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Advent1 今年はじめてやったこと

今年のテーマは、今が一番若い。やれるときにやらないと。であったと思う。一人身で、体力も時間もあって、どんなお金の使い方をしても誰にもとがめられない。そんな今のうちに、やれることは全部やらないと。そんな焦燥感がずっとあった。

夏に友人と富士山に登った。高山に登るのは初めての経験だった。ずっと登りたいと思っていて、去年から一緒に登ってくれる人を探して、東京近辺の低山に登って練習をして、登山グッズを買い集めた。

今年の登山シーズンには、友人の登山への気持ちも冷めかけていたのだが、みんなにキャンセルされても、私一人でも登るという気持ちがあって、有無を言わせず当日のツアー予約を取った。

なぜだか分からないけれど、私の富士山意欲はすごかった。ずっと登りたかったし、登るなら今年が一番若いし、絶対今年登るんだ。なんなら友人のキャンセル料を払って、一人で行くことになったっていい。それくらいの熱だった。

いろんなサイトを見漁って、当日の持ち物の検討を重ね、当日を迎えた。履きなれた登山靴のはずなのに、朝足を入れたら、足がむくんだのか、窮屈で不安になった。東京からバスに揺られて、5合目にたどり着き、昼食をとる。

いざはじまるぞ!と気持ち高まるタイミングと思いきや、ネガティブモードに突入。私は、意気揚々と何かに申し込み、周りに宣言したり、やったこともないのに魅力を語って人を誘ったりなんかするのだけど、その時が近づくと急に不安になって、「なんでこんな大変なことやることにしたんだろう、途中でだめになるかもしれない、普通につらい、帰ろうかな」というモードに入ってしまうタイプなのである。この時も、大丈夫かなと急に不安になり、友人に「一番登りたがって誘ってきたくせにやめてよ」なんて言われた。

体力や適応力(というか鈍感力)はそれなりにあるので、はじまってしまえばなんてことなく、楽しむことができた。過酷な想像ばかりしたせいで、雨が降ろうと、雹が降ろうと、心身にダメージがくることはなく、ひたすらゆっくり足を進め、息が浅いと思ったら深呼吸をしていた。

道中の感想があまりないのは、もくもくと登っていたからでもあるけれど、富士山は途中から木がなくなるので、なんというか見るものがないからでもある。景色もだんだん地面が遠くなるなくらいの変化しかない。ずっと同じ角度の景色が見えている状態。そこは低山との違いだなと思った。私は、屋久島や白神山地のような緑に魅力を感じるので、富士山はそれらとは別ものだった。

宿泊する山小屋につくと、スタッフの方は、我々の荷物を運びこみ、濡れている我々を拭いてくれて、我々はその場でレインウェアを脱いで、なんだか子供になった気分だった。

数時間寝ると起こされて、ご来光前に山頂につくよう登り始める。こんなに大変といわれる富士山なのに、たくさん人がいてなかなか進めない。自分もその場にいるくせに、みんなそんなに登りたいんだな~みんなここまで登ってきたと思うとすごいな~となんだか他人事のように思う。あんまり進めないので体が温まらず、時間と標高の影響で真夏でもダウンが必要なくらい寒い。見上げると満点の星空で、プラネタリウムのように球体を感じた。

山頂でご来光を待った。低い位置に雲があって、なかなか見えなかったのだが、太陽が顔をだすと、まっすぐ光と熱が届いていることを感じた。感動したとか涙がでたとか大げさな感情にはならなかったけれど、見られてよかったとしみじみ思った。きっとこのきれいさと達成感を感じないと、富士山の楽しさは感じづらいだろう。(特に今回は友人を鼓舞して誘ってきたので、夜空と朝日が見れて本当に良かった。)

下りはなにもない砂利道をひたすら下るだけ。これが本当に楽しくなく、一番つらかった。眺めも道なみも変わらない。足が痛い。売店もない。ひたすら歩いて、5合目に戻って、すぐに登山タイツを脱いで、靴を緩めた。半袖短パンに登山帽で、夏休みの少年のようだった。

リピートするほどは、刺さらなかったななんて思いながら帰ったのだけど、他の人のnoteやSNSなんかをみると、また登りたくなって、他のコースを調べたりしていた。


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