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皐月の空の、一葉と小津安二郎~天神亭日乗16

五月十四日(日)
 雨。台東区立一葉記念館「樋口一葉と和歌—かなの美—」へ。この記念館を訪れるのは久しぶりだ。建替前のことだったので、もう十何年も来ていなかったことになる。
 今回の「かなの美」の展示では、一葉の美しい水茎の跡を間近で見ることが出来た。彼女の眼差し、筆を走らせる息遣いを想像しながら見る。また歌塾での一葉の切磋琢磨。歌会での点数の高いこと!〇の数を数え、誇らしげな表情をしていたことだろう。また同門の友との交友関係もほほえましい。同じ「夏子」名の伊藤夏子という友。「イなっちゃん」「ヒなっちゃん」と呼び合っていたという。一葉にはこの歌塾の仲間たちとの、同じ歌の道、文学を愛する者同士のシスターフッドを感じて心が和む。
 夭折の天才女流作家、貧乏、薄幸、といったイメージで捉えられている一葉だが、でも実は生粋の江戸っ子町娘だ。洒落のわかる、きっぷのいい女の子だったことが窺えるエピソードも多く残っているようだ。
 一葉が寄席に通っていた記述がある。父の死で結局破談となった婚約者のことを思い返した日記だ。「国子と三人して寄席に遊びしことなども有けり」という記述がある。「あの男とは妹と三人で寄席に行ったこともあるのにさ」とちょっと立腹している模様。この文章を見た途端、私は「なっちゃん!」と叫びそうになった。縁談がうっすら出ている男と妹も連れて3人で。ありそうなシチュエイションだ。そしてこの追想は明治25年の日記だ。明治20年代といったら、三遊亭圓朝が活躍中の頃だ。いまや「大圓朝」と呼ばれ、落語の神様の扱い。「古典落語」という範疇の作り手になっているが、この明治の時代にはバリバリ新作作者である。一葉はもしかしたら新作ネタおろしの圓朝を見ているのかもしれない。彼女も声立てて笑ったのか、あるいは圓朝の創作の腕に唸っていたのか、それともこの横に座っている、もしかしたら将来の夫になるかも知れぬ男の反応をこっそり窺っていたやもしれぬ。
 しかし運命は分からない。この男と連れ添うことがなかったからこそ、その後の夏子の文学への道が開かれていったとも言える。
 記念館を出て、一葉が暮らした街を散歩した。今度は本郷の辺りも歩いてみよう。

五月二十一日(日)
 神奈川近代文学館「生誕120年 没後60年 小津安二郎展」に行く。初夏の、いい天気の日曜日である。
 喫茶室にて小津監督の愛した酒、蓼科の「ダイヤ菊」のカクテルを注文。喉を湿らすつもりが、あまりの美味しさにガブ飲みしてしまう。
 私が巨匠、小津安二郎監督の映画に嵌ったのは、コロナ禍の二〇二一年の正月、県外移動自粛により帰省できず、独りで年末年始を過ごしていた時のことだ。早稲田松竹の正月興行で「彼岸花」と「秋日和」がかかった。小津映画は「東京物語」を見ている程度。正直に言うと「娘の結婚」とか「家族」がテーマの映画にそれほど興味がなかったのだ。しかしこの二本の映画で一転、小津映画が大好きになってしまった。笑いの要素がたっぷり。落語的な箇所、もろに落語を下敷きにした会話もある。客席でも笑い声が響いていた。小津映画の魅力にようやく私も気付いたのだ。
 また、私の母方の祖父が松阪の人であることから、小津監督への懐かしい思いもある。小津安二郎は東京深川の生まれであるが、幼い頃に松阪に転居し、そのまま青春の日を松阪で過ごした。
 三重県の松阪。地元の発音だと「まっつぁか」。私もそう発音する。「東京物語」で「まっつぁかに出張しとりましてな」という大坂志郎さんの台詞を聞くと小津監督の松阪への想いを感じられて嬉しくなる。
 青春の日、小津安二郎は松阪の映画館「神楽座」に通い詰めていたという。祖父は小津監督より4歳ほど年長であるが、ハイカラ好きだったらしい祖父のこと、この「神楽座」には通っていたに違いない。まさか将来、この中学生が世界の「OZU」になるとは知らず、隣り合わせていたかもしれない。小さな松阪の町で、二人の少年がすれ違っていた空想をするのは楽しい。
 また今回の展示では小津監督と戦争についても丁寧に説明があった。小津監督は戦時中、召集され、戦地に赴いている。外地で悲惨な状況も見ているという。
 また山中貞雄監督との南京での邂逅、その写真の笑顔が悲しい。山中貞雄はこの後、戦地で戦病死しているのだ。
 山中監督の「人情紙風船」も2年前に4K修復版が放映され、見ることが出来た。正直最初は時代劇か、と軽く横目で見ていたのだが、見終わった後、何日も後を引いた。戦争における死はどの死も悲しく、不条理で怒りを覚えるが、この天才監督の死も、この時代でなかったら、もし命永らえればどんな作品を撮っていたのかと惜しくてならない。小津監督もその才を愛でていた。小津監督は山中貞雄の死を聞き、何日も口をきかなかったという。
 小津監督の戦後の映画の数々。平和な時間の流れのなかで、家族のなかの出来事を静かに描いていく、これが愛しき時間なのだと、小津監督がスクリーンの向こうから語っているようだ。戦争での悲惨と喪失を見た人の静かな怒りがそこにあることを、また思いながらこの人の映画を見続けたい。
 

*歌誌「月光」80号(2023年8月発行)掲載

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