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ハードボイルド稼業 - 2 -

(第二回 3800字)                       全三回

口と目を半ば開けた表情のない横顔の下の地面に、見てる間にもじわじわと血が広がってくる。俺はしゃがみこんで首に指を強く押しつけた。脈はまったく触れない。視線を上げ、隠れていた物陰から恐る恐る集まってくる群衆を見る。彼らに声を張り上げて告げた。
「死んでる。警察を呼べ」
立ち上がり、俺はしかしその場に留まらず、もと来た方へ歩いていって自分の車に乗り込み走り出した。

仕事の話を交わしたばかりの依頼人があっさりとこの世から退場してしまった。しかも俺にとっては初仕事だ。スターリングは死んだ。突然に。もっとも彼自身は、暴力による突然の死が煙のように立ち込める場所に身を置いていたのかもしれないが。

彼の死の無念を晴らすために俺がしてやれることはたぶん何もない。しかし俺には彼から請け負った料金受取済みの仕事がある。スターリングは、ここを出て行く女がロスアンジェルスの思い出の中で自分をろくでなしの一人に数えるのは嫌だということを言っていた。もう誰かの心の中の思い出しか彼には残されていない。約束の時間に遅れずホテルに行って必ずヘレン・ブライトを見つけなければならない。彼女をそこで掴まえ損ねたら、指輪を渡すという依頼内容を果たすためにアメリカ中から名前と大まかな特徴しか分からない人物を探し出さなければならなくなる。

ホテルへの最短距離の道を車を走らせていた。だが、思い直してUターンする。時間はまだある。再び街に戻り、小さな宝石店の前に車を停める。入り口のガラスに「宝飾品買い取りいたします」というプレートが貼られている。中に居たのはとても痩せた男。髪の毛の薄い頭皮が頭蓋骨に張り付いて血管が浮き出ている。座ったカウンターの向こうからこちらを見上げる。薄暗い店内で目は小さな輝きを保っている。
「これを売るとしたらいくらになる?」
袋から指輪を出して渡す。相手はゆったりした動作で単眼鏡を目にはめ、指輪を様々な向きにひっくり返して調べる。
「ルビーですね。指輪はだいぶ古いデザインですな。今は流行らない型なので売るのは難しい。値段は20ドルがせいぜいです」
「200ドルの間違いだろう」
「とんでもない。これに20ドル以上の値をつけるところがあったら教えて欲しいですな。ルビーを外してもっと現代風のデザインのリングにつけたら売り易いかもしれない。だが、そうする価値があるほどの石じゃないし」
男は指輪をカウンターに、俺に近い所へ手を伸ばすようにして置いた。俺はそれを取り上げて言った。
「新品だったら200するかね?」
「新品で、このデザインが流行ってる頃だったら。あるいはもっと高い値だってつけてたかもしれない。しかし今では新品だとしても200はとてもとても。それでもこいつはリングに刻印がないのが救いだ。名前とかが彫ってあったらまったく売り物にならない。そういうのは石だけ取って別の指輪に作り替えるんだが、この石じゃあそうするだけの…」
「ありがとよ。世話掛けたな」

店を出て今度こそホテルへ真っ直ぐ向かう。俺としてはスターリングが殺されたことと指輪が無関係であることをより確信したかっただけだ。人を殺すほどの価値はこの指輪には全くない。そもそもスターリングを撃った奴らは彼の身体を探すこともしなかった。無関係なのは始めから分かっていた。

それでもまだ俺はクライトンホテルへ向かう道すがらくよくよと考えていた。スターリングは俺に引き受けさせようと必死だった。一体全体どういうことなんだ。20ドルの価値しかないものを20ドル払って届けさせる? もっとも彼自身は200ドルと思ってたかもしれないが。それにしても他の方法がいくらでもあっただろうに。彼がこれほどのはした仕事で20ドルという金を見ず知らずの人間に進呈したがる筋の通った説明はどうにも思いつかない。そういえば、仕事内容にスターリングの死を女に知らせるということが付け加わった。二人の間柄が死の知らせを大して悲しまなくてすむドライなものであればいいが。

クライトンホテルに着いたときには3時5分過ぎだった。ホテルは高台にあり、周りを自然の草木で囲まれている。折からの気持の良い季候でホテルの印象も五割増しに感じる。玄関前の駐車スペースに車を止めるとホテルの入り口を抜けてロビーに入っていった。低くて腰を下ろすと体が沈み込みそうなソファが低いテーブルを挟んで向かい合わせに置かれていたが、そこには誰もいなかった。

鉄製のフレームに作り物のツタを這わせたアーチ状の出入り口に区切られた向こうには背の高いテーブルが4つ置かれていてそれぞれのテーブルにセルロイドの小さな板状のメニューとおぼしきものが立っていた。食堂から運んできた飲み物と軽食ぐらいが食べられるのだろう。テーブルのひとつに女が一人座っていて何かの飲み物のカップを前に置いている。他の席には誰もいない。俺はアーチをくぐって女の方に向かった。

二十代のどこか、太っても痩せてもいない。髪はブロンド。クライトンホテルは決して気取ったホテルではない。ごくカジュアルなローカルホテルのひとつ。それでも女はそぐわない感じありありだった。額から髪を大きく後ろに流して白縁サングラスで押さえている。均一価格で店の入り口に置かれているようなサングラス。口紅は派手な真っ赤。ひらひらの多いピンクのブラウス。白のごく短いスカートで脚を組み、編みサンダルの安っぽさが目を引く。

女が俺に気がつき、こちらを見る。目はグレーで確かに青みが混ざっている。目つきはちょっときついというのは控えめにすぎる。今の俺の心理状態のせいだけではなく、夜のバーでひとりで居るのを見て近づいてきた男が思わずひるみそうな目だ。とはいえ、化粧は派手だが全体的に整った顔立ち。俺は帽子を取ってテーブルの前まで行き、話しかけた。
「ミス・ブライトでしょうか?」
「ええ、そうだけど」
「ミスター・スターリングの代理で来ました。彼がやむを得ない理由で急に来れなくなったので。私はブライアン・スコットといいます」
「トニーが来れなくなった?」
「はい。座っていいですか?」
女は頷いた。俺は彼女の向かいに座り、空いている椅子に帽子を置いた。
「来れなくなったって、何で? それであなたがトニーの代わりに私を送ってくれるの?」
「ミスター・スターリングは車を運転していて事故にあったんです。車とベンチが壊れただけですが、事故の後始末をするために彼はどうしても残らなければならなくて。それで私が代わりに行くよう頼まれたという訳です。でも、あなたをどこかへ送っていくという話は私は聞いてませんでした。もちろん、あまり遠くなければ喜んで送らせてもらいますよ」
「ソルトレイクシティまで送って貰うはずだったの」


「なるほど。ユタ州ソルトレイクシティまでは今日中に行って帰るのは無理ですね。そうなると私もオフィスを留守にしておくわけにはいかないんで」
「いいわよ、だったらグレイハウンドバスに乗ってくから。私はそもそもそのつもりだったのに、トニーが送ってくれると言い張るから私も待つことにしたのに。だけどトニーが待ち合わせ場所をこんなとこにするから、ここまで来るのにタクシー代が掛かっちゃったし、コーヒーも何でもバカ高いし、ここのウェイトレスはすごく感じ悪いし。挙げ句の果てに事故って来れないなんてもう最悪。で、じゃあ、あなたは何のために来たの? トニーが来れないならそうホテルに電話して伝言でもしてくれたら済んだのに」
「私もミスター・スターリングにそれは言ったんですが、彼は今日の約束を延ばしたら彼を待たずにあなたがロスアンジェルスを発ってしまうかもしれないからと」


そのとき白を基調としたお仕着せの女がテーブルの横に現れて俺に言った。
「いらっしゃいませ、何かご注文は?」
「コーヒを頼む。淹れたての熱いのを。お代わりは?」
最後のは向かいのヘレン・ブライトに訊いたのだが彼女は黙って首を横に振る。ウェイトレスが去るとヘレン・ブライトは言った。
「確かにそんなにぐずぐずしてられないからトニーが当てにならないならもう待ってられない。だけど、だからって私の知らないあなたがわざわざ言いに来なくても。 あなたはトニーとはどういう関係なの?」
もはやスターリングの友達のふりをするのは問題外だ。それでなくても話は込み入っている。

「私はこういう仕事をしています」
財布から探偵の許可証を出して相手に渡す。ヘレン・ブライトはそれを見て目を大きく見開く。
「まあ、ここへ来たのもそういう仕事でってこと? いったい何があったの?」
私は返されたセルロイドの札を財布にしまうと、手を広げて言った。
「ちょっと整理したい。順を追って話をしないとだめそうだ。あなたはミスター・スターリングにソルトレイクシティまで送ってもらうためにここで待ち合わせた。それについてはもちろん彼もきっと送っていくつもりだったのでしょう。

私に関して言えば、今から一時間くらい前のことです。彼がバックで歩道のベンチに突っ込んでしまった現場に居合わせた。それまで彼と面識はなかった。私は怪我は無いかと話しかけた。ミスター・スターリングに怪我は無かった。話しているうちに私が私立探偵であることを明かし、そうしたら彼はクライトンホテルに彼の代わりに行く仕事を私に持ちかけた。私は引き受けて、費用も受け取った。そしてその仕事の内容というのはあなたに会ってこれを渡すことです」

        <続く> ハードボイルド稼業 -3-

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