物体が輪を出入りしながら囓り取っていって隙間を作ったとか」
「本船のセンサーは輪を構成する石ころや氷の粒さえ観測できるんだ。そんな重い星があったら見逃さない」
「氷の粒の大きさでとてつもなく重い星も存在します。最後にこの新しい隙間がなかったことが確認されてるのはいつですか? どれくらいの時間で隙間ができたかが推定できれば未知の重い星の軌道がどの範囲か割り出せるかもしれない。そうすればその星を発見できるかも」
エリザベスがそう言い終わったとたん、操縦室にいた全員が強力なGを感じた。まだ立っていたスタントンは椅子の背を掴んで体を支えたが、エリザベスは勢いよくドレイクにぶつかり二人とも床に倒れ込んでしまった。けたたましい警告音が鳴り響く。船窓に見えていた惑星の輪が急速に見えたりまた虚空の宇宙が見えたりするようになった。船が高速で回転しているのだ。船長の太い声が響く。
「クレイグ、船を安定させろ。何が起こった?」
クレイグと呼ばれた操縦士が返答した。
「強い重力場が船の至近距離に急に出現しました。極端に小さくて重い星が側を通過したものと推測されます」
鳴っていた警報音が止んだ。船窓が安定して輪が見えるようになり、それが急速に遠くなっていっているのがわかる。エリザベスとドレイクはようやく立ち上がり、スタントンはすでに座席に着いていた。
「本船は攪乱されてコースを逸脱。急速に輪から離脱中」
とクレイグ操縦士。船長が言う。
「原因となった天体は特定できるか?」
「ディスプレイに軌道を図示します。このような軌道でS4710b惑星を周回していると推測。さらに、」
緊迫した操縦士の声が続く。
「本船はこの未知の衛星との衝突コースに乗っています!」
ディスプレイに光る線で衛星の軌道とクルーズ船の現在位置と予想軌道が表示される。二つの線は交差している。
「衝突は52分後」
船内が静まりかえる。船長の声が響く。
「それはまずいな。この未知の衛星をXと呼ぶことにする。衛星Xの重力から完全に逃れるための噴射プランを立案しろ。その際、燃料節約を第一に考えるように。以降のクルーズを続けられなくなることは絶対避けろ」
エリザベスが口を挟む。
「船長。こうなった以上、今後の旅程よりも安全確保を第一とすべきです」
「黙るんだ。乗客がコースの選択に口を挟む権利はない。クルーズが中止になってみろ、そうなれば厳しい事故調査が待っている。俺は長期に勤務から外されるだろう。処罰も受けるかもしれない。そうなれば、ここまで積み上げてきた経歴がパーだ」
そう言うと船長は視線をクレイグに向けて睨み付けた。クレイグは目をそらし必死に無表情を保って噴射の計算を続けた。
赤いランプの点滅を見てスタントン一等航海士がスイッチを入れ、ヘッドホンに耳を傾けた。
「船長、乗客の被害報告です。ほとんどは転んだり机にぶつかったりした軽度のかすり傷や打撲、捻挫までです。それ以上深刻な怪我の報告は今のところありません。また、乗客への説明をどうしたらいいかという問い合わせも来ています」
「ふん、壊れやすい荷物を運ぶのはこれだから性に合わん。微少な隕石が衝突したが船の被害は軽微、これ以上の被害を受けないよう惑星の輪から離脱しているところだと説明しろ。怪我人の集計は引き続き報告するように」
ずっとキーボードを打っていたクレイグがディスプレイから向き直って言う。
「船長。最も燃料が節約できるのは、このまま衛星Xに向かう勢いを利用して衛星ぎりぎりを掠め、急角度のスイングバイで振り切る方法になります。予備燃料の50%の噴射で可能。ただし、60秒以内に噴射を行った場合。時間が経つとプラン実行の必要燃料は増加します」
エリザベスが大声で制止する。
「得体の知れない天体にそんなに近づいていくなんてだめよ! コースを変えてください」
ドレイクも続く。
「船長、たった今あなたの予想にないことが起こったばかりだ。それは認めるでしょ。そしてまだ事態を100%把握できている状況じゃない。燃料の節約などと言ってる場合じゃないんだ」
船長は無言。スタントンが何か言いそうになったが結局は口を閉じた。船長が言う。
「確かにさっきはお嬢さんの言ったとおりのことが起きたかもしれない。しかし、船長はまだ私だということは忘れるな。決定は私がする」
操縦士の声が響く。
「プラン実行可能時間残り30秒」
ドレイクは腕組みをしたまま黙っている。船長が命令する。
「噴射を実行しろ」
先刻ほどではないが強いGを感じた。それが30秒ほど続いて終わった。ディスプレイに表示されていた軌道が修正され、衛星の至近まで近づいた後、鋭角にコースを変え、遠ざかる線が描かれた。
操縦室の沈黙を破ってドレイクが言う。
「とにかく問題の星Xを至近距離から観測できることになったわけだ。やはりミニブラックホールだろうか」
船長が答える。
「ブラックホールではない。非常に暗いが星の形がちゃんと見えてる、ほら」
星の画像が写されている。確かにぼんやりと微かな丸い形が見える。
「じゃあごく珍しいパルサーにならなかった中性子星か。こんなに密度の大きい星だとしたら」
船長が言う。
「ミスター、中性子星には大きさの下限があるんだよ。あれは小さすぎる」
「じゃあ、いったい何なんだ」
「正体不明ということだな。今のところ」
エリザベスが何かを思いつきそれを言葉にした。
「もしかするとクォーク星かもしれない。中性子が潰れて中のクォークがむき出しになった謎に包まれた星よ。理論上あり得るとされてるけどまだ発見されたことはないの。とにかく中性子星の中心が圧力が大きくなりすぎて中性子の形を保てなくなった状態で、それが進行して超新星爆発のようなことが起きて周りに残ってた中性子を吹き飛ばしてむき出しのクォークだけになる可能性があると。だからクォーク星は中性子星よりずっと小さくてもおかしくない」
船長が切り捨てる口調で言う。
「何でもいい。強い放射線も観測されていないし。あるのは重さと大きさだけ。そしてスイングバイの計算に必要なのもそれだけだ」
皆、押し黙り、ただディスプレイの点が未知の星に刻々近づくのを見守る。緊張の時間が過ぎていく。静寂を破ったのはエリザベスが息を飲む音だった。
「待って。クォーク星だったら強い電荷を持つかもしれない。それなら大変。船長、星の電荷を計測してください」
船長がぶつぶつと言う。
「この距離で電荷など検出できるわけがない。が、まあ、一応本船の周りの電荷を計測して異常がないか調べろ」
しばし沈黙が流れ、クレイグ操縦士の声がそれを破る。
「微少な電荷を検出。接近中の衛星Xがその発生源と推定。その仮定では電荷の引く力は近づくにつれて急激に増大します。それを勘案した場合の軌道は…」
緊張を押し殺して待つ数秒。
「衛星Xと衝突します」
「では、衝突を回避するように軌道を修正しろ!」
船長の怒号が響く。緊張の時間が流れ、悲痛な声が答える。
「予備燃料の噴射では不可能」
「じゃあ、…」
船長が言い終わる前にクレイグの声が被さる。
「たとえ全燃料を使用しても衛星を完全に振り切ることは不可能です。本船とXとの距離が近くなりすぎました!」
ドレイクの声。
「重力から逃れられないなら、衛星を回る軌道に入って衝突を避けるしかない」
船長の声。
「その通りだ。もうこうなれば旅を続けることは忘れよう。衛星を周回する軌道に入れ」
「燃料が足りるかどうかぎりぎりです」
「それでも他に手はない。やるんだ。それから救難信号を出せ」
「救難信号は俺がやる」
スタントンがそう言いながら操作を始める。今度こそ強烈なGが掛かる。皆長い時間じっと耐える。そして突如Gが消えた。
「残燃料ゼロ。噴射停止しました」
「周回軌道に入れたか?」
「はい、かなり細長い楕円軌道ですが周回軌道に入りました」
安堵の空気に包まれる。だが、すぐに先に大きな心配事が待っていることに皆気づき始める。
* * *
船長が口を切る。
「さて、状況を整理するとこういうことだ。最悪の事態は避けられたが、我々はこの場所に釘付けになった。自力でここを離れることはできない。救援を待つしかないが、あいにくここは宇宙の中でも辺鄙なところだ。この惑星の輪以外に興味を引くようなものは近くにない。救難信号は出してはいるが答える船はないだろう。そうなると頼みの綱は会社の所有するもう一隻のクルーズ船だが、現在は遠く離れたところにいる。救援の準備を整えてここへ駆けつけるとなるとおそらく一ヶ月以上先だろう。楽しい旅行からサバイバル体制へ移行することになる。食料制限もしなけりゃならん。最も避けなければならないのは船内で騒乱が起こることだ。見落としのない鉄壁のプランを立て、また上手く乗客に説明するシナリオを作らなければならん」
スタントン一等航海士が重苦しい調子で言う。
「乗客からの反発は厳しいものになるでしょうね。こちらは毅然と一貫した態度で臨まないとたいへんです」
「乗客の反乱は絶対に阻止しなければならない。こちらの人数は少ない。収拾できない事態になったら最悪乗客の犠牲者を出してしまう。だが、あいつらはそんなことを斟酌しない。脳天気なものだ。宇宙空間はそもそも生き物の居られる場所じゃない。なのに、当然のように自分の家と変わらない生活を望んでいる。この際そんな甘っちょろい考えは粉砕してやろう。宇宙の厳しい現実と面と向きあわせるんだ。あんたらも余計なことをべらべらとしゃべって回るんじゃないぞ」
最後の言葉はドレイクとエリザベスに向けて言われたものだ。
腕組みをしていたドレイクが言った。
「俺達だって今更船内に混乱を起こそうなんてつもりはないさ。ただアドバイスをするなら、乗客に説明する前にまずルイコーシー氏に操縦室に来てもらって説明したほうがいいだろうね」
「どこのどいつだそれは」
船長が不審そうに言う。スタントンが口を開いた。
「我々の会社のオーナーのルイコーシー氏のことか? どういうことだ。この船に乗っているとでも言うのか? 何も聞いていないぞ。オーナーが乗るなら我々が知らされてないはずがない」
「だが乗ってるんだ。乗船名簿ではコーシーとなっているかもしれない」
エリザベスが言う。
「コーシー教授のことを言ってるの? 教授がこの船のオーナーなの?」
「そういうことだ。とにかくその人物を探し出して緊急事態だから操縦室に来て欲しいと言ってみれば分かる。だがまあ、彼は会社の運営には関わっていないようだから。会社のオーナーと言っても事前に相談する必要もないということなら呼ばなくても構わんがね」
船長が客室係の責任者を呼び出して、当該人物を探して本当にオーナーだったら丁重に操縦室までご足労願うようにと指示した。指示を受けた客室係責任者は一連の出来事について乗客への説明が至急必要だと要求し、それは無礼すれすれの口調だった。対する船長はほとんどごろつきの口調で調査中と答えておけと言い捨てて通話を切った。
エリザベスがドレイクに向かって訊く。
「コーシー教授がクルーズ会社のオーナーだと最初から知っていたの?」
「いや。たが彼と話している途中で頭に浮かんだんだ。クルーズ船事業を親から引き継いだ現オーナーは会社経営に興味がなくて何かの研究に没頭しているということをな。だからもしかしてコーシーはルイコーシーではないかと思いついて彼が席を離れてから写真を検索したらその人だと分かったんだ。だが、レストランの店員の態度からも誰も気づいてないようだったな」
操縦士が告げた。
「船が周回する星Xに最接近します」
船長が言う。
「災いの元凶を見ておくとするか。最大限の倍率でスクリーンに映せ」
星に急速に近づいていく様子が表示される。スーパーサターンのミニチュアのように小さな白い輪を伴っている。
「S4710bの輪から囓り取った岩石や氷の粒がまだ落ちきらずに輪となって高速回転しているんだな。星の直径は数cmってとこだろうそれにしても近くで見るとなかなか派手な星だ」
星本体の表面は様々な色のマーブル模様の光の点で埋め尽くされている。こんな状況でなければ皆その美しさに目を奪われただろう。星はあっという間に遠ざかっていった。
クレイグ操縦士が座席の中で座り直し、悲痛な声を上げた。
「大変です。今の最接近で軌道がずれました。理屈に合わないことですが、安定な周回軌道から外れてしまいました。今後も最接近の度に近づくとすると最終的に本船はXに墜落してしまいます。そうなるのはおそらく…五、六日後です」
* * *
操縦席の扉が開く音がして声が聞こえた。
「社主のルイコーシーさんをお連れしました」
ドアの方からあからさまに不機嫌な声がした。
「私は乗客として乗っているんだ。船のオーナーとして操縦席に呼び出されるなんて迷惑千万だ。おそらく、ここしばらくの乱暴な操縦に関連したことなんだろうが、私が役に立つとは思えない。ただ、とにかく客室の人たちは説明がないことで爆発寸前だよ」
その声はコーシー教授に間違いなかった。しかし数時間前にあった陽気さはかけらも感じられない。部屋に入ってきたコーシー教授改めルイコーシーはドレイクとエリザベスを認めた。
「二人もここに居たのかね。いったい全体何が起きてるんだ」
最後の質問は船長に向かって発せられた。立ち上がった船長が打って変わって弱々しい声で言う。
「私が船長のガンダタです。お目にかかれて光栄です。お呼び立てしたのは、つまり、その、…実は、今しがた状況の変化がありまして、どのようにお伝えすべきが整理ができていないのですが…」
エリザベスが引きとって言った。
「教授、要するに私たち絶体絶命でもう逃れる道が一切ないんです」
問いただすルイコーシーに答えてガンダタ船長がしどろもどろながらも、適宜口を挟んで補助をするエリザベスに助けられ、事の発端から現在の状況までを何とか説明した。船長は自分の責任を回避するようなことは一切言わなかった。さすがに限られた寿命を考えて覚悟を決めたのかもしれない。ただし会社の圧力について訴えることは忘れなかったが。説明を聞き終わったルイコーシーはしばらくしてから独り言のように言った。
「そうなると我々にできる唯一のことは、全ての乗客がなるべく落ち着きを保てるようにうまく説明して、残された僅かな時間を有意義に過ごせるように手助けするということか。これはまた気の重い人生の幕切れだな。私の研究はまだまだ半ばにも来ていないというのに」
他の皆は押し黙る。
ただ、ドレイクだけは違った。効果を盛り上げるかのようにむしろさりげなくドレイクが言った。
「そうなると、お陀仏になる前にここへこられるかもしれないほど近くに他の船がいることを俺が知ってるのはもっけの幸いだったな」
スタントン一等航海士が振り返っていままでにない形相で睨み付けた。
「なんだと。何故それを黙っていた?」
しかし船長はスタントンを遮って言った。
「たわごとだ。一月以内に近くを通る船がないか航路はすべて調べた。そんな船はない」
「それは登録されている航路の中にはいないということだ」
船長が大声で詰問する。
「不法航行船ということか? お前いったい何者だ?」
「おれはただのまっとうな市民だよ。それにその船だって別に不法行為をしようと航路を隠しているわけじゃない」
ドレイクは部屋の面々を見回した。
「誰だっていい大人なら言われるまでもないだろうが、世の中白か黒かなんてきれいに分けることはできない。たとえ、人がどんなに品行方正を貫いててもある程度力を持ってくればどこかの段階で敵が現れる。敵の方がまっ黒ってわけでもないが。とにかくその敵の目を逃れる事が必要な場合もある。そこでだ。その船にしたら我々を救助すれば隠密行動がばれてしまう。もし助けてもらったら船のことは今後口をつぐみ、船に関する情報も一切残さないという条件なら助けてくれるかもしれない。そういうことをルイコーシーさんと船長が了解してくれれば俺が交渉する」
船長のドスのきいた声。
「お前の命もかかってるんだぞ。うまく言いくるめられないのか?」
「生半可なことでは信用しない相手だ。ちょっとでも嘘を言えば見透かされる」
ルイコーシーが言う。
「ドレイクさん、言うとおりにする。4000人の乗客の命には代えられない。ガンダタ船長、君だって、命がたとえ助かっても真実通りに報告したらこの先は船の業務につけないだろう。そうならないようにするから協力するんだ。それはそれとして会社の無理な圧力も取り除いていくべきだろうな。こんなことを繰り返さないために」
「乗客の安全を第一に考えるすばらしいご決断です。もちろん私はオーナーについていきます」
船長の見事な態度の豹変ぶりにスタントン以下二人の乗務員は精一杯の努力で気持ちを押し隠す。ドレイクはエリザベスに向き直る。
「エリザベス、ルイコーシーさんの決断に君は束縛されない。君も相手の船の秘密を守ると約束するか?」
エリザベスはドレイクを見つめていう。
「ええ。自分と皆の命を助けるためならもちろん、約束する」
* * *
ドレイクの指示した宇宙のごく狭い領域へ向け、呼びかけの電波を発信し続けた。しばらく経ってとうとう答える信号が届いた時、固唾を飲んで見守っていた操縦室の面々はドレイクの言う船がとにかく存在はしていたことに安堵の色を見せた。ドレイクが言う。
「後の交信は俺がやる。相手は画像も音声も送っては来ない。テキストだけのやりとりになる」
しばらくドレイクがキーボードを打つだけの時間が過ぎ、ドレイクはルイコーシーを振り向いて言う。
「ルイコーシーさん。カメラに向かって自分の名前とクルーズ会社のオーナーであること、救助する船の情報は後から全て削除し、今後船のことも他で一切話さないと約束してください」
ルイコーシーは言われた通りにした。そして終わってからドレイクに問うた。
「相手には私が確かにこのクルーズ会社のオーナーだと分かるのだろうか」
「会社のオーナー情報は調べればすぐに分かるし、たぶんあなたの授業の動画を見つけて本人の確認ができるでしょう」
またドレイクは相手とテキストのやりとりを再開し、やがてキーボードから手を離すと振り向いて室内の全員に言った。
「相手は了承した」
「よかった。恩に着るよドレイクさん」
と、ルイコーシー。ガンダタ船長が問う。
「だが、具体的にはどうやるんだ? 4000人が乗り移れるほどの余地はあるまい」
「おそらく牽引してこの船を星の重力から引き離すことになるだろう」
「そんなにパワーのある船なのか? このクルーズ船は相当の重量があるぞ」
「そんなにパワーのある船だよ。大丈夫。とにかく、今こちらに向かっているからすぐその船を見ることになる。さあ、もう後ひとつだ。恒星間銀行ネットワークにつないでくれ。俺の口座から相手に振り込みをしなきゃならん」
ルイコーシーが言う。
「救助に金を要求してるのか?そういうことなら会社として応じてもいい」
「そうじゃない。これは俺個人と相手との別の話だ。ただこの機会にきっちりするという話になったんでね」
ルイコーシーはさらに言う。
「それならそのことには口出しはしないが、燃料費だけでも救助に大きな費用が掛かるのも間違いない。公的機関でなければそれを被るのは大変なはずだ。掛かった費用に見合うものは会社から払うと相手に言ってくれ」
「それは無用だ。金目当てで助ける助けないという交渉じゃない。もう話のついてることだから心配しなくていい」
「船が一隻近づいてきています」
と、スタントン。スクリーンに小さな姿。みるみる大きくなってくる、真っ黒な船体。船の巨体がスクリーン一杯に広がる。船型に気づいた船長のガンダタが叫び声を上げる。
「これは戦闘艦じゃないか! 正規の軍隊でないとなれば…、そうなったらこれは海賊船だ」
皆一斉に話出し、船長の怒号が飛ぶ。
「ドレイク、貴様海賊の手引きをしたのか」
ドレイクは皆を見回し、冷静な声で言う。
「皆落ち着いてくれ、これは海賊船なんかじゃない。俺は海賊の手引きなどしていない。考えてもみろ、海賊の手引きをするなら秘密を守る約束をさせるとかそんな手間をかけたりしない」
声は止んだが、まだ皆半信半疑の顔つきだ。
スタントンの声。
「向こうの船から一隻小型船が離れてこちらに向かってます」
ドレイクが言う。
「着艦させてくれ」
「しかし、大丈夫なのか?」
不審そうなクレイグの声。ルイコーシーが言う。
「我々が助かる道は他にないんだ。ドレイクさんの言うとおりにしよう」
船長が答える。
「分かりました。第二ポートに誘導しろ。クレイグ、第二ポートに行って対応してくれ」
しばらくしてスピーカーからクレイグ操縦士の声。
「小型船の着艦完了しました」
ルイコーシーが答える。
「よし、どんな相手であれ丁重に操縦室までご案内しろ」
しばらく経ってまたクレイグの言葉が部屋に響いた。
「おかしいです。小型船の扉が開いてしばらく待っても誰も出てこないので。船の中に入ったところ、誰も乗っていません。船は空っぽです」
「何? ドレイクさん、これはどういうことだね?」
皆の視線がドレイクに集まる。
ドレイクは立ち上がり、晴れやかな表情で全員を見回す。
「心配するな。相手にはすぐ会うことになるから。先方の艦と音声交信チャネルを開いてくれ」
「テキスト交信のみじゃなかったのか」
「その時期は終わったんだ」
機械的な声が操縦室に響いた。
『はい、私はこの船の操縦を行うコンピューターです。呼び出したのは誰ですか』
「俺はジョン・ドレイク。俺からの送金は届いてるだろ。俺の声紋を確認してくれ」
しばらくの間。
『確認しました。この船の所有者と認めます。キャプテン・ドレイク、なんなりとご命令を』
ドレイクはあっけにとられた面々を見回す。
「これから話すことも他言しないと約束してもらった中に含まれることを忘れないでくれ。だが、一通り説明しておこう。
あんたらを助ける船は俺の船だ。たった今からはということだが。さっき着いた小型艇は俺が自分の船に行くためのものだ。このクルーズ船を衛星Xの重力から引き離す作業が終わってからな。俺の交渉相手はあの戦闘艦には乗っていなかった。船は自動操縦で動いていて、交渉相手との交信を中継していだけだ。俺はもとからこの戦闘艦を買うつもりだった。もっと落ち着いた場所でだが。ところが思いもよらない事になって、いろいろ計画とは違う段取りになっちまった」
「戦闘艦を一般人が持つのは違法だ」
とガンダタ船長。
「いや、それは違う。違法としている星が多いというのが正しい言い方だ。このクルーズ船が向かう先に違法の規定がない星がある。俺はそこで粛々と購入の最後の交渉と支払い、引き渡しをすませるつもりだった。これまでのクルーズ中もずっと条件交渉をしてたんだがかなり難航していた。相手は最初の条件を頑として変えなくてな。俺はずいぶん頭にきていた。交渉決裂寸前までになってエリザベスとの約束に遅れたりもした。それが、これまでの交渉は全て吹き飛んで言い値で買う羽目になっちまった。今の俺はオケラだ。燃料満タンの新品の戦闘艦と空の財布というわけだ。だが、相手は俺が生死に関わる状況にいると分かっても足下を見て値段をつり上げようとはしなかった。そこはつくづく見上げた奴だよ」
エリザベスが声を上げた。
「あの船を買って何をするつもり? 海賊でないとしたら」
ドレイクは驚いたように言う。
「もちろん貿易だよ。俺が今まで使っていたちっぽけな船では行けるところに限度がある。もっと銀河の奥深くまで行ける船がずっと欲しかったんだ。そして、銀河の奥へいくとどんどん無法地帯になっていく。自分の身を守る手段がなければ商売どころじゃない。だから戦闘艦を手に入れようと思った。必死で金を稼いでとうとう必要な金が貯まった。もちろん金があったって戦闘艦を買うのは一筋縄なことじゃない。持てる限りの手練手管を使ってやっとここまで漕ぎ着けたんだ。俺の一世一代の取引だ。準備万端、慎重にも慎重を重ねてできるだけのことは尽くした。このクルーズ船のオーナーについても知識があったのはそのおかげだ。だが、それでも予想外のことが起きてしまったがね。つまるところそれが人生だ。起きてしまったことに合わせてやっていくしかない」
* * *
戦闘艦から伸びた数十本の鋼鉄製ロープが強力な磁力によってクルーズ船の船体に張り付き、衛星Xから引き離すためにゆっくりと力を加えられている。クルーズ船はぎしぎし不気味な音を立てている。こんなことは設計上予想されていない。慎重の上にも慎重に引き離し作業が続けられている。その作業を操縦室で見守るのはドレイクと後はスタントンとクレイグの船員二人のみだ。エリザベスは自分の客室に戻っている。ルイコーシーと船長は他の客室係の乗務員とともにクルーズ客への説明会を行っている最中だ。当たり障りのない事故をでっち上げ、そのためクルーズの今後の予定を続けることが不可能になったこと、今は出発した星にまっすぐ向かっていて一週間後にはもうひとつのクルーズ船とランデブーする予定、その数日後に出発地点に戻れるということを説明しているはずだ。客の中にはクルーズの中止に強く抗議する者もいるだろう。だがクルーズの続行どころか紙一重で自分の人生が終わるところだったのだ。
船窓の外、幾本ものぴんと張った鋼鉄製ロープを見ながらドレイクが言う。
「どうだい、いま事情を知らない奴がこの様子を見たとしたら、この船が海賊船にとっ捕まっているところとしか思わないだろう。真実は逆だ。何十本のロープは船を捕まえているように見えて、その実は自由を与えようとしてるんだ。物事はまったく見かけ通りじゃない」
* * *
クルーズ船はすでに綱から解き放たれ、慣性航行で出発地へと戻る長い旅路についていた。第二ポートには誰が招集したわけでもないが、危機を共に乗り越えた面々が顔を揃えていた。ドレイクは今まさに小型船に乗って自分の船へ向かおうとするところだった。彼を囲む者達は一人ずつ別れの言葉を口にした。
ルイコーシー。
「ドレイクさん、あなたとの約束は守りますよ。いやはや、クルーズが続行できなくなり、乗客の皆に説明するために乗客のひとりだけが宇宙に放り出されて見失うという都合の良い事故を考えるのに頭を絞りましたよ。そしてあなたの今後のビジネスがうまくいくことを陰ながら祈っていますよ。それで、これを受け取ってください」
一枚のカードをドレイクに渡した。
「救助の費用は受け取らないというあなたの意向は尊重します。だからこの無記名小切手はあなたの事業への投資です。その小切手を現金化しても一切私へたどり着く情報はありませんからご心配なく。然るべき時にその金額にあなたが適当と思う利益を上乗せして返してもらえればいい。そしてその時はあなたの冒険談もぜひ聞きたいものですな」
「わかりました。いくらなのか金額は分からないが受け取ります、ルイコーシーさん。ありがとう。そしていつか必ずまたお会いしましょう」
エリザベスが水平に持った薄い箱をドレイクへ差し出した。
「すばらしいドレスを貸していただいてありがとう。そしてロマノフの食事をごちそうさま」
「そのドレスは君に進呈するよ。君以上に似合う者はこの宇宙にいないだろう。世の中に出ていく君へのはなむけだ。就職に苦労することを嘆いていたが、君の知識でこの船の全員の命が救われたんだぜ。あのまがまがしい星に強い電荷があるかもしれないと君があの時点で気づかなければ手遅れとなっただろう。今頃は皆原子にまでばらばらにされてあの星の周りを回っていたところだ。
だから、自分の社会での価値を悲観することはない。それはもう証明されていることなんだから。そういえば、あの星はこれまで見つかっていなかった何とかいう初めての星だったんじゃなかったか? それを発見したことは学者として大きな業績になるんじゃないか?」
「いえ、無理よ。あの事故はなかったこととして乗客にも説明してるんだから。あの星も発見できたはずないわ」
「じゃあ、もう一回あそこに行ってその時発見したふりをすればいいだろう」
「さあ、どうかしら。私がこのクルーズ船に乗ってたことは乗客に知られてるから、あとから私が都合良く発見したら疑いを持つ人もいるかもしれない。そして行方不明になったあなたのことに興味を持つ人が出てくる可能性もある。それにそもそもあの星の軌道はかなり不安定だと思うわ。このクルーズ船が無事帰還するまでに宇宙の彼方に飛び去ってて二度と見つからないということも十分ありそうなことだわ。もう、それはいいのよ。私が究めていきたい分野とも違うし」
スタントン一等航海士が進み出た。
「ドレイクさん。あなたとエリザベスさんを操縦室に入れたときには、実は二人が船長の意向を変えられるとはこれっぽっちも思っていなかったんだ。ただ、船長に自分で意見する勇気がなかったので代わりに言ってもらえればという人任せな気持ちだった。そんな無責任な態度を今は恥ずかしく思う」
「船長を説得するのは間に合わなかったが、操縦室に入れて貰わなければ今の結果とはまるきり違ったことになってただろう。もちろんもっと酷いことにね。いずれにしても君が俺達のことで罰せられてはならないと思っていた。そんな心配はなさそうで良かったよ」
最後の言葉はルイコーシーの顔を見て言ったが、ルイコーシーはもちろん大丈夫というゼスチャーをした。
それまで離れて立っていたガンダタ船長が近づいてきた。
「ドレイクさんよ。あんたにひとつ教えておきたいことがある。クルーズの次の寄港地であんたは拘束されて取り調べを受けるはずだったんだ。シェファード星でジャバウォックを切り殺したとき、地元の警官が剣さばきの見事すぎるのが気になって調べたらしい。そうしたら別の星でも剣を振るったことがあったとわかった。だから次の星で過去のことも含めて調べようと捕まえる手はずだった。この船の上では令状に効力はないからあんたを拘束するつもりはなかったが。とにかく、この先シェファード星と犯罪者引き渡し協定のある星に降りるときは気をつけた方がいい。そういうことだ」
「そうか。教えてくれて恩に着るよ。そんなことになってるとは夢にも思わなかった」
ドレイクは船長の腕を軽く叩いて言った。そして小型船のドアの前まで歩いていって振り返った。
そして、しばらく皆の顔を見渡していた。
「どうやら俺は根っから誤解されやすい質みたいだ。人に後ろ指を指されることは何一つしてきたつもりはないんだがな。すぐに悪く捉えられてしまう。そして、自分でも驚いてるが今日はそれが何とも身にこたえる。それはおそらく誤解で悪く言われることが自分で思ってる以上にずっと嫌だったんだろう。そして新しい船を手に入れれば新しい人生が訪れて状況がいっぺんに変わると思い込んでたようだ。そんなはずはないのにな。
シェファード星で空と青い雲を見上げてた時、俺は子どもの頃のことを思い出していた。故郷の星で青空に浮かぶ雄大な雲を見ていつも思ってたことを。あの雲を越えてずっとずっと上に行けばそこには広大な宇宙がある。そこで思う存分暴れ回りたいと。大人になって宇宙船を手に入れて金儲けを始めたがどうも思ってたのと違う。なんだか窮屈だ。すぐ人にあれこれ言われてしまう。だからもっと宇宙の奥まで行けば子どもの頃思い描いていた景色が見つかるではないかと思っていた。それは勝手な思い込みだった。
それでも、俺は自分の思う通りに生きていくよ。いつか、俺の噂を聞くかもしれない。悪い噂かもしれない。その時は噂なんてあてにならないと思ってくれればありがたい。しかしそう頼むのはおかしな話だな。むしろ俺なんかに会ったこともなかったように忘れ去ってもらうことを要求してるんだから。とにかくこれで俺は行く。じゃあな」
ドレイクはそういうと唐突に向き直り小型船の中に入っていった。
エリザベスが大声で呼びかけた。
「待って」
ドレイクが開いたドアに戻ってきて、いぶかしげにエリザベスを見た。エリザベスもドレイクを見つめた。心を決めようとしているようだった。
「私も連れてって」
「何だって?」
「さっき私のお陰で命が助かったって言ったでしょ。あなたの宇宙船でも役に立てるかもしれないわ。私も乗船させて」
「いやいやいや。自分の言ってることが全然わかってない。俺の船は銀河の賑やかなところを行ったり来たりする商船じゃないんだぞ。これから行った者すら数少ない銀河の辺境へ向かうんだ。降りたくなっても定期航路のある星に行くのは何年先になるかも分からない」
「それでもいいわ。お願い、どうか私を乗せて。それとも、私がいると迷惑? それなら仕方ないけど」
ドレイクはエリザベスを見つめていたが、やがて言った。
「いいだろう。女を船に乗せるのは縁起が悪いと言う奴もいる。危険と背中合わせの日々が覚悟の上の俺のような商売ではな。だが俺はそんな迷信は気にしない。そうそう、俺の船は給料制ではないからな。儲けがでたときに働きに応じて分配する。だが特別に、商品として積んでいるドレスは君が好きに着ていい。この船では全然別の商売をすることになるから」
ドレイクはエリザベスの後ろに立つ二人に向かって言った。
「ルイコーシーさん、ガンダタ船長。行方不明になったのは実は二人だったと話を修正してもらうことになったようです」
ドレイクは小型船を降りてエリザベスに近づいてきた。
「じゃあ行くことにしようか、エリザベス。君にも俺にも果たしてどんな運命が待っているか。ひとつぶつかっていってみよう」
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