葬式

先週22日の日曜日に名古屋の祖母が食事が喉を通らなくなったと母からメールがきた。3年前に、父方の祖母が危篤と時と同じような感覚だった。

母方の祖母は90歳でボケがきているが割と元気だった。大丈夫なのではとは思っていたが、23日の朝に亡くなったと母から連絡がきた。

コロナの事があるので、食事をとれなくなるまでの1ヵ月位は面会する事が出来なかったと聞いて残念だった。私が最後に会ったのはお盆だった。お猿さんみたいになったなーと思ったし、見ているとどうにも涙が出てしまった。その涙も何だが無責任な気がしてなるべく隠した。

沼津から名古屋へ行き、通夜、葬式をした。

祖母は綺麗な顔をしており、今現在の母とよく似ていた。

ちょっと化粧が濃くて不自然な感じもあったが仕方あるまい。

同い年のいとこと16年振りにあった。

16年前に会えなくなった時に、次会うとしたら葬式なのかなーなんて思っていたけど、それは本当になって、その時が来たのだった。

やはり顔を見ると涙が出たし、悲しかったが頭の中がぽかんとしたのは、月曜に報告を受けた後のしばらくだった。

10年前位に祖父母の家に行って、一人で墓参りに行こうとした時に、足を悪くしていた祖母が自分も行くと言い杖をつきながら無理をして一緒に墓参りに行った。その時に、私に、ばあちゃんが死んだら墓参りに来てねと言っていたのを何回も思い出した。

骨になったのを見ると気持ちが落ち着いた。

親戚のおばあちゃんおじいちゃんが、物忘れですっとんきょうな行動をしてしまう事を話して笑っているのを聞いているのが楽しかった。幸せな時間でもあった。

沼津に戻ってから、この世にもういないんだなあと思って一度泣いた。

ぼけ始めた頃から、すこしずつ、とおざかっているような感覚があったような気が、今になってしている。

私はこういう時には、死んでしまった知人や動物におばあちゃんを宜しくねと心の中で思っている。

3月10日に友達の奥さんが亡くなっていたことも先週知った。

先週は沼津では強い風が何日か吹いた。

今日は志村けんがなくなった。小学校の頃、テレビで沢山笑わせていただいた。

悲しいからといってぼーっともしていられないので、心の中に思い出や面影を残しながら今日一日一日の時間を大切に行動して生きていこうと思う。

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