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覚えなき流刑 (後編) [キャプテン・ドレイク 5]

その男が苦心惨憺の上、宇宙の驚異号に乗り込んでキャプテン・ドレイクに会おうとした目的が明かされる時が来た。

後編 (17000字)

                       


マットは淡々と話を続けた。
「まず、俺の本当の素性から話す。生まれ故郷はドランティという星だ。半分以上が海で遠洋漁業が盛んだ。気候は温暖で、大陸には草木が豊かに生い茂る美しい星だ。俺が親から付けられた名前はウィリアム・マシュー・ドゥジオンだ。その星を永く統治するドゥジオン王朝の時の王の六番目の子として生まれた。兄弟の王子達の中では何につけても一番出来が良かった。運動でも格闘技でも勉強でも負けたことはない。機械いじりが好きで、ソフトウェアにものめり込んだ。幼い頃の俺はもう世界の中心にいるような気分だったよ。

でも、結局はとびきりの問題児になった。成長するほどますます心がすさんでいくばかり。理由は単純なことだ。ドゥジオン王朝は長子継承が固いしきたりだった。だからどうしても俺は王になれない。なんとかその運命を受け入れようとしたが、大人に近づくほど陰鬱な将来がよりはっきりしてきた。王である長男の家臣として決められた役割をひたすら務めるだけ。それから外れるようなことは一切できない。

父である王は十分に可愛がってくれたし、長男の兄ノエルは性格の良い奴で仲が悪いわけではなかった。だが俺はグレた。くだらない連中とつるんで無鉄砲に馬鹿なことばかりやった。まあ、そういうことだ。

そうして話は俺が18才の時のことだ。その頃は手に入れた宇宙船を駆って仲間と無謀な飛行を楽しむようになっていた。船の性能を上げるために次々と改造してはより危険なことに挑むという具合。そのうちに改造では飽き足らなくなって自分で船を一から設計しようとした。得意な機械の勉強はずっと続けていたし。そして父から資金を出させてはこつこつと建造を進めた。俺はひたすらそれに没頭して無謀運転もぴたりとやめた。莫大な金が掛かったが、父はまだその方がましと思ってかねだるたびにいつも金を出してくれた。

そうして野獣のような船が完成した。小ぶりの船体に恐ろしいほどの推進力、無意味なほど頑丈な構造とその時代で最高の放射線防御力などなど。皆、道楽息子が他にはない宇宙船を造ってみせびらかしたいのだと思っただろう。しかしその船には秘めた目的があった。その船以外では絶対行けない所へ行くことだ。その場所とはある小惑星だ。その小惑星自体が特別なわけではなく、その小惑星のある場所が特別だった。その小惑星は、ブラックホールの軌道上を回ってるんだ。

あんた達宇宙船乗りなら、ああ、それと物理学者ならよく知ってるようにブラックホールの周りには事象の地平面がある。ブラックホールを囲む見えない面だ。その面を越えれば二度と戻って来れない。光でさえ。だから事象の地平面の向こう側で起きていることはこちら側の宇宙に一切影響しない。その面はこちらの宇宙と向こう側を完全に絶対的に切り離している。だろ?」
マットはエリザベスの方を見る。

エリザベスは言った。
「私についてもいくらか知ってるようね。理論物理学者としては今のブラックホールの話はいくらでも厳密に言い直すこともできる。けど、ここでは誰もそんなことは望んでないでしょう。先を続けて」
マットは再びエリザベスに大仰に頭を下げてから続けた。

「この地平面そのものに俺は魅了された。何だか詩的な感じもしたし。理論上のほとんど仮想的なベールのようなもの。でも二度と戻れない領域を区切る面は現実のものとしてこの宇宙にある。その有り得なさに匹敵するものがあるだろうか。そしてそこには原理的にはいくらでも近づける。

惹かれる理由は心の深いところにあり、そのことはちゃんと自覚していた。己のこの世の境遇に嫌気がさしているから別の世界に行きたいという子供っぽい衝動だ。本当に事象の地平面を越えれば死ぬしかない。死にたいとまでの気持はないから、せめてそこにぎりぎりまで近づいてみたいという衝動。それで近づく限界としてその特異な小惑星を目標にしたんだ。

そのブラックホールと小惑星のペアはかなり奇妙なしろものだった。その小惑星は後戻りの出来ない事象の地平面からまだ100倍以上離れた軌道にある。それでもものすごくブラックホールに近い。そんなところに1.2kmほどの大きさのものが安定的に存在するのは不可能なはずだ。なぜ小惑星が平気な顔でそこに居続けられるのか誰にもわかってない。謎は謎のまま、とにかく俺の計画はその小惑星に宇宙船で降り、そこからブラックホールを眺め、この世の果ての境界を感じることだった」
マットは今度はドレイク艦長の顔を見たが、艦長は何も言わない。

「決行のとき、俺は見物人としていつもの悪さ仲間を集めた。やってのければ長い語りぐさとなる武勇伝の証人として、万一失敗したらせめてその死に様を俺の父達に話してくれる目撃者になってもらうため。

話を短くするために先に言うと、小惑星への着陸は成功した。しかしその直前に死にそうな目に遭った。船が揺れ始めたんだ。振動とかじゃない。荒波に揉まれるような揺れだ。小惑星が近づいたり遠ざかったりした。あらゆる計器も小惑星との位置関係が乱暴に変動していることを示していた。そんな揺れが起こるなんて予想外だった。小惑星を通り過ぎて落ちてしまったらもう生きて戻れない。その恐怖は生半可じゃなかった。

困難を極めたがなんとかやってのけた。それは着陸というより衝突だったが、とにかく小惑星から振り落とされないようにアンカーを打ち込んで宇宙船を固定することができた。揺れは収まっていた。

でももう俺は尋常な精神状態ではなくなっていた。方向感覚はとうに無くなっていた。時間感覚も無くなっていただろう。激しく点滅するライトを目の隅で捉えたがその意味を理解するまでだいぶ時間が掛かった。ようやくここに長くは居られないとこを思い出した。刻一刻と致命的な放射線を浴びている。もともと、ここには数分しか滞在しない予定だった。船の状態を調べる。まずい。6基のエンジンのうち2基が故障していた。4基の出力ではこの場所から離脱できない。

その時だ。船窓に異様なものがゆっくり現れた。俺は小惑星の回転によってブラックホールを直接覗き込んでいることに気づいた。それは黒くはなかった。白く光っていた。その光の向こうには事象の地平面があり、さらにその向こうにブラックホールの巨大な重量があるはず。ブラックホールが船窓をゆっくりと横切るのを呆然と見ながら、その絶対的な境界面と重力の存在を確かに感じた。もちろん知識がそう見せているだけだが、実感としてその実在を知覚できる気がした。

目的は達した。次にすることは生還だ。俺は諦めていなかった。何か手はないかと船の状態を調べ、故障したふたつのエンジンの故障部位が違うことを突き止めた。片方のエンジンの故障箇所をもうひとつのエンジンので置き換えれば動くかもしれない。俺はその場でその改造をやってのけた。それを4分でやってのけられる奴はそうそう居ないだろう。しかし、それは本来のせいぜい半分くらいの出力のはず。姿勢制御用の推進装置も同時に全開で使えばなんとかブラックホールから逃げ出せるかもしれない。

運を天に任せ、アンカーを切り離すと同時に全推力を一方向に集中して噴射した。宇宙船は小惑星から静かに離れた。だが、ブラックホールを振り切る速度に達したかどうか計器を凝視する時間は長かった。いつ何時なんどきエンジンのどれかが過負荷でおしゃかになるかもしれなかった。あの奇妙な揺れが再び襲って来ないことを願った。幸いそれは起きなかった。どれだけ時間が掛かったかわからない。そして、とうとうブラックホールから逃げ出せたことを俺は確信した。そして、気を失った」

ドレイク艦長は机に広げて載せていた手の平で軽くぱんと天板を叩いて言った。
「なかなか無茶をするじゃないか。ブラックホールの近くでそんなに放射線を浴びて身体は大丈夫だったのか?」
「ああ、それはあまりひどくはなかったようだ。だが、それからすぐそれどころじゃない程とてつもなくおかしなことが俺の身に起きた。肝心の話はここからだ。そして、ここからはちょっと詳しく話をさせてもうらう。俺が密輸で食うような犯罪者に身をやつしたいきさつでもある」


        *        *        *

何やら話しかける声がして目を覚ました。目の焦点が合ってくると病室にいるのが分かった。集中治療室らしい。ベッドの周りじゅう様々な機材で囲まれている。自分を見ることはできないが、体中に色んな管が差し込まれている感じはあった。白衣の医者らしき男がかがみ込んでいた。俺はそいつに無意味な質問をした。
「俺は助かったのか?」
しかし、医者は不満気な顔で身体を起こした。
「……◎♭±÷∞∴⊥>!」
分からない言葉でそう言うと、視界から消え部屋から出て行く足音がした。俺は言葉が通じなかったことで意気消沈した。悪さ仲間達が俺を国の病院まで連れてきてくれたのではないことが分かったからだ。そうなるとブラックホールを管轄域としていた星の者に捕まったのか。くそ、あんなところに警備を配置していたなんて全く予想外だ。

俺のしたことがこの国の法に触れて服役することになるかもしれない。その前に裁判か。俺の身元がばれれば外交問題になるかもしれない。父はそれでも精一杯俺を助けようとしてくれるだろう。これまで以上の迷惑を掛けることに暗澹たる気がした。俺の身元は隠しておこう。どんな罪になろうと自分で全部受け止めよう。一瞬そう思ったが、それはいかに頭が働いてないかの証拠だった。俺の船を調べれば、そして使っている部品の生産場所を突き止めればあっという間に俺の星にたどり着く。そして身元はすぐにばれる。そこまで気づいたところで意識は暗黒に再び飲み込まれた。

次に意識が戻ったとき、俺の頭は前よりははっきりしていた。今度はベッドの背が機械式で起こされ、自分の身体の様子を見ることができた。思った通り腕や脚に何本も管が挿入されていた。見えるところの手足の皮膚は特に変な所はなかった。放射線のダメージがあるとしてもそれは身体の表面にまでは表れてないようだ。病室にはこの前の医者と制服の男が居た。マイクが口の前にセットされた。翻訳機のマイクだろう。制服の男は冷たい目で俺の顔を眺め、口を開いた。
「≒●○▽△△▲☆□〃」
「翻訳機のために何かしゃべれと言ってるんだろうな、きっと」
少し待っても翻訳された言葉は聞こえてこない。制服の男はもっとしゃべれというジェスチャーをした。

翻訳機の調整は難航した。そんなはずはなかった。俺の国の言葉はそこまでマイナーな言語じゃない。まともな翻訳機なら最初から認識するはずなのだ。俺はいったいどんな奴らに捕まってしまったのか。ようやく、たどたどしいながらも意味が通じる会話が出来るようになり、尋問が始まった。包み隠さず名前と国と身分を告げたがいきなり暗礁に乗り上げた。
「ドランティ星などの存在はどこにも確認しない。不正直な態度はお前がすぐに後悔する」
自分の星に近接する星の名前をいくつか挙げたが、どれも存在しないと言下に退けられた。背筋が凍る思いがした。そして尋問の険悪さはさらに火を噴くほどになった。
「ブラックホール領域に侵入した目途を一度目で必ず言え!」
これは避けられない質問だがすごく間が悪い。もっともらしく聞こえる話をでっち上げたかったが、どういう話なら相手が納得し易いのか見当がつかないのでどうしようもなかった。
「つまり、冒険心だ。冒険心でブラックホールに誰もそこまで近づいたことがなかったくらいまで近づいてみようとしたんだ。それであそこにあった小惑星を目標にした。あそこまで行って戻ってくる。そういう計画で、うまく目的を成し遂げたということだ」

「※≒●○▽!」
翻訳できないようなひどい単語だったんだろう。同席する医者の顔がひきつるのが見えた。
「お前が一員を構成するのはどいう組織だ」
「いや、俺はどんな組織にも入ってない。何の仕事もしていない。さっきも言ったとおり国王の王子という身分で道楽をして過ごしてた」
この答えが相手の気に入らないのはわかっていたがどうしようもない。
「あの宇宙船が民間用だと?」
今回の翻訳は満点だがそれを喜ぶ気にはなれなかった。
「いや、信じられないのは分かるがそうなんだ。俺の国は裕福で俺の父親は俺に甘かった」
「終わる質問は、最大に注意して回答する質問だ。ブラックホール領域の封鎖を無効にした方式は何だ」
「封鎖? 封鎖なんか無かった。俺はただブラックホールの引力に引かれるままに近づいていっただけだ」
しばらくの沈黙。
「知識を与える。我が国は戦争の中にあり、あの領域は戦闘地域であり、我が方が敷いた封鎖に隙間がないことは完全に信じられた。しかし、お前は進入した過去事実も無く封鎖の領域から飛び出してきた」

尋問はそれから何日も続いた。それは最初俺が思っていた裁判のための取り調べではなくて「捕虜」に対する尋問だった。俺はベッドを離れることが出来るようになったが、取調室から開放される時間は独房で過ごすようになっただけだった。俺はたくさんの質問したが、それはすべて黙殺された。彼らの正体も俺がはまり込んだ状況もさっぱりわからないままだった。彼らが悩んでいるのは「捕虜」がどういう勢力の者なのかということのようだった。交戦中の敵からか、はたまたそれ以外の勢力の放ったスパイなのか。そして彼らのより切迫した疑問は、俺がどうやって鉄壁の封鎖を破って中に入り込むことができたのかだ。彼らはその答えが俺の宇宙船にあると考えてそこに質問を集中した。俺に船内の写真、向こうが書き起こした構造図を示してそれらの働きについて微に入り細に入り質問してきた。とうとうある日、船の実況見分に連れ出された。

船は完璧に整備されていた。故障した2機のエンジンも含め全て修理されて綺麗な状態だった。おそらく尋問が終了したら船を何かの戦闘目的に使うつもりなのだろう。俺は質問に答えるために整備パネルを開いて奥の方のパイプを指さした。
「このパイプの中を冷却媒体が流れる。パイプは船内に張り巡らされていて高温の場所でも船は耐えられるようになってる」
カイル少尉、最初から俺を尋問していた軍人がパネルの中を覗き込む。俺は何気ない振りでいきなりカイルの首の後ろを手套で殴りつけた。そして後も見ずに廊下を走って逃げた。おそらく船内では銃を撃つのをためらうだろうというのが俺の希望だった。操縦室に飛び込んでただちにドアをロックする。船のハッチを閉め、操縦室以外の船内に催眠剤を噴出させた。催眠剤のボンベが空にされてたらおしまいだ。睡眠剤の効き目を確かめることなく、エンジンを始動するといきなり宇宙船を収めていた格納庫のドアにまっすぐ突っ込んでいった。ブラックホールの重力に耐えられる頑丈な船体を信じて。格納庫のドアはやすやすと突破でき、空中へ飛び出した。船内のカメラを確かめるとカイル少尉も他の者も床にのびていた。まだつきは残っていた。

だが、ここがどこかさっぱり分かっていない。燃料はちょうど半分。それでも俺はフルスピードで、そして度々方向を気まぐれに変え、宇宙空間をすっとばしていった。戦闘領域ではなかったようで戦闘機がわんさか追ってくることもなかった。2時間後、追っ手がないことを入念に確かめてから宇宙服を身に着けて操縦室のドアから外に出た。船内で気を失っている三人に宇宙服を着せ、ハッチから宇宙空間に出した。それから空の救命艇を俺が逃げてきた方向へ発射した。救命艇にはひとりしか乗れない。一時間後に救命信号を出し始めるようにセットしておいた。宇宙服の救難信号もオンにした。救命艇を捕獲した者が救命艇の来た方向を逆に辿っていけば宇宙を漂う三人を見つけられるだろう。

「最初にたどり着いた惑星の雑踏に俺はもぐりこんだ。そこはまだ未開で野蛮な星で盗みやら何やらで命を繋いでいくことができた。その星の言葉がしゃべれるようになってからも、本当の身元は誰にも話さなかった。身元を隠しては正規な仕事に就けず、裏稼業にどっぷり身をやつした。そうして、残った時間すべてを費やして自分の身に何が起きたのか解き明かそうとした」

ここまでの間、キャプテン・ドレイクは時々航行の状況報告を受け、命令を出すことはあったがマットの話を黙って聞いていた。エリザベスは全く口を挟まず、サイジーといえばずっと身動きもせずスイッチオフも同然に見えた。

「あのブラックフォールは領土欲の強い二つの勢力、サスカチ帝国とスタッフォードシャー共和国の間の紛争地域の中にあった。俺を捕まえたのはサスカチ帝国だった。俺がブラックホールに無茶をいどんだ時にはそんな帝国など影も形もなかったのは確かだ。それとは逆にドゥジオン王朝の名前も惑星ドランティの名前もどこにも見つからなかった。あり得ないことだ。そのとき感じたとまどい、虚無感はいまでも忘れない。俺はなんとかドランティ星の座標を割り出した。そこにはちゃんと惑星があった。だが人の住むにはとうてい適さない灼熱の星で、誰かが住んでいたという記録もなかった。行って着陸して探索することもとうてい不可能な地獄の星だった。俺はここに至って事態の深刻さに心凍る思いだった。俺はまるで星の位置だけが同じパラレルワールドに島流しにされたかのようだった。故郷の星が禍々しい別物に取り替えられ、帰り方もわからない流刑に。

ブラックホールの重力で時間が遅れ、結果未来世界に来てしまった可能性は考えた。しかし計画の時の計算では微々たるもののはずだった。一時間にもならないはず。たとえ計算違いがあって数十年未来に来たとしても、ドランティ星の名前が忘れ去られているはずはない。そうして事態がわからないままもう十年以上経った」

マットはここで話すのをやめた。キャプテン・ドレイクの顔をじっと見る。ドレイク艦長が口を開いた。
「あんたがどこかで偽の記憶を植え付けられたということはあるんじゃないか? 」
「それをやったとするならサスカチの奴らが怪しいだろう。あるいは、その前にすでに誰かに洗脳されていたか。しかし、そうなるといったい目的は何なのか。どうにも考えつかない。とにかく偽の記憶という線も確かに考えた。今まで十年経ってもほころびの出ない完璧な偽の記憶なんてものが作り込めるとしたら、ドランティ星で過ごした俺の子供の頃の記憶から全てが偽物ということになる。俺にそんな故郷はなかったし、父や兄弟達もいなかった。俺は子供の頃からの出来事を極力思い出そうとして、たくさんのことを思い出せた。そこに矛盾する記憶は無い。多くの記憶を生々しい実感として思い出すことができる」
マットの言葉には苦痛が混じる。キャプテン・ドレイクは冷静な口調で答えた。
「いい精神科医に掛かればそれは白黒はっきりさせられるだろう。もちろん、やるかどうかはあんたの勝手だが。とにかく、十年経っても揺るがない偽の記憶を植え付けるのは難しいだろうな」
「俺は、俺の子供の頃の記憶のままその通りのことが実際に起きたとして矛盾のない説明があると信じている。この現実とも整合する何かの説明が」

マットはしばらく黙ってから言った。
「どうだ。俺の話はとても信じられないと思うか?」
「信じるも何も今まで聞いた中でも断トツ突拍子ない話だな。まあ逆に言えば、俺をかついでカモにしようというならもう少しありそうな話を持ってくるだろう、とは思うぜ」
「俺は掛け値無しに正直に話してる。信じて貰うことがとても大切なんだ。何でも聞いてくれ。俺は誠心誠意答えるから」
「まあそんなことするより、ひとつ俺にして欲しいことは何かをすっぱり言ってみたらどうだ。それによってはどこまでお前を信じるべきかということも変わるかもしれんからな」
マットは大きく息をついた。
「わかったよ。もうすでにずいぶん時間を使わせてる。いい加減望むことをはっきりさせろと言われればそうするしかない。だが、今これだけは言わせてくれ。俺はあんたをもっと血も涙もない海賊と思っていた。あんたに会ったら酷い目に合うことも覚悟していたんだ。すんなりここまで話を聞いて貰えるとも夢にも思ってなかった。だからそのことは心から感謝している」

そしてマットは話し出した。
「とにかく今の俺はただ生きてるだけだ。この先の展望もしたいことも何もない。俺が生きるためにしていることは不法なことばかりで、誰かの迷惑の上に成り立っている。そういう暗澹たる気持を抱かずに眠りに就いた日は一度もない。本当の悪党になる素質が俺にはないんだろう。俺のただ一つの望みは昔の生活を、昔の俺の世界を取り戻すことだ。もちろんどうしたらそんなことができるのか皆目見当もつかないが。

というか、実はひとつだけ細い糸のようなとっかかりがある。さっきの話の中で言わずにいたことだ。それは、俺が小惑星からまさに飛び立った瞬間のことだ。なんと宇宙船の窓から小惑星の上に一人で立つ宇宙服の姿を目にしたんだ。俺はもうぎりぎりの精神状態だったから幻覚だと思った。宇宙服のフェイスプレートは銀色に光って顔は見えてなかったが、ちょうどその時宇宙船のライトが正面から当たったのかはっきり顔が見えた。男だった。知らない顔だった。すぐに宇宙船の窓の視界から外れて見えなくなった。俺は、あれが本物なら小惑星の一番乗りは俺じゃなかったかもしれない、とぼんやり考えていた。その後そのことを思い出すことはほとんどなかった。ただ、男の顔ははっきり覚えていた」

マットはドレイクとエリザベスを見たが二人は何も言わない。
「もう一年近く前になる。ある日手に入れたブツを調べていた。どこかで盗まれ、多くの手から手へと流れてきた特殊な携帯端末だった。恐ろしく手強い暗号機能で保護されていて興味を持った。なんとかその暗号を破ってみるとどこかの政府関係者の物のようだった。文書を片端から見て行ったとき、俺は突然小惑星で見た男の顔を眺めていた。その時の気持はとても言い表せない。おそらく俺は数十秒間息もせず固まっていただろう。それは犯罪記録らしいファイルにあった写真だった。説明ではその男の名前は海賊ジョン・ドレイクとあった」
「なんだって」
「なんですって?」
二人の声が同時に上がり、エリザベスはさっと首を回してキャプテン・ドレイクの顔を見つめた。

そこでマットは叫ぶように言った。
「待った! キャプテン・ドレイク。まだ何も言わんでくれ。ちょっと待ってくれ。何か言う前にようっく聞いて欲しい。それ以来俺はずっとあんたを探していたんだ。何とかして会いたかった。だが、どこに行けばあんたが居るかの情報がそこらに落ちてるものじゃない。だから俺は政府関係とかあらゆるところの情報を盗み出すようになった。それらを総合してあんたと接触する方法を考えた。そしてついに会うことができた。

俺の望みというのは、もちろんあんたがどういうことであの小惑星に居て、何をしていたのかを教えて貰うことだ。そして、それを知りたいのは俺が自分の国に戻る方法を見つけたいからだ。見返りに俺ができることは大してない。俺がこれまで手に入れた情報を総合してあんたの秘密情報が何処にどれほど流れてるか分かるというのがせいぜいだろう。もちろん他に俺にできることがあれば何でもする。

そしてもし、もしもだ。その話を俺にすることがちょっとでもあんたに何か害を及ぼすことだったら、俺は誓う。ぜ・っ・た・いにあんたに迷惑を掛けない。絶対だ。何が何でもそうするから。命を賭けてもそうする」

ジョン・ドレイク艦長はがばっと立ち上がり、右へ左へとせかせか歩き出した。こんな姿は乗組員の前では決して見せたことがない。いつも自信ありげな態度を崩さないのだ。キャプテン・ドレイクはほとんど聞き取れない小声でつぶやいた。
「なんとまあ、そんな話になるとは」
そしてマットの顔を見てマットに向かって人差し指をたしなめるように振った。だがすぐにまたせかせかと往復運動を始めた。エリザベスは自分の後ろを歩き回るキャプテン・ドレイクの表情を見極めようとしていた。ようやくドレイク艦長は再びどっかりと椅子に座った。
「マット、おまえがしつこく自分の話を信じて貰うことが重要だと言っていたわけはこれでようやく分かったよ。ひとまずあんたの話を信じよう。こんないかれた話で俺を担ごうとする奴がいるとは思えん。そして質問に対する俺の答えはこうだ」
マットは食いつかんばかりにキャプテン・ドレイクの顔を凝視する。
「嘘偽りのない話、俺は全く覚えが無い。ブラックホールに捉えられた小惑星になんか上陸したことはない」
マットはキャプテン・ドレイクを凝視ししたまま、落胆ぶりを隠しもしなかった。
「そんな顔で俺を見るな。小惑星で見た顔は俺に似た別人だったんだよ」
マットは顔を下に向け、力なく言う。
「いや、それは絶対間違いない。おれは人の顔を一目見ただけで完全に覚える。そういう家系なんだ。俺の父親は国のどんな階級の役人も、最下級の兵士でもどこかで会えば必ず名前で呼びかけることができた。統治にとってその能力はかりしれない価値がある。しかし長男の兄にはその能力は無かった。父親はそのことをとても嘆いていたもんだ」
ドレイクは覆い被せるよう言う。
「しかし、俺にそんな記憶がないこともまぎれもない事実だ。俺が記憶を無くしでもしない限り、いや、記憶を無くした覚えもないぞ。記憶を無くしてたらわかるはずだろ? つまり俺が言いたいのは…」
エリザベスが割り込んだ。
「マットに偽の記憶が植え付けられたという説を蒸し返すと、そういうことをした目的がジョンだったとするなら筋が通るかも。マットは特定の人物を見つけ出すために記憶を操作され、その人物の顔の記憶を植え付けられた。そしてその目論見もくろみ通りにターゲットにたどり着いた。つまり、ここに。ミスター、今何かおかしなことは起きてない?  危険が迫っているということは?」
「ありません。船外に危険はなく、艦の中にも異常な兆候は何もありません」
ドレイク艦長は強い口調で言った。
「しかし、そんなことをしたがる奴は誰なんだ。俺はまっとうな商人だぜ。いや、俺の居所を知りたい奴もいくらかはいるかもしれん。だが、もしマットを手に入れてそういうことに使えると分かったら、もっともっと宇宙には見つけ出したい奴は居るはずだ。とにかくマットはとびきり優秀だ。独力で俺にたどり着いたんだからな。そんな人材は他にいくらでも使い道がある。

俺の意見はやっぱりマットの見間違いだ。その時は精神状態が普通ではなかったわけだからな。この先、本当に小惑星に居た奴に出会ったらそのときにはっきりするだろう。しかし、もうここであれこれ憶測に基づいた話は止めよう。話ばかりしても何の結論も生まん。

それよりマット、これからは俺と仕事上のパートナーシップを結ばないか? 独りでここまでたどり着くのは大したもんだ。一匹狼が性分に合うなら普段は一人で仕事していればいい。お前の腕が必要になったときだけ声を掛けるから。どうだ? そういうことでお互いやっていかないか?」
沈み込んだ表情のマットの答える声に生気がない。
「まあ、それはそれでも俺は構わんが。今となっては。これからどうしていくか何の考えもないし。あんたがそういう提案をしてくるということはつまり、何の覚えもないというあんたの返事にごまかしがないという証拠かもしれないな。あるいは逆か。俺から目を離さないようにしたいのか。俺にはそっちの可能性の方がいいんだが。でも、今はよく考えられない」
「何の下心もないさ。優秀でどこの勢力とも関わりのない奴はいつでも貴重だよ。ようし、決まりだ。じゃあ、新しいパートナーシップを祝ってさっそく杯を交わそう! サイジー、机の位置を戻せ。それから取り上げたマットの武器と装備を返してやれ」

そのとき艦載コンピューターである私は艦長に報告した。
「もうすぐウルトラマリン海の外へ出ます。このままの進路でよろしいですか?」
「ああ、それでいい」
艦は当初は海の星間物質の濃いところへ向かっていた。しかし逃げ出した危険の正体がマットだったと確信すると進む方向を変えた。マットがここにいる以上どこへ向かってもマットから距離を取ることならない。逆にあまり星間物質の濃い所に深く入り込んでしまうと今度はそこから抜け出すのがたいへんになる。ヘラルトスのパトロール船といえばとっくに追跡を諦めている。

ドレイク艦長とマットがパートナーシップの実り多い先行きを願って杯を挙げた後、艦長はマットを引き連れてブリッジに移動した。ちょうど時を同じくして船は海を出た。そして私はそれを発見した。

        *        *        *


「前方に11隻の戦闘艦!」
同時に映像のアップをスクリーンに映す。ドレイク艦長が問いただす。
「いったい何処の奴らだ?」
「不明です。敵性かどうかも不明。 通信が入りました」
「スピーカーに繋げ」
『宇宙の驚異号ジョン・ドレイク。お前に照準をロックした。決して逃げようとするな』
「10隻からの照準ビームを確認」
と私。ドレイク艦長は慌てず騒がず落ち着いて問う。
「お前ら何もんだ」
『私はシジアス星系連合軍第一艦隊総司令ハバロフ将軍だ』
「シジアス星系連合軍だと?  お前らの国があるのは銀河の反対側だろうが。こんなところで何してる」
『お前を待ち伏せしていたのだ。しかし、お前をどうこうしようというつもりはない。そこにいるフォート・デル・レイ侵入犯を直ちに引き渡せ。そうすればお前にそれ以上の用はない』
「フォート・デル・レイ侵入犯だと?  何のことだ」
スピーカーからの声が変わった。
『とぼけなくてもいいんだよ、キャプテン・ドレイク。俺だよ、キャプテン・スミルノフだ。元気そうで何よりだ』
「赤髭のスミルノフ、貴様か。どういうことなんだ」
『お前はずっと見張られてたんだよ、ドレイク。俺がフォート・デル・レイの侵入の話をお前にしたときからな。あの話は本当だった。シジアス星系のカミロイ星政府はどうしても侵入者を捕まえたかった。しかし盗み出した情報のどれに興味があったのかわからないのですべての可能性を押さえようとした。俺はもちろん協力を約束した。恩を売っておいた方が得だからな。しかしお前は協力しないだろうと俺はカミロイ政府に教えてやった。お前が公的権力と仲良くするなどとうてい想像できないからな。だからお前に情報を流して泳がせることにしたんだ。常に交信ができるようにしておくことでお前の居場所を見当付けやすくできたしな。

惑星ヘラルトスの修理ドックで派手なことをやらかした時も監視されてたのよ。おまえが何かから逃げるように全速で海に逃げ込んだ直後に、正体不明のクルーザー船が衝突するような勢いでお前の船に張り付いたところまでは捕捉されていた。クルーザーの映像分析をするとフォート・デル・レイの衛星に侵入した船と一致した。つまりフォート・デル・レイ侵入犯はお前に用があったということだ。ビンゴ! というわけだ。お前が情報窃盗の黒幕という疑いもあるが、だったらクルーザーがあんな乗り込み方はしないだろう。だからお前はシロということだ。

さあさあ、犯人とクルーザー一切合切をおとなしく引き渡せばあんたは無罪放免だ。賢く振る舞った方が身のためだぜ』

聞いていたマットが思い詰めた表情で立ち上がった。ドレイク艦長は交信のマイクを切るように合図した。マットは早口で言いつのる。
「キャプテン・ドレイク、あんたに迷惑は掛けられない。しかし、俺はもう囚人になるのは絶対にごめんだ。だから俺は逃げ出す。逃げ切れないようなら戦艦のどれかに突っ込んでやる。あんたは俺が艦隊を見て驚いて逃げ出しただけで意図して逃がしたのではないと言えばいい」
「やけになるな、マット。俺たちはもうパートナーだ、忘れるな。そして俺を誰だと思ってるんだ?  こんな田舎軍隊どもから逃げ出すのはわけない。安心して任せておけ」
「しかし一緒に逃げればシジアス軍から俺たち二人がずっと追われる羽目になる。あんたの船は図体がでかいからな。俺一人なら宇宙の片隅に紛れ込むのははるかに簡単だ」
「まあそれは一理ある。つまり別々に逃げ出すというのはありだということだ。向こうは二方面を追いかけなくちゃならんからその方が上策かもしれん。じゃあその線で計画を考えよう」
しかし、マットはブリッジの出口に向かって歩き出した。

「いや、俺のことは構わないでくれ。ほんとにもうどうでもいいんだ。もうこの世で生きていく気力が無くなった。あんたが最後の頼みだったんだ。俺はさっさと行った方がいい。ここで時間を掛ければそれだけ敵も疑い出す。結局迷惑をかけちまったな、キャプテン・ドレイク。すまなかった」
マットはサイジーの前を通り過ぎようとした。
「サイジー、マットを止めろ」
それを聞いたサイジーは普段と打って変わって素早く出口に立ちふさがった。
「どけ」
と、マット。
「艦長の命令が最高優先順位です」
その間にキャプテン・ドレイクはマットにつかつかと近づくと腕を捕まえて乱暴に振り向かせた。

「聞けよ、マット。お前がずっと苦しい思いをしてきたのは分かる。だがな、自分だけと思うな。お前は勘違いしている。いいか。人生は地獄だ。誰にでもだ。そりゃぁ、人生のある時期にはそうは思わないこともあるが。それが短いか長く続くかは人それぞれだ。お前だって、今となっては自分の王国に戻りたくて仕方ないとしても、若い頃に将来に絶望していたことも別に勘違いだったわけじゃないだろう?  年若い頃に将来に展望が持てないというのもじりじりするほどの地獄の苦しみだ。そして今はそれより酷い地獄に飛び込んじまったということだ。じゃあ地獄にある時はどうするか。生きるしかない。この世に生を受けて生まれてきたものにはそれしかないんだ。ただそう覚悟を決めるんだ。少しでも有利な面を探すとか、前向きに考えるというのはその覚悟を決めてからのことだ」
「確かに俺が幸せだったことはあまりなかったのかもしれない。言われてみれば。だが何故だキャプテン・ドレイク? 俺なんかほっとけばいいだろう。なんで会ったばかりなのにそこまで親身に言ってくれるんだ?」
キャプテン・ドレイクは静かにに言った。
「俺はただ人生の道理を言ってるだけだ」

そこでサイジーが発言したことに一番驚いたのはドレイク艦長だったかもしれない。
「あの、よろしいでしょうか。マットさんにとって私の言うことなど何の意味もないと思いますが、ロボットの私も生まれてからずっと苦しかったです。でもマットさんより苦しみが大きいとは言いません。マットさんはさぞ辛かったと思います」
ドレイク艦長の声は明らかに動揺を押し隠していた。
「サイジーもこう言ってるだろ。まあ、俺の言ってることとは違う気もするが。だが確かにもう時間を掛けすぎている。あいつらがしびれを切らすまでにもうあまり残り時間がないだろう。さあ、計画はお前の船に行きながら詰めよう」

もちろん私は命令はなくとも、ここから逃げ出すための行動計画をすでに千通り以上立案し、それぞれをシミュレートし終わっていた。ドレイク艦長は廊下を足早に歩きながら私に問うた。
「ミスター、それで計算結果は?」
それは最良の行動計画についての質問だ、もちろん。
「本艦とマットさんが共に無事逃げおおせる確率は99.6%です」
「まあまあだな。よし、それで行こう」

逃走計画を艦長とマットに説明し、マットが自分のクルーザーに乗り込み、私がクルーザーに航行データを転送する方法を見つけ、転送し終わるまでに三分弱掛かった。敵軍は既に四度、すぐにでも攻撃すると脅しをかけてきていた。艦長はブリッジに戻っていて悠々迫らぬ口調でマットの船と艦内波長帯で交信した。
「格納庫の扉を開くから、合図とともに全速力で飛び出せ。そしてこの騒ぎのほとぼりが冷めて、もう大丈夫だと思ったら俺に連絡をよこせよ」
「分かった。だがとにかく、ここから逃げ出すのが先決だ」
「大丈夫だって。俺を信用しろ。そして必ず連絡してこいよ。お前さんには壊されたライトの貸しがあるからな。弁償するのを忘れるな」
「はは、そうだった、俺が弁償すると言ったんだ。じゃあここで捕まるわけにはいかないな。ああ、必ず弁償しに行くよ。約束する」

クルーザーは勢いよく飛び出した。最初は横方向に敵からも我が艦からも遠ざかる方へ向かうと見せかけて、いきなり敵艦隊にまっすぐ突っ込んでいった。そこには私が見つけた穴があった。軍の戦闘艦の布陣にスミルノフの海賊船が加わったためにできた見えない穴だ。マットのクルーザーは敵からの弾幕をかいくぐってその穴をやすやすと通り抜けると、ブラックホールの重力すら振り切る驚異的な推力にのみ可能な目を見張る加速度で一目散に遠ざかっていった。シジアス軍の夥しい数の戦闘機が後を追う。しかし10隻の戦艦とスミルノフの船は残った。キャプテン・ドレイクはその間やかましく言い立てていた。クルーザーが勝手に逃げて行った、クルーザーは海の中で宇宙の脅威号に張り付いたあとコミュニケーションが取れず、相手の正体はさっぱりわからない、フォート・デル・レイに押し入った奴とは思わなかった、などなど。

しかし、シジアスの戦艦は動かない。
「おい、何やってんだ、さっさとあいつを追いかけて行けよ。お前ら、まだこちらの艦に照準を合わせたまま居座ってるのはどういうつもりだ」
ハバロフの声。
『キャプテン・ドレイク。あの船に犯人が乗っているとは限らない、おとりかもしれん。そちらに乗艦して確かめない限りおまえを開放するわけにはいかん』
「本音を出しやがったな。船の隅々まで捜索するなんてことを俺が許すとはまさか思ってるわけではなかろう。俺に興味がないとか言いながら、最初から俺も一緒に捕まえようという魂胆だったんだろう。おい、スミルノフ。よくも俺を売ってくれたな。この落とし前は必ずつけてやるからな」
赤髭のスミルノフはせせら笑う調子で答えた。
『キャプテン・ドレイク、威勢がいいだけじゃ何もできんぜ。シジアス軍の軍艦十隻に向かって勝ち目があると思ってるのか』

その交信の間にも宇宙の驚異号は少しずつ海へ後退していた。敵は我々が海に逃げ込むつもりとみたのだろう、戦闘機を六機出してきた。
『キャプテン・ドレイク、逃げようなどと考えるな。その場にとどまれ。それ以上動くと攻撃するぞ』
「シジアスの軍隊がこの領域で一般人にどうしろこうしろと指図する権限なぞない。俺の船を攻撃したらまさに違法な武力行使だ」
『お前が一般人だと?  笑わせるな、ジョン・ドレイク。おまえは海賊として指名手配されている。どこだろうと海賊に遭遇した政府の正規軍には海賊の逮捕は努力義務だ』
「ようし。そこまで言うなら捕まえてみろよ。易々とやられる俺じゃないぞ」

宇宙の驚異号のブリッジは落ち着いている。私が報告する。
「敵戦闘機、攻撃してくる様子はありません」
「海の中で浮遊物を避けるのはもちろん小型機の方がたやすいからな。戦闘艦が小型機を振り切れるはずないと余裕を見せているのさ。よし、海に入れ。総員体を固定しろ」

宇宙の驚異号は海に入ると浮遊物の多い領域にわざと入って行った。宇宙の驚異号が艦載コンピューターである私の計算能力に命運を賭けるときが来た。

追ってきた戦闘機も浮遊物を避けるので手一杯になった。現在のスピードを保つのがやっとだ。巨大戦闘艦にとっては大変どころではない。浮遊物を完全に避けるのは無理だ。致命的な大きさの物だけを避け、小さい物はぶつかるに任せた。宇宙の驚異号には絶えず衝突音が響き、小刻みな方向転換でハーネスで椅子に縛り付けられた乗員は皆振り回され続けている。この進み方なら小型機は艦と間を詰めたり攻撃することはできない。ただし、長い時間これを続けると艦のダメージが大きくなりすぎる。

敵はこちらがどうするつもりなのかいぶかしんでいるだろう。こちらはそのまま浮遊物の多いところを進んでいく。ドレイク艦長が私に問いかけた。
「戦闘機との距離は保ててるか?」
「はい、安全限界距離外です」
「だができるだけ引き離しておきたい。ぎりぎりまでスピードを出せ」
衝突音は耳を弄せんばかりに大きくなった。だが、急に静かになった。浮遊物が特異的に少ない場所に出たのだ。そして、この戦艦の大きさに対してセンチメートルの誤差であらかじめ私が決めておいた位置を通過する瞬間が来た。私は命令されることなくミッションを実行した。
「ワープします」

宇宙の驚異号は海の只中でワープを敢行した。その特異な場所は、まだシジアスの軍艦がいること知らずに、これから海を出ようとする際に私が発見したものだ。海の中に興味深い領域を感知したので、念のため探索を済ませていた。そこはきわめて特異な場所であり、様々な可能性の中でも特にワープができることがわかった。もちろんそのことをすぐに実行に移すことになるとは知らなかったが。

こんな芸当ができるのは私という艦載コンピューターを積んだ船ならではのことだ。敵は星間物質の漂う海の中でまさかワープする戦闘艦があるとは思わなかっただろう。宇宙の驚異号はシジアス軍の鼻先からみごと逃げおおせた。

        *        *        *

その日、当直を他に任せてようやくブリッジを出てきたキャプテン・ドレイクをエリザベスが捕まえた。
「ねえ、ひとつだけ聞きたいことがあるのだけど」
「マットが前に俺を見たという話は正真正銘覚えがない」
「そうなの。でも聞きたかったのはそうじゃなくて、誰にとっても人生は地獄だと言ったことよ。あなたがそれほど辛く思ってることを私は聞いたことがあったかしら?」
キャプテン・ドレイクは少し黙ってからぼそりと言った。
「誰だって何もかもを話す十分な時間なんかないだろう。だが、何が起きたのかを話すのとそのときの気持を話すのはまた別のことだからな」
ドレイク艦長がエリザベスにいつも素直に真実だけを答えるとは限らない。だが、イエス・ノーが判然としない、はぐらかすような答え方は滅多にしないので私の印象に残った。
「それより、俺のことよりな。機会があったらサイジーの話を聞いてやってくれ。ロボットにしては相当なことを言ってたからな」
そして船長室へと立ち去った。

このことはこれとして。暗黒星雲のただ中でワープ・ジャンプをやってのけたというキャプテン・ドレイクの伝説が生まれたのはこの時のことだ。






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