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これがチェコの授業・チェコ語サマースクール1997

1998年10月28日に開設した「チェコ人になりたい女の子のおはなし」というサイトのコンテンツをこちらに載せています。


サマースクール2日目には、クラス分けテストがありました。
筆記試験と、それを提出するときにチェコ人の先生と軽くお話をするのです。

試験は、英語とチェコ語で問いが書かれていて、内容は品詞の変化形をカッコに書き込むもの、長文読解や言い回しなど、さまざまでした。

問いは英語で書かれていたので、文法用語がわからなくて困ることもありました。
「命令形にせよ」という問題の「命令形」という英語がわからなかったのです。
でも、チェコ語の問題文の最後に「!」がついていたので、命令なんだろう、と推測して解いてみました。

サマースクールの参加者は、過去にチェコに留学していたという強者から、チェコ語なんてほとんどわかりません、遊びに来ましたという初心者まで多様です。

だから、どのチェコ語の問題も解けない、という人は「あーーー」と低い声をあげ、早々と教室を出ていきます。
わたしは学校で文法を教わっているので、学校の試験同様に、問題を解きました。

今までの日本の受験戦争を戦い抜いてきた学生としては、わからない問題を明けたままにしておくのは、とても不安です。
チェコ語のこの試験も、わからない単語や文法もたくさんあったのに、これまでの習性で、わたしは空欄を作らずにいました。
サマースクールに気合いが入っていたので、わたしはわからないところも、がんばって埋めました。
埋めておけば、どこか当たるだろうとか、部分点かなとか思いつつ・・・
これがわたしなりの、「テストをがんばる」ことでした。

その後、テストにもとづいてクラス割りが発表になりました。
同じ大学から参加していた友達は、初級Aクラスの中の一番上のクラスになりました。
もうひとりは、中級Bのクラスにいました。
あれ? あたしはどこだろう・・・
と名前を探すと、なんと上級の上から2番目のクラスにいました。
うひょーーーー!

わたしは大学のクラスの中でも、当時、かなり勉強していた方でした。
チェコ語がおもしろくて仕方ない頃で、学校の勉強の他にも、独学でチェコ語を読んでいたので、友達より上級のクラスにいたのも、不思議ではなかったのですが・・・

問題はそれからです・・・・。

最初の授業に出ました。
クラスは10人程度で、わたし以外はみんなヨーロッパやアメリカから来たいわゆる西洋人でした。
最初に二人づつ組になって、チェコ語で自己紹介しあうように言われました。
そして、その後に相手のことを他のクラスメイトにチェコ語で紹介するんですが、わたしはここの部分のチェコ語が聞き取れず、とりあえず隣のお姉さんと自己紹介し始めました。

隣りに座っていたのはドイツから来たカトカという女の子でした。
後でわかったのですが、彼女はチェコにすでに留学済み!
授業の前にみんなで訪問した市庁舎で、プラハ市長の前で学生代表の挨拶をしたのも彼女でした。

私はそうとも知らずに、自己紹介しました。
彼女がもっぱら「年は?」「家族は?」「趣味は?」と尋ね、わたしが「ではカトカは?」と尋ねかえしました。
彼女は「ヤン・ヴェリフという作家を研究している」と言いました。
わたしはその作家を知らなかったので、首をかしげ、手元のノートに「Berif」と書いてつづりを尋ねました。
カトカは首を横に振り、「ああもう、知らないの」とばかりに「WERICH」とつづりなおしました。
BとV(w)、CHとFの発音が聞き取れなかったのも恥ずかしいことですが、それよりヤン・ヴェリフの名前を知らなかったのも恥ずべきことでした。

次の授業は会話の授業でした。
たまたま同じ先生で、先ほどと同様に隣の人と自己紹介の会話をするように言われました。
隣にいたのは、アグネシュカというポーランドから来た女の子でした。
話をしているうちに、わたしはついぽろっと
「ポーランドもチェコも、多くの日本人はあまり知らないので・・・」
と言ってしまいました。
するとアグネシュカは下を向き、まるで涙をこらえるかのように黙り込んでしまいました。
わたしは訳が分からず、あれれ?と思っていましたが、
しばらくすると、アグネシュカは涙を飲み込むようにして、再びこちらを向き、会話を続けました。

アグネシュカの黙り込んだ数十秒がとてもわたしには怖いものに感じられました。
全てのポーランド人は愛国者であるといいますが、アグネシュカは「日本人はポーランドのことを知らない」というわたしの発言にかなりショックを受けていたんだろうと感じました。
ポーランドを知らない、、、という不用意な一言に悲しみや怒りすら抱いていたようでした。
こんな一瞬は初めてでした。

日本人がポーランド人に「ポーランドでは日本なんて誰も知らない」と言われたら、どう思うのでしょう。
「まあ、遠いしね」・・・わたしが思うのはこれだけ。

この授業では、自己紹介をし終えた後、先生からこんな話を聞きました。

「この授業は会話の上達が目的だけれども、
 どう話すかと同様に、何を話すかも大切なことである。
 特にこのクラスでは、
 日本というエキゾチックな国から来た学生もいますから、
 いろいろ話して知識を増やすのもいいことです。」

あ、あたしのことか。


(2024年の筆者より)
1997年のプラハのサマースクールはこんな感じでした。
その後いろいろ見聞きすると、クラス分けテストはなかったとか、最近ではクラス分けテストはオンラインで事前に解いておくようになったとか。
どうも参加した大学や年度によってさまざまのようです。

ドイツのカトカが研究してたチェコの作家ヤン・ヴェリフの作品はApple Musicにもあります。
チェコの演劇の歴史では欠かせない人物ですが、今でもまだ日本では知られているとは言いがたいですね。
いまのチェコ語専攻の学生でも知らないかもしれないけど、この記事を書いた当時は、チェコ語専攻なのに知らないのは自分が悪いと真剣に思っていました。


ここまで読んでいただき、とってもうれしいです。サポートという形でご支援いただいたら、それもとってもうれしいです。いっしょにチェコ語を勉強できたらそれがいちばんうれしいです。