ミスドのモーニングでまた会おう。

「よかった。ゆうりにはもう会えないと思ってた。」

親友にそう言われた。わたしが自分の幸せについて諦めていたから。

節目節目に必ず会う親友がいる。彼女は、前に進んでいるように見えた。わたしは立ち止まって、もうここでいいんだ、といじけていた。そんなわたしを見て、そんな彼女をみて、わたしたちは、ああいまは違う山を登ってるな、と思ったんだと思う。

わたしもしばらく彼女には会えないと思っていた。エネルギーが強すぎて一緒にいたら、奪われてしまいそうだと思ったからだ。彼女の眩しさがさらにわたしを消してしまうと思ったから。

彼女のことが大好きだ。彼女もまたわたしのことが好きだと思う。でも、ああもう会えないな、そう思うくらいわたしたちのエネルギー量の差は生まれてしまっていた。

「私たちは、光を選ぼう。」いつもそう言ってくれた彼女を裏切るように、わたしは自分を守らずに生きていた。それからわたしは毎日苦しみながら自分について考えた。向き合った。それは今まで生きてきたどんな時間よりも苦しく、悲しいものだった。

彼女はきっとふさふさのまゆげを八の字に曲げて、悲しい顔をしていたと思う。わたしは、そんな彼女の顔にも気付けずにただ閉じこもって苦しんでいた。

でもきっと、会えない間わたしの前進を祈って、愛していてくれたんだと思う。

少し経ってたくさん泣いた後で、わたしは前に進みたいと思った。そう思えたら何も考えずに彼女に電話をしていた。彼女は「よかった。おかえり。」そう言ってくれた。そうしてこう続けた。

「よかった。ゆうりにはもう会えないと思ってた。」

彼女と会えなくなるなんて嫌だった。そんな人生はなしだった。だったら心と共にこの物質的な魂さえ消えたって構わないと思った。

彼女は、わたしに離れていてもできる愛をたくさん教えてくれた人だった。一緒にいることが、触れられることが愛なわけではないことを、彼女といるとよく分かった。愛は、いつでも、どこからでも、誰とでもできる。

たとえば昔の恋人も、たとえば古い友だちも、たとえば死んじゃったおじいちゃんとおばあちゃんも。愛はちゃんと続いてる。

わたしはここ最近いろんなことが分からないまま過ごしていた。

本当に大切なものってなんだっけ。守りたいものってなんだっけ。信じること、前に進むこと、そういう大切にしてきたことが陳腐に思えてしまった自分がいた。

そうすると何が起きるかって自分を守れなくなってしまう。他者にすがってなんとか生きていると、自分なんてとすり減らしてしまう。

気づいたときには、わたしは自分を守れていなくて、傷つくことに慣れていた。慣れって恐ろしいんだなと知った。わたしが気にしてることなんて、取るに足らないことだと分かったのはつい最近のことで、まだわかり始めたところだ。

どんなものでも凶器になると知りながら、言葉の刃に傷ついた。その飛び交う刃を避けることなく、わたしはただ立ち尽くした。ある意味何も怖くなかった。

それでも、抜け出して変わっていく勇気はわたしにはなく、エネルギーもなく、ずっと立ち尽くしたまま、周りのみんなが前に進むのを眺めた。わたしもいつもみたいについていって、一歩を踏み出すことを忘れてしまった。

でも、彼女に会えなくなってしまうくらいなら踏み出そうと思った。踏み出したいと思った。彼女が会いたいわたしで、いられるように。それがわたしのお守りにもなる。

その準備ができたから彼女とまた話せた。今度の日曜日、朝のミスドで会う約束をした。

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