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【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】『クール・ストラッティン』、再び (2/8)


主な登場人物
石井健一(プー):ジェイQの元メンバー。サックス担当。プロのサックスプレーヤー。
川口景子(ママ):ライブハウス『ジョイ』の経営者。
笠井三郎(サブ):ジェイQの元メンバー。ピアノ担当。ガンのため死亡。
安田久雄(ジョージ):ジェイQの元メンバー。ドラムス担当。安田運輸株式会社社長。
米田正志(マーシー):ジェイQの元メンバー。ベース担当。トラックの運転手。運輸会社勤務。
マスター:ライブハウス『ジョイ』の元経営者。病気のため引退。川口景子に後を託す。

2.ライブハウス『ジョイ』

「どこに行こうか」
「じゃあ、私の店で飲もうよ。落ち着いて話もしたいし」
「何だか恐いな」
「別に取って食おうって訳じゃないわよ」
「タクシー、拾おうか」
「ううん、そんなに遠くないから歩いて行こう」

 街灯が作る二つの影。影が重なるよう景子は石井に近づいた。闇に喪服の黒が溶けて、うなじの白さが際だっている。
 ――喪服の女って、いいもんだなあ。
 景子は罰当たりの妄想を拡げそうになる石井に、
「プーさん、コンサート、やってるの?」
 と尋ねた。

「ライブハウスでは、やっているよ。本格的に全国回りたいのは山々だけど、知名度ないから客呼べないしな」
「今でもここじゃ、プーさんの人気はすごいのよ」
「でも、ここでばっかりやるわけにはいかんだろう。直ぐに飽きられるのが落ちだよ」
「そんなことないわ。でも悔しいじゃない。何で、可愛いだけの少年少女どもが売れて、プーさんみたいに実力のある人が評価されないのよ。日本の音楽レベルは低いわよ」

「この業界みんな、生きるのに精一杯だから、どうしても手っ取り早い方に走っちゃうんだよな。じっくり時間をかけて育てるより、オーディションで歌はそこそこでも、ちょっと可愛いのや格好いいのを拾ってきて、当たればもうけ物、当たらなかったり売れなくなったら捨てる。そんな嫌な風潮があるのは確かさ」
「でも、そういうのって、結局は自分達の首を絞めてるだけなんじゃない?」

「まあ、そうだろうな。でも今を食えなきゃ明日はないしな。それに、そういう人達がいるから、俺だって食っていられるんだから感謝しなくっちゃ。それに、少しずつ変わって行っている部分もあるんだ。先は長いけど、良くなっていくさ。そしたら俺も、またツアー始めるさ」
「きっとよ。プーさんの輝いているところ、また見たいから」
 景子が小指を立てる。
「指切りか。子供みたいだな」
 絡めた指がとても確かなものに思えた。

 石井は時計を見る。9時には少し間があった。『ジョイ』は上通りの外れにある。ここから下通りを通るルートだと徒歩でも小一時間の行程と踏んだ。日頃の運動不足を解消するには丁度いい。
「いや、歩こう。雨がちょっと心配だけどなぁ」
 石井は空を見上げた。
「なに、大丈夫よ」
 景子が太鼓判を押す。二人は下通りを目指して歩き出した。


 旧城下町であるK市の商店街は直行する大通りによって二分され、城に向かって右側は上通り、左側は下通りと呼ばれる。大通りには全国でも珍しく路面電車が走っている。下通り商店街のアーケードに入った時には9時を回っていた。

 川口景子はハンドバッグを後ろ手に持って、とぼとぼと歩いていた。長身の石井健一はゆっくり歩を進めているが、それでも景子は遅れがちになる。石井は立ち止まって景子を待った。
「この街も、すっかり変わってしまったなぁ」
 石井が嘆く。景子は石井を見上げた。
「それはそうよ。プーさんが出て行ってから、もう二十年以上よ」

 世代が変わって人の営みが変われば、街も変わる。頭では分かっていても、記憶の底に残る街のままでいてほしいと望むのは、昔の恋人に何時までも変わらずにいてほしいと願う、男のエゴイズムに似ている。
 真新しい高いビルが、あちらこちらに建っていた。その隙間の、時代の流れに忘れ去られたような古びたスナックから灯りが漏れている。色褪せた看板に描かれた名前は、かろうじて、石井の記憶の淵に引っ掛かった。
「そう、この店だよ。最初にサブと会った日、ここで飲んだ。酔い潰れた俺を、サブが下宿まで運んでくれたんだ。それからしばらくは、サブに頭が上がらなくて」
「ホント? ざるのプーさんが。嘘みたい」
「そんなうぶな俺もいたんだよ」

 少し歩くと左手に公園が見えてきた。整備されてきれいに生まれ変わっていた。
「ライブが終わって飲んだ帰りだった。あの辺りにベンチがあって、俺とサブはそこに座り込んで、音楽について意見を闘わせたっけ。マーシーとジョージは、呆れてさっさと帰ったが、俺等は結局朝まで話していたこともあったな」
「私は、そんな思い出の中に、出てこないのね」
 何だか音楽と酒に纏わることばかりで、青臭くて気恥ずかしいが、何かに真っ直ぐ向かっていた頃の大切な思い出だ。青春の一際熱い時間を過ごした街は、懐かしさも一入ひとしおである。

 この街を出る時、楽しいことも悲しいことも、全て置き去りにしてきた。こうして街並みを歩きながら、思い出を拾い集めるのも、サブへの供養になるような気がした。


 下通り商店街のアーケードが途切れて大通りにぶつかった。いつの間にか小雨が降っている。ぬらぬらと光るアスファルトに鮮やかなネオンの色が貼り付いていた。雨を避けて信号が変わるのを待つ。
 チン、チン、チン。右手から鐘の音が聞こえる。振り向くと行き交う車の流れに混ざって路面電車がゴトゴト近づいて来た。石井は象牙色とえんじ色のツートンカラーの車体が好きだったが、今はその色が見えなくなるほど広告が貼られている。

「この辺りが一番大きく変わってるわね。それはそうよ。あの頃、可愛いけど生意気だった娘が、口うるさいおばさんになるほど、長い時間が経ったのよ」
「何だか、浦島太郎にでもなったみたいな気分だよ」
「そうね。でも玉手箱のふたを開けたら、もう竜宮城へは戻れないわよ」
「それも、困るな」
 景子の瞳が怪しげな光をたたえて石井を見つめている。
「だったら、開けないことね」
「でもちょっとだけ、のぞいてみたい気もするな」
「さあ、どうするの」
 景子は、石井が困るのを面白がっている。

 歩行者用信号が青になった。二人は手で雨を遮りながら大通りの交差点を小走りで渡る。上通りのアーケードに入って一息ついた。
「ほら、見ろ。何が大丈夫よ、だ」
 石井がぼやくと、景子は小さく舌を出しながらハンカチで服のしずくを払った。
 上通り商店街は古くからの店が多いため早々とシャッターが下ろされていて、アーケードを奥に進むにつれ薄暗くなり寂れた印象を与えた。

 ゆっくり歩いていたにもかかわらず斎場から30分ほどで店に着いた。

 『ジョイ』はアーケードの終点から一つ手前の路地を右に曲がって角から二軒目にある、平屋の四角い建物だ。幅一間ほどの路地に面した白い壁には窓がなく、右寄りにある入り口にはシャッターが下りていた。外観は記憶のままだ。
「ちょっと待っててね」
 景子はハンカチを頭に被りハンドバッグを小脇に走る。シャッターを腰の高さまで持ち上げてくぐり、玄関口に立ってドアを開けた。景子はシャッターの下から手を振って石井を招く。

 店内に入ると床板に塗られたコールタールの臭いが微かにした。景子は壁のスイッチを探り、右奥隅に作られたカウンターの上方に四つ並ぶスポットライトの両端だけ点けた。二つの白熱灯から発せられた光がシェードに広がりをさえぎられてカウンターの中央に薄暗い陰を作る。
「そこに座って。あれからだいぶ経っちゃったから、少しでもあらが目立たないようにしなくちゃね」
 と言いながら景子はフロアを真っ直ぐ突っ切ってカウンターに入った。石井は床板の感触を確かめながらゆっくり歩く。
「それはお互い様さ」
 石井はテーブルの間を縫いながら天板の傷を指でなぞった。
「男と女とでは違うのよ」

 景子が下ろしていた髪を後ろで束ねてお団子にするのが目に入る。石井の胸がざわついた。気を紛らすように店内を見渡す。目をしばたたくと少し暗さに慣れてきた。
 闇に埋もれた左側奥がステージと控え室になっていたはずだ。表面からの微かな光の反射でピアノの影が見えた。並べられたテーブルの幾つかは暗がりに沈んでいる。
 店内の感じも昔と変わらない気がした。
「ウィスキーでいいわね」
 振り向くと、景子は両手でボトルを持ってラベルを示していた。バランタインの12年物。
「今でも、これなの?」
 石井がうなづく。景子は石井の頑固を笑った。カウンターには氷やミネラルウォータなどが手際よく並べられていく。景子は水割りを作ってカウンターに置いた。石井はその前に座る。その横に自分用に薄く作ったのを置いて景子はカウンターから出た。

「献杯」
 石井は一口飲んでグラスを置いた。カウンター越しに壁を見ている。作り付けの棚に林立するキープされたボトル。知らない名前が並ぶ中に見覚えのある筆跡を見つけてはホッとした。
 店に入る前まではおしゃべりだった景子は、今は黙って水割りに浮かぶ氷を見ている。

「ところで、今時そんなんで、よくやっていけるな」
「何が?」
「昨日の電話では、客が来ない昼間は店を閉めるって」
「そう、うちはほとんどが昔からの常連さん達だから、その辺りは心得て明るいうちは来ないみたい」
「でも新しい客も取り込まないと、常連達は、もうみんないい年なんだから。櫛の歯が抜けるみたいに、一人二人減っていって、経営も段々先細りになってしまうぞ」

「それでもいいの。常連さんが一人でも来てくれる限り、店は続ける。誰も来てくれなくなったら、その時がこの店を閉める時って、決めているから。でもこの頃は、私目当ての若い子も、来てくれるみたい」
 と少し胸を張った。ポジティブな思考は相変わらずだな。
「それに、いずれ人は死ぬ。その時、人の営みは終わる。それでいいと、私、思ってる」
「だけど、伝えていくって人生も、あっていいと思うがな」
「うん、確かにね。でも、誰かにこの店を継いでもらおうという気はないの。私で終わり」


 80年代に入り急にジャズブームが去り、それまでの付けが一気に吹き出してかなりの店が閉店した。
 『ジョイ』も他店との客の取り合いでマスターは可成り無理をしていたのだろう。ステージの改装に融資を受けていたが、資金繰りに困って店を畳むという噂が流れたことがある。
 そんな時、常連達が支えてくれて持ち直したと聞いたことがある。常連の顔を出す回数が増え、知り合いを誘って来店してくれて、一時期閑古鳥が鳴いていた店内もにぎわいを見せるようになった。
 口には出さないがそのことをマスターは秘かに恩義に感じていた。
「マスターが体調壊して、私が店を引き継いだ時、常連さん達あっての『ジョイ』さ、って言ったの」
 景子もその意志を受け継ぐということなんだろう。

「それはそうと、斎場のホールに飾ってあったサブの写真。あれって……」
 石井は上体だけひねって暗い壁の、かつて写真が飾ってあったと記憶している辺りをあごで指した。そこだけ壁の色が違う。
「そうよ。貸してほしいって、サブさんのお母様が……」
「ライブの時のだな」
「サブさん、あの頃、とっても輝いてた」
「確かにな。俺が初めてサブと会ったのは、大学一年生の春だった。初めて演奏を聞いたときには肌が粟立ったよ。スゴいやつは、まだまだ一杯いるんだと、改めて思い知らされたものだ。『ジェイQ』は、あの日から始まったんだよ……」

<続く>


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