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愛と涙のエンガワと茶碗蒸し



4月末から受けていた
野嶋菜々子さんの
個別継続の
ラストセッションでしたー!



その中で

「お金があってもなくても
 わたしを大事にしてほしい」

という言葉が出てきてね。



それに気がついたとき
涙が止まらなかった。



実は7月は世帯収入が3万円で
家賃も食費も払えない状態でした。

その中でも
安心感はずっとあって
まあ大丈夫でしょ~
って感じだったんだけどね。

(お金はなくならないの
 意識が強すぎる🤣笑)

(完全にNEOのおかげや🤣笑)




改めて振り返ると

わたしにとって

「安心をとる」=「我慢する」
ってなってたことに
気がついた。




8月に東京に行くので
その分のお金を取っておくことが
わたしにとっての「安心」だった。


だから、
できるだけ使わないように
「安心」をとっていた。


つもりだった。




でもそれは
わたしにとっては
「我慢」と一緒だったんだよね。




東京に行くための
具体的な金額を見て

使う分のお金を
よけておけばいいのに

「とにかく使わない!」
と決めて
やみくもに我慢してた。




金額を見たら
遣えるお金はまだあるのに。




んでね、
ラストセッション中に

「お金がなくても
 わたしを大事にしてほしい」

って言葉が出てきて
やっと気がつけた。



あ、わたし、
わたしのこと大事にしてない
って感じてるんだ
って。




有意識では
もちろん大事にしてるよ。

でも無意識では
「もっと大事にできるでしょ」
って分かってたんだよね。




必要なお金をお財布からよけた。


お金はまだあった。




お財布から
お金をよけなかったのは
お財布の中をみて
「お金ある」を
ずっと体感したかったから。




でもそのために
「これは使えないお金!」
「使わないお金!」
「これがあるのが安心なの!」
って自己暗示を
かけようとしていた。



わたしはもともと
脳(発達障害)の特性上
衝動性がものすごく強い。

だから、
「あるのに使わない」を
するのがめちゃくちゃ
苦しくて痛いことなのだ。



でも、自分の安心のために
その苦しくて痛いことをするのが
正義だと思っていた。




今まで
この衝動性のおかげで
たくさんの不安を得てきた。

「安心」=「我慢」だとしても
もう「不安」に
振り回されるのは嫌だった。




でも、
もういいかなって思った。




「安心」=「充足・満足」に
書き換えようと思った。




わたしはお財布から
お金が見えなくなっても
お金はあるってもう知ってる。




お財布から一時的に
お金が見えなくなっても
お金はあるって
もう分かってるから。




だから
大丈夫だと思った。





わたしを大事にするって
具体的になんだろうって思ったら

おいしいものを食べる

というのが出てきた。




お寿司が食べたかった。



エンガワと茶碗蒸し。



具体的に言うと

はま寿司の
あぶりエンガワと
茶碗蒸し。


金額にしたら500円にも満たない。

そんなささいで大切なお金。


それすらお金を見ないで
お金を使わないことが
安心だからって
やみくもに我慢してた。
ㅤㅤ


本当は怖かったけど。

それでも食べたかった。



だって、
お金はあるんだもん。



だから

食べに行った。




食べて
満足して
家に帰ってる途中で


「わたしはわたしを愛している」


という言葉が降りてきた。




つぶやいてみた。

泣けてきた。




そうだよ。

わたしはいつだって
わたしのことを愛してきた。



愛してないときなんてない。
大事にしてないときなんてない!



そう車の中で叫んでいた。



「わたしはわたしを
 愛している!!!」



そうしたら
「わたし」=「お金」
という概念を思い出して




「お金はわたしを愛している」

という言葉が出てきた。




つぶやいてみた。

何度も
「お金をわたしは愛している」
と言い間違えた。




「お金はわたしを愛している」
「お金はわたしを愛している」
「お金はわたしを愛している!」




また泣けてきた。

今度は大号泣だった。




たとえどんな状況でも
お金はわたしを愛している!


それがこの世界の真実だ。




わたしがお金を
愛しているんじゃない。


お金がわたしを
愛しているんだ!!




その衝撃は強かった。




パートナーから愛されるように

わたしは
お金から愛されている。




それをただ
受け入れればいいだけだった。





条件とか
証拠とか
何も考えずに

ただ、
愛されていることを
許して認めて受け入れれば
いいだけだった。




お金にわたしを
愛させてあげれば
いいだけだった。




お金から愛されていることを
ただ許せばいいだけだった。




お金はわたしを愛している。




そこに証拠や
条件なんていらない。


わたしが生きている。



それがもうすでに
愛の証明なんだ。





ずっと前に
山本芽生 さんの
アカデミーで見た

「生きてるってことは
 お金があるってこと」

という言葉が
じわっと身に染みた。





今まで
受け取り拒否してきてごめん
って言葉が自然と出てきた。




愛されているのは
わたしの方だったのに、

まだ足りないの!?
もっと愛せばいいの!?

って
ジタバタして
いらない苦しみを創っていた。




愛されてるのは
わたしだったのに。




愛されてるのは
わたしだったのに!




思う存分
愛されてあげようと思った。




受け取ろうと思った。





さて、
ここからは実験です。




「お金がわたしを愛している」

それを受け入れた先に
いったい何が待ってるんだろう。


どんな現実が
落ちてくるんだろう。




わたしは
それに気がつけるかな。





楽しみでもあり
ちょっと怖くもあり。

ㅤㅤ



楽しんで
現実創造していきます😌💕





写真は食べてきたあぶりエンガワと茶碗蒸し。
(とフェア中のアブラカレイ🤣)

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