【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】リスト (12)
12.
亜由美は、今だと確信した。三人が話している間に、中座して部屋から『杉本隆』宛ての手紙を持って戻った。
「おじいちゃん、これ」
「ん?」
『杉本隆様』と表書きされた手紙だ。
「どうしたんだ、これ?」
「おばあちゃんから、杉本隆って人が現れたら、手渡ししてくれって、頼まれていたの」
「いつ?」
「五月頃かな。でもおばあちゃん、死んじゃうなんて思わなかったから、私、どうしたらいいのか分からなくて……」
「お前にも心労を掛けたな。ありがとうよ」
亜由美は肩の荷を下ろした途端、感極まって泣き出した。亜希子は亜由美の肩を抱き寄せた。
精一は、徐に開封した。
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杉本隆様
お帰りなさい、あなた。
お帰りなさいという言葉が妥当かどうかわかりませんが、あなたが杉本隆として帰ってきたのですから、やはりお帰りなさいと言うべきでしょう。
まず私はあなたに謝らなくてはなりません。謝って済むことではありませんが、まず最初に謝らないことには先に進めません。
本当に、ごめんなさい。
順序立てて綴ります。少し昔話に付き合って下さい。
私達が小学五年生の時のことです。一学期限りで転校する安藤夏子という子がいました。その子はその前にあなたに思いを打ち明けることにしたんです。私がその仲を取り持ちました。終業式の後、あなたはその子の思いを断り、私のことを好きだと言ったんです。恥ずかしかった。だけどとても嬉しかった。夏子には悪かったけど、嬉しかった。
でもそれから数ヶ月後、父の会社が倒産して、連帯保証人だったあなたのお父さんも巻き込んでしまいました。私の家族は夜逃げ同然で故郷を出ました。あなたの方も同様だったと、後から聞きました。本当にすみませんでした。
そんなことがなければ、私達はほのかな恋心を抱いたまま、大人になって、でも結婚にまで到ったかは分かりません。
離ればなれになったことで、反ってあなたへの思いは大きくなるばかりでした。
それから十年後、私達はT駅の前の道路で巡り会いました。全くの偶然です。あの日、あの時間に、あの場所で、奇跡です。私は宿命だと感じました。
でもあなたは私の目の前で交通事故に遭い怪我を負いました。私は救急車の中であなたの手を声をかけ続けました。薄れゆく意識の中で、あなたは力強く握り返してくれました。
その時です。私は金輪際あなたの手を放すまいと決めました。何があっても。誰に何と非難されても。
意識が戻った時、あなたは記憶をなくしていました。身元を証明する物を持っていなかったので、院内ではAさんと呼ばれていました。私はあなたが杉本隆であることを隠しました。病院にも警察にも。
私は、事故の時あなたが落とした紙片を拾っていました。現金書留の控えでした。あなたはお母さん宛てのものでした。私は、あなたのお母さんに事故のことを連絡しました。
お母さんは、記憶を無くしたのなら、嫌なことを思い出させることはない。別人で生きる道を選ばせて欲しいと仰いました。
それは社会的にあなたの、杉本隆の存在を抹消することです。
それで本当にいいのか、散々悩みましたが、これまでの一切の記憶を失うということは、詰まるところそれと同じことです。
そして私は、社会的にも、心理的にも柵がなくなったあなたと、共に人生を歩く道を選びました。
そんなある日、小塚奈津美さんのメモを木村婦長から渡されました。私は、全てを見通すような木村さんの目が恐かったのを覚えています。
そのメモをあなたに渡すことはありませんでした。私は二人の仲を引き裂きました。私は自分勝手で酷い女です。ずるい女です。本当にごめんなさい。
あなたのお母さんとは、その後も連絡を取り合い、怪我が切っ掛けで生活に不自由が出始めた頃、話し合って老人ホームに入居してもらいました。緑風園という老人ホームです。
入居費用は全額払い込んであります。父が所有していた山地が、高速道路工事で高く売れましたので、それを当てさせて頂きました。せめてもの償いです。
お母さんから硬く口止めされましたので、何年も秘密にしてました。このことは亜希子も知りません。
私の死で、突然そんなことを知らされる、あなたの戸惑いが、目に浮かびます。ごめんなさい。
懺悔しなくてはならないことは、そんなところでしょうか。
私はあなたに酷い仕打ちを、いくつもしてきました。憎まれても、軽蔑されても仕方ないと思います。
最後に。
先立つ私にとって、唯一の気がかりはあなたのことです。自暴自棄になりはしないか、生きる気力をなくすのではないか。心配で心配で、おちおち死ぬこともできません。
それで私は考えました。
ちょっと意地悪なリストを残します。杉本隆を捜す旅にあなたを誘うリストです。船出の汽笛は、都築さんに託しました。
Bon voyage!
そして、さようなら
美枝子
追伸。
新たなリストです。
長尾徳文
武田和紀
杉村雅彦
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所々濡れて乾いた跡のせいで、便箋が波打っていた。精一は読み終わると、亜希子の方に差し出した。亜希子はそれを受け取って、目を通した。亜希子の両側から大輔と亜由美が覗き込んだ。
「お父さん、大丈夫?」
精一は顔を伏せたまま身じろぎしない。
「ああ」
見るからに大丈夫じゃないのは分かるが、亜希子は他に掛ける言葉が見つからなかった。
「あのバカ、一人でこんなこと、抱え込んで苦しんでいたんだな。もっと早く俺に言ってくれれば。俺って、そんなに頼りないかな」
「……」
「たとえ人を殺したって打ち明けられても、俺の気持ちは変わらないのに……」
精一の声がくぐもる。亜希子も嗚咽する。
おじいちゃん、これ。
亜由美が差し出したハンカチ。精一はそれで顔を覆った。肩が震える。一頻りして、
「確かに俺には根っこがないと、不安になる時もあったよ。でもあいつが、いつも側にいてくれた。あいつが俺の根っこだったんだ。だからあいつには感謝以外に何もないんだよ」
重苦しい空気を振り払うように、亜由美が努めて軽い調子で、
「この後、どうするの? またリストをもらっちゃったね。もうすぐ冬休みだし、私、付き合ってあげてもいいよ」
と聞く。
「そうだな。おそらくこの三人は、俺の遊び友達だろう。その頃の話を聞けということかな」
「と言うことは、九州に行くの? 私も行きたい! 絶対行く!」
「分かったよ。その時は、連れて行くよ」
亜希子が頷く。やったーあ。亜由美が飛び上がる。その横で大輔が苦笑いしているのが目に入った。
「お前は口が立つから重宝だし、口が減らないから退屈凌ぎにもなる」
「何、それ。馬鹿にしてるーっ」
大輔が笑う。亜希子も吹き出した。
■
<平成二十六年十二月五日>
精一の元に早朝に電話があった。
喪中のハガキを受け取った松尾夏美という女性からだった。美枝子の幼なじみで親友だったそうだ。
「喪中はがき、出してくれたのか?」
「うん、二人への年賀状を借りて、大輔さんがパソコンで印刷してくれたの」
「すまんな。大輔君にも、よろしくな」
亜希子は御三をやりに毎日来てくれる。精一はもういいと言うが、家のことは亜由美も手伝ってくれるからと聞き流す。
「亜由美、この頃しっかりしてきたのよ。大人になったと言うのかしら」
「俺には前と変わりないように見えるが、母親のお前がそう言うのならそうなんだろう。大輔君も大変だ」
「どういう意味よ」
亜希子はこの頃、笑ったり冗談を言ったりする父親をよく見る。
――お母さんの思惑通りよ。
亜希子は仏壇の遺影に微笑みかけた。
翌六日。昼下がり。
松尾夏美が訪ねてきた。
葬儀に参列できなかったことを詫びた後、精一の願いに応じて美枝子の思い出話を始めた。
「私、転校する前に、あなたに気持ちを打ち明けたんですよ。見事に振られましたけど。あなたは美枝子が好きだって。本当のことを言うと、私、美枝子があなたに思いを寄せていたこと、知っていたんです」
「父親の友人を頼って神奈川に出てきたそうです。両親が離婚した時は、泣いてましたね。母親と暮らしてました。母親の再婚を機に家を出たみたいです」
「その頃、私は静岡の沼津市にいましたので、年に数回会っていました。結婚してからは、電話やメールで、夫のこととか、子供のこととか。でもこの頃は、年賀状だけになってしまって」
「再会のことも聞きました。運命的な巡り会いだったって言ってました。事故に遭って、記憶をなくしたことことも。どんなに後ろ指を指されようとも、隆さんと絶対結婚するんだって。あんな激しい美枝子、初めてでした」
夏美の話は、いかに二人の仲が深かったかが窺えるほど、広範囲で事細かった。転校、両親の離婚と母親の再婚、一人暮らし、隆との再会、事故、看病、結婚……。
「すみません。私ばかり喋って……。そろそろ電車の時間が……。もっと美枝子のこと、話していたいんですが……」
「またお話しを聞かせてもらえませんか?」
「もちろんです。ネタは、もっともっとありますよ」
杉本隆を捜す旅は、まだ始まったばかりだ。やっと船に乗り込んだところだ。幾つかの島も見つかった。そこからまた新しい島が見つかるかも知れない。
杉本隆を捜すことは、同時に美枝子を知ることだ。それは終わりのない、おそらく死ぬまで続く旅だ。
さあ、次はどこに行こうか。
精一は思いを巡らした。
<続く>
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